生理面は、自律して機能していて、生存の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 知能も備わっていて、生きていることがどういうことかは、誰でも直に経験し続け相応の学習もするわけですから人生の理由に相当する。
 感じ意識し、記憶を参考に識別し思考し、学習し上達し、見えない約束やルールや法則なども理解でき、理解し合え協力し合え信頼し合い尊重し合えるようにもなる。
 経験や学習や思考や理解、ゆえの信頼や尊重や愛や幸福、それらは売買は不可能だ。
 以上の、普遍的なことや誰にでも共通することが、当ブログのテーマです。
 けれども、進化や自身が形成された経緯や生命生理などは、通常は知らない。
 誰でも共通な知能や経験や学習や理解に関することでも、理解するとは限らない。
 知らないことは想像もするし、自分のことでも勘違いし思い込みもする。目を奪われ心まで奪われ、自分を見失い人生も見失い、そうであることに気づけなくさえなる。
 好みや価値観は百人百様になる。
 普遍的ではなく、共通でもなく、異なることほど、理解し合うことは難しくなる。
 理解し合えず、私利私欲を貪り、相殺し競争で優劣を決め、転嫁し暴力で片づける。
 非理解、非協力、非信頼、非尊重、そういう非知的なことは避けたい。
 つまり、自律して機能している生理面は高度で絶妙な秩序に基づいて成立している。
 が、経験し学習し理解する内容は、限られ、偏りもし、錯覚や間違いや勘違いや思い込みもあり、隠蔽も抹消も偽装も捏造もし、知能を誤用もし悪用さえするようになる。
 そうであることは、マスメディアが発達した現代では歴然としているわけですから。
はじめに 更新2013/01/21
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カテゴリ : ◆無知の悟 「俺は、病気じゃない、異常でもない」

想像・妄想・勘違い・思い込み、その類だった。

 
 当時は、良いと思えることがあると、俄かに躁状態になった。
 が、そうではないとなると、落胆し落ち込んで鬱状態になりがちだった。
 躁鬱状態を乱高下していた。
 表面的なことや限られた一面に、気を取られがちでもあった。

 後に、備わっている知能(各感覚器官や意識や記憶力などの特徴や関係など)に関することを知り、経験でき学習でき上達もし熟練する理由や法則を知り、思考上で記憶にあることを整理して理解し納得できるようになることを、具体的に理解していった。
 よって、知的なことが可能になる法則や理由に裏付けられた自信も得ていった。
 それらは精神面の基礎であり基本であることも知り、しかも誰にも共通することだということも知り、それまでは未経験だった精神面の安定も得ていった。
 いわば、本来の自分に関することを知るほどに、相応の識別や対処対応や活用なども可能になり、相応の基準になる思いや考えが確立されてゆき、とても自然な感じの精神の安定を得ていった。

 つまり、躁鬱状態を乱高下していた当時は、本来の自分に関することを知らず、基準になる思いや考えも未熟だった。
 もちろん、まだ自分の思いや考えの無理や矛盾をやっと解明しはじめただけであり、当時のレベルの平常心も取り戻せなかった。
 それゆえに、精神面が不安定だったのだと考えられる。


 自分のことをあまりにも知らないことも、すでに明らかだった。

 自分のことは直に経験し続けていて、思いや考えを直に知り得る立場にあるのは、唯一、自分だけである。
 自分の思いや考えの無理や矛盾にも、感情も心理も行動も結果も左右される。
 なのに、自分の思いや考えの無理や矛盾も把握できないからこそ、解決もできず、三年以上も困窮した。
 自分の思いや考えの無理や矛盾を把握できていないからこそ、死んだほうが増しだとさえ思った。
 その把握や解明や解決だけに、些細なことで躁鬱状態を乱高下しがちだった自分にとっては簡単なことではないことは歴然としていた。

 生理面が自律して機能していることにも、死ねなかったことによって、たまたま気づいた。
 よって、思いや考えに無理や矛盾があることにも、気づけた。
 つまり、自分の思いや考えを把握できていなかった。
 そんなことに気づき知っただけで、思いや考えが一転した。

 知能自体が平常どおりに機能していることも、やっと気づいた。
 気づいてみると、異常があれば直ちに気づくことであり、日常的に知り得ることだった。
 そんなことも、知らなかった。
 でも、知ったからこそ、そうだったことも分かる。知能自体が平常どおりに機能していることも、何時でも確認でき、何処にいても確認できるようになった。

 自分が把握し解明し解決すべきことは、自分の思いや考えや、その無理や矛盾であることが、一層明らかになった。
 しかも、知るほどに、気は楽になっていった。

 自室にこもっているのに、他人に気を取られていたことに、気づいた。
 よって、自分のことが疎かになっていたことも、解った。
 そもそも人間関係を断って、せっかく自室にこもったのだから、他人を気にすることは余計なことであることも解った。

 知られれば不利だとか不都合だと思うことを隠し偽ろうとする思いや考えに囚われていたことも解り、それは事実関係の把握や解決や改善を困難にすることだったことも解った。
 それは、思い考えが囚われる傾向が強いことであることも解り、自分でも理解が困難になることだったことも解った。
 あの時は、心の中に明かりが射し込んだのが見えた気がした。心の中のことだったが、確かに明かりが射し込んだ。
 あれは、解明や解決上では、最も矛盾する思いや考えの解明だった。それを解明できたわけだから、自分の思いや考えの無理や矛盾の解明が可能だという証でもあった。

 これらも、自分で切り開いたわけではなく、思い知らされ、気づかされるようにして、進展した。
 そんなことから、自分の五感では捉えることすらできない誰かによって導かれているのではないか、とさえ思うようになる。

 いずれにしても、進展はしていた。
 自分のことをほとんど知らなかった理由も、三年余りも困窮したのに解脱できなかった理由も、解明しはじめた。
 目には見えないが、英知の扉は、すでに開いていた。


 自分の思いや考えを直に知り得る自分こそが、自分の思いや考えの無理や矛盾を解明するには最適任者でもあった。
 思考力も理解力もあるのに、直に経験し続けていたはずの自分のことを、ほとんど知らないまま三十歳になってしまった。そんな、焦りもあった。

 ただ、五感では捉えることができないことでもあり、ようやく整理がはじまった程度で、勘違いや思い込みや無理や矛盾したイメージや思いや考えはほとんど混在したままだったことになる。
 まだ、非内向的なことである対他的なことや対環境的なことに、まだまだ気を取られがちだった。
 でも、それは、自分の思いや考えや、その無理や矛盾を解明すべく、内向に集中しようと思うようになったからこそ、必要になったことだった。
 その可能性に臨む期待も膨らみ、鬱陶しさや困難をも押し退けつつあった。


 俺は、悪いことをしたわけじゃない。
 逃げ隠れしているんじゃない。
 誰かを侵害しているわけでもない。
 誰かを脅かしているわけでもない。
 むしろ、自他ともに、そうなることは避けたい。
 そういう意味でも、人間関係を断ったことも、自室にこもったことも、理に適っている。
 自分の場合は、こうしないと出来ない。こうすることに因って、やっと可能になる。そんなことを、しようとしているんだから。


 学習や根拠や理由を頼みの綱にしたわけだが、その具体的なことは、当時はほとんど未理解だった。

 実際には、会話上でも、根拠や理由があって理に適っていると、理解でき納得もできた。
 根拠や理由が乏しかったり、無理や矛盾があると、理解できないし納得もできなかった。
 だからこそ、必要に応じて不明な部分を尋ねもし、「冗談だろ」と言って笑い飛ばしたり、場合によっては妥協したりもしていた。

 でも、そうしていることをすら、当時は未理解だった。
 理解や納得上、根拠や理由が必要で、理に適っていることが重要であることも、具体的に理解していたわけではなかった。
 だからこそ、思いや考えに無理や矛盾が多かった。

 その、把握や解明や解消が必須になり、自分の思いや考えの整理が必要になった。
 そして、把握や解明や解消が可能であることも、具体的に解りはじめた。
 三十歳の誕生日も過ぎ、今更のように焦りもした。
 相応のイメージや思いや考えが頭の中で錯綜するようになった。
 手がかりを得るために模索しては内向し、手がかりを捉えては確かめるために内向するようになった。


 思えば……、事実か否かは、確かめていない……。
 異常かもしれないと思い、異常者扱いされることを恐れたが、自分の頭の中だけで、そう思っていただけだった……。
 想像に過ぎなかった……、っていうことなのか。

 本に書かれていたことと、ほぼ一致していた。
 が、本では異常者扱いだった。俺は受け入れ難かった。少なくとも自分が異常だと断定するだけの根拠や理由は無かった。

 先日までは気づかず知らなかったが、知能自体は平常どおり機能していることも分かった。
 分かってみると、日常的に確認できることであり、何時でも何処にいても確認できるようになった。
 もちろん、俺は異常ではないし病気でもない。
 やっぱり……。想像や勘違いや思い込みの類だったのか……。

 自分の思いや考えには無理や矛盾や勘違いや思い込みがあることも解り、自分で把握できていないことも解っている。
 が、勘違いは、よくあることだ。
 え~っ……。想像や勘違いや思い込みの類だったなんて……。

 三年余りの困窮の理由が、想像や勘違いや思い込みの類だったのかと思ったら、唖然とした。
 でも、すでに安堵していた。


 再確認するほど、想像や勘違いや思い込みの類だったことが明らかになった。
 自分の思いや考えの無理や矛盾が、また一つ解明できた。
 自分が知らなかった、自分に関することも、また知ることができた。
 と同時に、自分のことをいかに知らなかったかも、また具体的に明らかになった。


 こんなことで、三年余りも困窮したなんて……。
 まさに、自分のことを、あまりにも知らな過ぎる。
 俺は、単なるアホだったのだ。

 そう思ったが、笑ってしまうほど気は楽になった。
 自室に独りでいるのに、気まずかった。


 でも、知能自体は平常どおりに機能していることが分かったとき、俺は異常ではないし病気でもないと思った。
 あの時点で、想像に過ぎなかったことは分かったはずなのに……。
 なぜ……、気づけなかったのだ……。


 二度と迷い込みたくもなかった。
 自分の思いや考えに無理や矛盾があったがゆえに迷い込んだ世界だっただけに、もっと詳しく知りたかった。
 解明できたことは、相応の識別も対処も可能になり、相応に気も楽になる。

 子供の頃に使った辞典が、当時も有ったが、言葉や意味を調べることは少なかった。
 自分の、思いや考えや、その無理や矛盾を、より具体的に把握や解明や解決する必要があったからだった。
 自分の経験を、メモするようになったのも、解明できると解決も伴うことが分かるようになったからだった。


想像


 具体的な識別や判断ができないことで、事実確認も容易ではない際に、頭の中だけで思いを巡らすこと。類推や空想の類。

 そもそも、異常かもしれないと思ったが、具体的な知識があったわけではない。つまり、もともと想像だった。
 でも、当時は、想像という言葉は知っていた。が、想像とはどういうことか具体的なことは知らなかった。なので、自分が頭の中だけで思いを巡らせていたことこそが、想像なんだとは判断できなかったし、気づくこともできなかった。

 異常か否かに関しても具体的な知識は無かっただけに、異常かもしれないと思ったら、覆すこともできなくなった。
 でも、異常だと、納得したわけでもなかった。むしろ、異常だとは、受け入れ難かった。だからこそ、葛藤した。

 異常かもしれないというイメージを前提に思いを巡らすと、当然に相応のことばかりが思い当たり、心配になり苦にもなる。が、事実は、想像と一致しているとは限らない。
 反対に、異常ではないかもしれないというイメージを前提に思いを巡らすと、相応のことばかりが思い当たるので、心配や苦にはならない。でも、事実は、想像とは違っていたりする。
 期待できるイメージを前提に思いを巡らすと、それだけでも楽しくなったりする。が、それが想像の段階だと、事実はそうではなかったりする。
 そんなことも、当時は、考えたことすら無かった。

 個人的には、知っていることは限られ、錯覚もあり、想像もし勘違いもし思い込みもし、嘘も考えることは可能なので、自分の思いや考えに無理や矛盾もありえる。
 が、そうであることも、当初は知らなかった。
 なので、自分の思いや考えに、疑問を抱くことも無かったし、自分の思いや考えを確かめることもなった。
 よって、異常かもしれないと思ったが、それが本当か否かも確かめなかった。
 つまり、具体的なことや根拠や理由も、必要としなかったし、重視していなかった。

 となると、頭の中だけで思いを巡らすわけであり、想像し放題の状態だったことになる。
 当然に、外れている確率の方が高い。むしろ、当たっている確率はきわめて低い。
 事実確認をしない頭の中だけでの想像には、そういう性質や特徴があることも、知らなかった。

 他人に知られる前に、自分で判断しようと、本を買い漁った。
 もちろん、救いを求めたからだった。つまり、異常ではないという文章を探した。
 ところが、自分が、平常心を取り戻せずに、躁鬱を彷徨い、自室にこもることを、どの本も異常者扱いしていた。
 もちろん、自分は受け入れ難かった。が、本に書かれていることを、自分が覆せるはずがない。
 ということは、極度に拒めば、それだけでも精神異常者扱いされかねない。そう思い、そうなることを恐れた。
 葛藤はピークに達した。
 そういう扱いをされて生きて、結局、死ぬくらいなら、さっさと死んだほうが増しだと思った。

 ところが、死ねなかった。
 むしろ、生理面は自律して機能していることに気づき、思いや考えには無理も矛盾もあることが明らかになった。
 にもかかわらず生理面は機能しているわかだから、生理面が自律していることは明確になり、思いや考えに無理や矛盾があることも明確になった。
 しかも、そんな無理も矛盾もある自分の思いや考えを、自分で把握できていなかったことも明らかになった。それに気づいたときは恐怖を味わった。
 一転して、眠ってしまうことさえ怖くなった。
 生きるしかなくなった。
 よって、問題の解明や解決が必須になった。

 自分の思いや考えに、無理も矛盾もあることが明らかになり、把握できていなかったことも、すでに明らかだった。
 そんなことを知っていればこそ、自分の思いや考えに疑問を抱くし確かめもする。

 そして、知能自体は平常どおりに機能していることに、気づいた。
 今更のように確認し、知能自体は平常どおりに機能していることを納得した。
 よって、何時でも何処にいても確認できるようにもなった。
 もちろん、俺は、異常ではない、病気でもない。
 明らかに気が楽になった。

 結局、確認するようになった。
 そして、他人を気にしていたことに気づき、自分のことを疎かにしていたことが分かった。
 自分のことを理解するにあたっては、最大の矛盾も解明できた。
 英知の扉が開いた。
 それは、想像し放題を止めて、確かめることや、根拠や理由や、理解や納得などを、重視するようになったからだった。

 自分の経験を基に、自分が知らなかった自分に関することに次々と気づき、相応のことを知り、相応に迷いは解消してゆき、かなり気も楽になった。
 よって、異常か否かは確かめていないことに、気づいた。
 しかも、確認を繰り返したことによって、自分の経験を基に、想像の類に関しても具体的に知ることになった。

 確かめるようになり、知らなかった自分のことを知り、根拠や理由を必要とするようにもなり、根拠や理由などによって思いや考えの無理や矛盾が解明され、理解や納得を重視するようになり、無理や矛盾が解消し、無理や矛盾から思いや考えが解放された。
 根拠も理由も無い想像や妄想や迷いは減少し、相応の対応も可能になっていった。
 知能は正常に発揮され始めた。


妄想


 頭の中だけで思いを巡らしている(類推や想像や空想の類)に過ぎないことを判断できず自覚できないまま、頭の中だけで思いを巡らしていること(類推や想像や空想の類)。
 
 会話上でも、相手が話す道順や目的地を、自分も知っている場合は、そのことに関しては理解でき納得もできる。

 つまり、個人的な好みや是非や可否は別として、根拠や理由があって理に適っていると、理解でき事実認定もできる。
 言い換えると、構成要素や関係や理由などを整理しながら考え、理に適っている場合は理解でき認定もできる。
 理解できている(具体的なことを知っている)ことは、具体的に肯定することもでき具体的に否定することもできる。

 当然に、根拠や理由が乏しかったり、無理や矛盾があると、理解できないし納得できない。
 具体的なことは知らず、確認も簡単ではない場合などは、具体的な否定も肯定もできない。

 そんなときは、類推や想像をする。

 つまり、具体的なことは知らず、確認も簡単ではなく、具体的な否定も肯定もできないからこそ、類推や想像をする。
 そういう性質上、想像上の内容が、事実と一致している確率は、かなり低いことになる。
 それに基づいて行動するとなると、躊躇する。

 しかも、類推や想像上の内容が、事実と一致しているか否かを確かめなかったりする。
 ということは、具体的なことや根拠や理由を必要としていないことになる。
 この場合は、頭の中だけで思いを巡らし放題になる。
 つまり、想像し放題になる。
 そういう性質上、外れている確率の方が高くなる。むしろ、当たっている確率はきわめて低くなる。
 それに基づいて行動すると、後悔したり、損をしたり、困ったりさえする。

 想像自体に、そういう性質があることになる。


 そんな想像に関することを、自分の経験を基に具体的に理解できている場合は、自分が思い考えていることに対して、自分で疑問も抱くし確認もするので、想像に過ぎないことを判断することも自覚することもできる。

 でも、想像に関することを、理解できていない場合は、想像に関する具体的なことを知らない。
 よって、自分が頭の中だけで思いを巡らしていることこそが想像なんだということを判断できないし自覚できない。

 しかも、思いや考えには無理も矛盾もありえることも、知らないと、自分の思いや考えに疑問を抱かないし確認もしない。
 むしろ、自分で思い考えていることなので、疑問は抱かない傾向もあり、確認もしない傾向がある。
 それどころか、すっかり一人前になった気がしていた。つまり。自分で思い考えて判断しているだけに、過信している場合もある。

 そうなるほど、自分が思いを巡らしていることは想像に過ぎないんだということには、気づくことが難しい。
 想像しているに過ぎないんだということを、判断できず自覚できないと、想像し放題どころか暴走状態になる。

 こういう場合を、妄想と言うのだと考えられる。


 つまり、自分は、三年余りも妄想に陥っていたのだった。


勘違い


 類推や想像や空想上のことなどの、事実ではないことを事実だと思ったり、本当ではないことを本当のことだと思ったりすること。
 
 そもそも、異常かもしれないと思ったことは、想像に過ぎなかった。

 ただし、想像に関する知識は、自分には無かったので、想像に過ぎないことを判断することができなかった。
 もちろん、自分には、異常か否かを判断できるだけの知識は無かったので、想像上の異常かもしれないという思いを、覆すこともできなかった。

 よって、本当に異常かもしれないと思うようになり、心配になり苦にもなった。
 想像に過ぎなくても、それによって生じる感情はリアルタイムで生じ、心配や苦などの感情自体はまぎれもない事実でもある。
 よって、混乱し、本当に異常であるかのような気がしてきた。
 つまり、事実ではないことを、事実だと思い、勘違いしはじめた。


 想像に過ぎない段階でも、感情が伴う。その際の感情は、事実だけに、勘違いもする。

 日常的にも、大事なものが無いことに気づくと、にわかに記憶を辿ったり推理したり想像したりする。
 つまり、まだ想像の段階であり、具体的な事実が明らかになっていないからこそ、必死で類推や想像をする。
 思い当たる所を次々に探す。でも、無い。となると、類推や想像に拍車がかかる。
 失くしてしまった。どうしよう。などと、失くしてしまったことを前提にした想像までする。

 つまり、想像に過ぎないことでも、その内容しだいでは心配にもなるし苦にもなり、その感情は事実なので、本当のことであるかのように勘違いもする。
 逆に、有頂天になったりもする・
 相応の行動までしたりもする。
 相応の結果になったりもする。

 よって、日常でも、良かれ悪しかれ事実が明らかになると、少なくとも想像や妄想は必要無くなるので、想像や妄想から解放される。
 内容しだいでは、落胆したり、喜んだりもする。


思い込み


 類推や想像や空想上のことなど、事実ではないことを事実だと勘違いするほど疑問を抱かなくなったり、本当ではないことを本当のことだと思うほど疑問を抱かなくなる。
 そして、類推や想像や空想上のことを事実だとか本当だと思い込むと、それに基づいた行動までしてしまう。

 
 想像上のことは非現実でも、それによって生じる心配や苦などの感情はリアルタイムで生じる事実なので、当時は、本当に異常かもしれないと勘違いしはじめていたことになる。
 でも、想像上の勘違いの場合は、納得しているわけではない。なので、躊躇したりし、相応の行動はしない。この場合は、まだ勘違いという段階で、異常だと思い込んではいないと考えられる。

 異常だと思い、それを基に行動してしまう場合は、異常だと思い込んでいるからだと考えられる。

 つまり、異常者扱いされると思い込み、死んだほうが増しだと思い込んだから、そうしようとしたことになる。


 想像に過ぎなかったことが解ってことによって、妄想、勘違い、思い込みまで、それらの基本的なことは、その日のうちに解明できた。
 想像や妄想や勘違いや思い込みの類だったことが、自分の経験を基に具体的に解っただけに、相応の無理や矛盾からは解放された。
 ここまで具体的に把握できたのは、この日以降も、再三、確認や整理を繰り返したからだった。

 結局、異常なわけではなく、直に経験し続けている肝心な自分に関することを知らな過ぎることが原因なのだと、確信してゆく。
 そんな経緯上、思いや考えの錯綜が加速していった。

 
カテゴリ : ◆無知の悟 「俺は、病気じゃない、異常でもない」

知らずに、知能を誤用し悪用さえしていた。

 
 肝心な自分のことを、ほとんど知らなかった。
 が、自分のことは、直に経験し続けている。知ることも難しいことではなかった。
 しかも、知る度に、気が楽になった。
 なので、知ったことを、繰り返し再確認するようになった。

 生理面は、自律して機能している。
 だから、通常は未理解でもかまわない。
 でも、そうなんだということも、自分は知らなかった。
 知ったからこそ、確認できるようになった。

 知能(精神機構)自体も、平常どおりに機能している。
 だから、俺は異常ではないし病気でもない。
 むしろ、日常的に、知能上で意識や識別や思考を行っている。
 なので、平常どおりでない場合は、むしろ直ちに気づく。
 平常どおりに機能しているか否かを確認するにしても、道具も必要ないし準備すら要らない。目覚めている時なら何時でもでき何処にいても、各感覚器官や意識や記憶や識別や思考など、それぞれを意識し自覚するだけで平常どおりか否かは確認できる。
 でも、そんなことも、三十歳になるまで自分は知らなかった。
 知らなかった頃は確認はできなかったし、知ったからこそ確認できるようになった。

 知能は平常どおりに機能している。が、知能上の思いや考えは、実行できないことだったり、勘違いや思い込みもあるので、無理も矛盾もありえる。
 もちろん、勘違いや思い込みや無理や矛盾があったとしても、不思議なことではないことになる。
 まさに自分がそうだったのに、そうだったことも知らなかった。
 だから、異常かもしれないとさえ思った。

 そんな思いや考えが、行動や結果を左右する。
 自分の思いや考えしだいで、死んでしまいもする。痛い思いもする。損もする。自分が困ることをさえ行ったりする。
 そうだったことも、自分は知らなかった。もちろん、そんな自分の思いや考えに関することを、自分で把握もできていなかった。
 把握できていなかったからこそ、管理もできす、死のうとした。
 そうだったことに、気づいただけで恐怖を感じた。
 そうだったことに、気づいたり、知ったりしたことによって、思いや考えや行動まで一転した。

 つまり、自分の考えに無理や矛盾があるからこそ、葛藤が生じる。
 現にそうだったのに、そうであることも知らなかった。三年余りも解明できず解決できず、見えない壁に直面しているような状態になり困窮したのも、まさに自分の思いや考えに無理や矛盾があるからにほかならない。

 やはり、自分のことなのに、知らな過ぎるのだ。

 繰り返し確認するようになったこれらは、自分が経験した事実であり、経験上の事実に基づいたことでもあった。
 日常的にも、良かれ悪しかれ事実が明らかになると、相応の識別や判断が可能になるので、相応の迷いは無くなり、想像や妄想も必要なくなる。


 とにかく、自分のことを知ろうとすべきだったのだ。

 そんなことを思いながら、自分の思いや考え自体を捉えようとするようになった。
 いわゆる、内向するようになった。もちろん、当時の自分は「内向」という言葉も知らなかった。
 言葉を知らなくても、猫や犬なども生活しているし、植物だって生きている。
 物事は存在するが、言葉で説明できることとなると、現在でも限られてしまう。


 自分のことを知る必要があった点でも、人間関係を断ったことや、自室にこもったことは、理に適っている。
 理解し合えず、しかも脅かされかねないのなら、親と言えども協力するのは抵抗がある。
 かまっている場合ですらないから、関わることを避けるためにも、自室にこもった……。

 実際には、いろんな理由があって自室にこもったわけだが、それらの理由も当時は把握しきれないこともあって自室にこもった。


 でも、とじこもっていると、後ろめたい。
 自室に独りでいるのに、他人を気にしている。
 この歳になって、肝心な自分のことをほとんど知らないから……。
 思いや考えに無理も矛盾もある。しかも、把握もできていない。
 異常かもしれないと思っていた。異常者扱いされることを恐れてさえいた。
 それらは、知られれば不利なことや不都合なことだとも思った。
 そういうことは、知られたくなかった。
 そんなこともあって、自室にこもった。
 だから、後ろめたかったのか……。

 思っていることや考えていることよりも、実際に行っていることのほうが雄弁だ……。
 知られたくない不利なことや不都合なことがあるからこそ、それを知られまいともするわけだし、だからこそとじこもりもする。
 とじこもれば、知られたくない不利なことや不都合なことがあることを、行動で物語ってしまうことになる。
 具体的なことまでは知らなくても、思いや考えと振る舞いの関係は直結している。
 だからこそ、事実を基に、相応の思いや考えであることを、人は読んでしまう。
 すね、いじけ、強情まで張るのは、相応のことを認めたくないとか、反省し難いとか、謝りたくないからだ。
 実際に行ったことや事実を基に、口先だけの言い訳なのか嘘なのかなども判断される。
 知識や技術を習得して、根拠や理由に基づいたことを行って成果を上げた頃は、言葉で説明する必要すら無かった。

 とじこもれば、知られたくない不利なことや不都合なことがあることを、自分で行動で説明しているようなものだ。
 そうだったから、自室にこもることに後ろめたさを感じたのだ。

 でも、自室にこもったからこそ、気になったわけだし、こんなことが解った。
 他に気づき知り解ったことも、人間関係を断ったからであり、自室にこもったからだ。
 自分が解明し解決すべきことに臨むためにも、自分を知るためにも、人間関係を断って自室にこもったことは理に適っている。

 けれども、こもったことで、他人を気にした。
 不利なことや不都合なことがあって、それを知られまいとして、とじこもっている、と他人に思われる。と、自分で思い、気にするから、後ろめたい。
 後ろめたいからこそ、ますます気にする。
 他人を気にすることに囚われるほど、自分が解明し解決すべきことに臨むことは疎かになる。
 他人を気にすることに囚われるほど、肝心な自分のことを知ろうとすることも疎かになる。
 そういうことだったのか。自分を知ることとは、矛盾することに思いや考えが囚われていたのだ。
 やった。
 他人を気にしている場合じゃない。

 日常的にも、当時は特に、他人を気にしていた。
 そうだったことが、自室にこもったことによって、更に明らかになり、捉えやすくなった。
 よって、自分を知る際には障害だった思いや考えを解明することもできた。


 自室にこもったことを気にすると、他人がどう思うかなどまで気になり、それに囚われてしまうわけだが……。
 思えば、他人を気にしていただけではなかった。
 なんとか上辺だけでも尤もらしく見えるようにしようとし、そんなことばかり考えていた。
 上辺だけでも尤もらしく見せかけるわけだから、不都合だとか不利だと思うことは、当然に隠す。
 むしろ、不都合だとか不利だと思うことを隠し偽るために、上辺だけでも尤もらしく見せかける。
 精神異常者扱いされるよりは、早目に病気扱いされた方が楽だとさえ思った。
 つまり、自分が解明し解決すべきことを、隠し偽ることに囚われていたことになる。
 隠すだけではなく、尤もらしく偽るわけだから、それが露呈することも恐れ、隠し偽ることが増え、それに囚われてしまう。
 だから、死んだほうが増しだとさえ思ったのか……。
 しかも、誰かの所為で死んだかのように装うとも思った。
 なんと、解明し解決すべきことを、むしろ困難にすることや闇に葬ってしまうような思いや考えに囚われていたのだ……。
 心の中の、高さ十メートルもあろうかと思う辺りから明かりが射し込んだのが見えた気がした。


 自分の思いや考えの無理や矛盾を解明する際には、最も矛盾している思いや考えに囚われていたことを解明できた。

 しかも、自分の思いや考えの無理や矛盾が解明できただけで、明らかに気が楽になった。それが、不思議だった。
 つまり、当時は、自分で体験したことをまだ理解できていなかった。
 日常でも、良かれ悪しかれ解明できたことは、相応の具体的な識別や判断が可能になり、相応の迷いは無くなり、想像や妄想も必要なくなるし、むしろ相応の対処や対応が可能になる。
 そういうことは未理解ても、自分を知る際には矛盾した思いや考えであることが解れば、それを止めることもできる。

 それは、自分の思いや考えの無理や矛盾だけに、自分で解明でき解決できた証でもあった。
 もちろん、自分を知ることに集中できるようになっていった。


 当時は、三年余りもの困窮から、その理由を解明しはじめて脱出しつつあっただけに、「英知」という言葉を思いつき、その使い慣れない言葉を使って「英知の扉が開いた」という捉え方をした。

 でも、三年余りもの困窮したのは、自分に関することをあまりにも知らなかったからであり、知能を誤用し悪用さえしていたことすら知らなかったからだった。
 死ねなかったのも、無理で矛盾することだからだった。
 一転して、生きるしかなくなったが、それがむじろ普通だった。
 つまり、知能を誤用し悪用さえし、深く落ち込みがちで鬱状態が多かった。
 それが、知能をまともに発揮するようになったことによって解脱しはじめ、気が楽になった際には躁状態になった。

 三年余りの困窮が前提になるだけに、喜ぶべきことでもあった。
 でも、大事なことが解明される都度、直に経験し続けているはずの肝心な自分のことをあまりにも知らなかったことが問題だったことも、分かりやすくなっていった。
 実際には、やっと平常心を取り戻しつつあったことになる。

 とはいえ、三年余りの困窮が前提になるだけに、十分に期待できる方に向かい始めたことは間違いなかった。
 知ったことや、気が楽になった理由などを、いままでとは比較にならないくらい再確認を繰り返すようになった。
 そういうことを繰り返し再確認することで、知能の本来の能力も発揮されていったことになる。
 自分の内面を見詰め、知る、その練習も本格化していた。


 当時、自分で経験していながら、未理解だったことも、記憶に残っている経験を基に後に理解することになるのだが……。

 日常的に、思いや考えに基づいて、相応の振る舞いや行動をし、相応の結果になる。
 しかも、識別や思考や予想などの情報処理は、条件反射的な速さでできるようになる。
 そういう性質上、それらを客観的に把握することは、二の次になりがちでもある。

 けれども、自分の思いや考えに疑問を感じたりすると、その思いや考えに相応する振る舞いや行動を止めて、思いや考えを確認したり無理や矛盾を探したりたり、解明し解決したりする。
 つまり、振る舞いや行動を止めたり禁止した状態になると、その基である思いや考えが処理されないだけに、活発になる。
 いわば、振る舞いや行動で処理されないがゆえに、相応の思いや考えだけが右往左往する状態になり、その思いや考えを捉えやすくなり、よって解明しやすくなる。

 当時、自室にこもったことによって、そういう状態が創りだされていたことになる。
 理解はできていなかったが、そういうことを感じてはいたからこそ、自室にこもることは理に適っているとも思った。

 このことにも、やがて気づき、意図的に活用するようになる。
 つまり、意図的に行動は止めると、その行動の基になっている思いや考えを把握しやすくなり、解決や理解も可能になる。

 
カテゴリ : ◆無知の悟 「俺は、病気じゃない、異常でもない」

ついに、自分のことを知り始めた。

 
 帰省後。
 根拠や理由があることを行って、損や無駄を減らし、成果を上げることが大事なのだ、と思っていた。
 でも、自分も上辺を繕っているに過ぎない状態だったことに気づいた。が、それも進展だった。
 問題は、異常かもしれないと思っていたことだが、覆すだけの知識が無かった。もちろん、具体的に納得していたわけでもなかった。しかも、受け入れ難いことだった。そうだったからこそ、葛藤し続けていたことになる。
 まして、世に出回っている多数の本に書かれていることは、自分には覆せるはずがない。拒否し過ぎると、むしろ異常者扱いされかねない。そうなることを恐れていた。
 もちろん、当時は、ここまで具体的には把握できなかった。だからこそ、解決できず、むしろ深みに陥ってゆき、三年も経った。
 結局、こんな生き方をして死ぬくらいなら、さっさと死んだ方が増しだと思った。しかも、これは理に適っていると思え、覆せなくなり、思い詰め、実行しようとした。
 が、実行はできなかった。
 つまり、思いや考えに反し、実行することはできなかった。
 その事実関係から、思いや考えには無理も矛盾もあるんだということを知った。
 それでも、生理面は機能しているわけだから、生理面は自律して機能していることも具体的に知った。
 もちろん、死ぬ準備ができていなかったことも、分かった。

 自分に関することで、直に経験し続けていたことなのに、知らなかったことを、ついに知り始めた。


 当時は、主観的だとか客観的だとかは考えたことすら無かった。
 自分のことを客観的に把握することは不慣れだったわけだから、ほとんど主観的だったことになる。
 ところが、考えどおりに、実行することはできなかった。
 そこで、そんな自分のことを、客観視した。
 そして、精神面と、生理面は、きわめて異質であること気づいた。

 精神面は、経験や学習や理解などを以って構成されるだけに、間違いも勘違いも思い込みもあり、考えには無理も矛盾もありえる。
 よって、疑問視や確認をする。だからこそ、間違いや勘違いなどは修正されて、詳しくもなるので、間違いや勘違いは減少し、それだけ成果をあげられるようになる。
 もともと、精神面は、疑問視や確認が必須だった。と言っても過言ではないことになる。

 生理面は、精神面に無理や矛盾があっても機能しているし、むしろ本人が生理面をまったく未理解でも機能している。だから、自律して機能していると言われる。
 自律して機能しているからこそ、通常は未理解でもかまわない。
 むしろ、自分がまだ知ることができない次元で身体が形成されて誕生するわけだし、自身を解剖するわけにもいかず、生理面を理解することは本質的に容易ではない。それでも、通常はかまわない。猫や犬もそうだし、動物に限らず植物までも、そうなんだから。つまり、生理面は、人の理解力を超越していて、絶妙に構成されている秩序に基づいているからこそ自律して機能していることになる。

 つまり、精神面と生理面が、きわめて異質であることに関しては、もともと歴然としていることであり、誰でも直に経験し続けていることでもあるので、むしろ詳しく理解できていても不思議なことではない。
 でも、自分は、当時、気づき知った。具体的に知ろうもとしたが、当時は、ここまで具体的には把握できなかった。

 でも、言葉を使わない猫や犬や人の赤ん坊でも、その振る舞いから察すると、感知している事実や記憶に残っているイメージを参考に識別や思考もしていることになる。
 困窮していた自分にとっては、意識し解明や解決すべきことは精神面であることが明らかになったことになる。
 そうであることは、具体的に理解するまでもなく、意図的に的を絞ったわけでもなかったが、自分の精神面の把握に的は絞られた。


 気づけなかった頃のことや、気づいたことによって気が楽になった事実上、更に具体的なことを知ろうとした。

 自分の考えに無理も矛盾もあったことは明確になり、そんな自分の考えに恐怖を感じた。
 そんな自分の考えに基づいて、行動までしようとした。強行したら、何もかも終りだった。自分の考えや行動を自分で把握できていなかったことも明らかになった。それゆえの恐怖でもあった。

 そんな自分の知識や考えは、もちろん頼りにならなくなったことになる。
 しかも、頼りになる新たな知識や考えは早々に得られるものではないんだから。
 一般的にも、確かで詳しい知識や巧みなことほど、多くの情報を必要とし、それを習得するためには多くの時間を要するわけだから。

 その日の夜。
 眠ってしまうことにさえ恐怖を感じるようになっていた。
 眠る方法までも模索しなければならなくなった。
 精神面の不具合の解明や解決は切実になった。

 死んだ方が増しだと思い詰めたその日のうちに、気持ちや考えが一転し、生きるしかなくなっていた。


 朝。
 目覚めたら、意外だったほど、気は楽になっていた。
 前夜、眠りそうになると、そのまま死んでしまいそうな恐怖感に襲われ、なかなか寝付けなかったのに……。
 その翌朝とは思えないほど、必死さや真剣さは無かった。むしろ、冷静だった。


 意識や識別や思考や判断などの基本的な能力は、目覚めているときにしか発揮できないし、本人の意思に因る。
 気になることを意識し、識別し、考え、知ろうと確かめもするし、もっと具体的なことを理解しようともする。
 逆に、想い出すまいともするし、考えまいともし、見聞きすらしないようにもする。
 生存上でも保身は必須で、わざわざ労働をして得た私物も守ろうとするし、不利だとか不都合だと思うことは隠し偽りもするし、企業秘密や黙秘権は公認されている。
 言い訳もし、嘘も吐くし、暴力的でも正当防衛までは容認される。
 人にもよるが、自分に都合良く行動させるために、御機嫌取りもし脅しもし、騙し欺きもするし、詐欺もある。
 しかも、口封じさえし、自殺もあり、殺人もあり、国際平和を左右する地位にある一国の首相なのに戦争し見知らぬ同士が殺し合う。
 つまり、思いや考えには、間違いもあるし勘違いや思い込みもあり、無理もあり矛盾もありえるし、知能を誤用もするし悪用さえするようにもなる。

 現にそうであることを、具体的に知っているほど、それらに関して具体的に判断することもできるので、むしろ間違うことや勘違いすることは少なくなる。
 でも、そんなことも、当時は知らなかった。

 誰でも、知能が備わっているだけに、経験でき、学習し、上達もし、会話で理解し合えるようになる。
 根拠や理由が乏しかったり、無理や矛盾があると、理解できないし納得もできない。だから、必要なら確かめもする。その結果、根拠も理由もあって理に適っていると、理解でき納得もする。
 学習力も思考力も理解力もあるからこそ、約束やルールや秩序に基づいたこともでき、信頼し合い尊重し合いさえする。
 よって、日常的に経験していることであっても、考えたり確かめたり試したりしたことほど、具体的なことを知ることになり詳しくもなる。
 具体的な判断ができるようになるほど、間違うことや勘違いすることは少なくなる。
 そんなことも、経験済みだったわけだが、当時は未理解だった。

 つまり、日常的に経験していることであっても、考えもせず確認もしないことは、知らないままだったりする。
 知らないことほど具体的な判断はできないので、間違うし勘違いもするし思い込みさえする。
 そんなことも、当時は知らなかったことになる。

 そんなことを知らなかったからこそ、精神面が異常かもしれないと勘違いしつつあったわけであり、異常者扱いされかねないと思い込みそうにさえなっていた。
 しかも、覆すだけの知識も無かった。つまり、具体的に納得したことでもなかった。そうだったこともあり、受け入れ難いことでもあっただけに葛藤していたことになる。
 そこに、自分が困窮した理由があったわけであり、解明できれば解決できたわけだが、そこまで具体的に把握することも当時はできなかったからこそ困窮したことになる。

 ところが、そんな状態で、思い考えには無理も矛盾もありえるんだということは分かった。
 思い考えには無理も矛盾もありえるのが普通であるなら、むしろ多少のことでは異常とは言えないことになる。

 つまり、思い考えには無理も矛盾もありえるんだと分かった時点で、異常かもしれないという勘違いや思い込みは崩壊しはじめたと考えられる。
 もちろん、思いや考えには無理も矛盾もありえるんだということが明確になっただけ、勘違いや思い込みの崩壊も顕著だったと考えられる。

 少なくとも、いろんなことに気づき知った。経験済みなことなのに知らないこともあるんだということも明らかになった。思いや考えには無理も矛盾もありえることも知り、勘違いや思い込みは崩壊し始めた。自分が解明し解決すべき的も絞られていった。
 それゆえの冷静さだったと考えられる。


 死んだほうが増しだと思い詰めた翌日の朝とは思えないくらい、冷静だった。

 想い出した。
 眠りそうになると、そのまま死んでしまいそうな恐怖感に襲われて目が冴えてしまい、なかなか眠れなかったので、眠る方法を模索したが簡単に分かるはずがなかった。
 結局、「もう、本当に死んでもかまわない」と覚悟を決めた。
 そしたら、いつの間にか眠ったのだった。
 その因果関係も、当時は把握できていなかった。
 ただ、そんな夜の、翌朝とは思えないほど冷静だった。

 誤解されるようなことを自ら行うことだけは、慎んだほうがいい。
 そのためなら、自室にとじこもったってかまわない。
 無理も矛盾もある自分の考えや行動を、自分で把握できていないわけだから。
 もちろん、自分に言い聞かせていた。
 自室にとじこもることは、自分の場合は決して間違った行動ではない。むしろ、間違ったことをしないために必要なことなんだ。この判断は間違っていない。
 そんなことを思い、自室に閉じこもっていることに引け目を感じなくなったわけだから、更に冷静になった。


「俺は、病気じゃない、異常でもない」


 
 そして、ふと気づいた。
 目は、見えている。
 耳も、聞こえている。
 意識だって、ある。
「俺は、病気じゃない、異常でもない」
 しかも、普段でも分かることだったので、今更のように、単に自覚することを以って確認した。
 目は見えている。部屋の中も見えている。窓の外も、遠くの峰々も、空も、見えている。
 耳も聞こえている。遠くの、微かなざわめきも、小鳥の声も、聞こえている。
 鼻も機能している。何かの匂いがしているが微妙で、何の匂いなのかを特定できないだけだ。
 舌も機能している。唾液の味なのか、いつもと変わらない味だが、たしかに味がしている。
 皮膚感覚も機能している。座っているので尻は押されていることが分かるし、随所で衣服が触れているのが分かるし、温度さえ感じている。
 もちろん、意識もある。物事を識別することもでき、現に考えることもできるし判断もできている。
 知能や、その基本的な機能は、平常どおりに機能していた。
「間違いない。俺は、病気じゃない、異常でもない」
 知能や基本的な機能が平常どおりに機能していたことに、気づき、確認し、知っただけに、明らかに気が楽になった。

 平常どおりに機能しているか否かだけに、それは普段でも分かることだった。
 確認するにしても、道具も要らず準備すら必要無いことだった。
 でも、その時までは考えたことも無かったことだった。だから、知らなかっただけだった。

 平常どおりに機能していることを知らなかったからこそ、むしろ精神面が異常かもしれないと勘違いし、異常者扱いされかねないと恐れ、思い込みそうにさえなっていた。
 しかも、具体的に納得したことではなかったし、受け入れ難いことでもあったからこそ葛藤していた。

 ところが、精神面は平常どおりに機能していることに、気づき、確認もできた。
 よって、異常かもしれないという勘違いや異常者扱いされかねないという思い込みは、かなり崩壊したことになる。
 思いや考えには無理や矛盾もありえることなどを知った段階でも、異常かもしれないという勘違いや思い込みは、かなり崩壊していたと考えると、この段階でほぼ崩壊したと考えられる。


 もともと、精神面に関することは、誰でも最も直に経験し続けていることである。
 相応のことが記憶にも残っている。
 だからこそ、普段とは違うだけでも気づく。どこかが痛かったり、見えなくなったり、聞こえなくなったり、異常があれば直ちに気づく。むしろ、不具合程度のことがあっても、気になる。
 言い換えると、普段は、不具合が無いだけで、平常どおりに機能していると判断され、異常だなどとは思いもしない。
 そうであることを知っていれば、そのことに関しては勘違いもしない。

 もちろん、日常的に経験していることでも、考えたり確かめたり試したりするほど、知ることにもなり詳しくもなる。
 つまり、日常的に経験していることであっても、考えもせず確認もしないことは、知らないままだったりする。
 こんなことも、当時は知らなかった。

 肝心な事実を知らないことだからこそ、そのことに関しては勘違いもする。
 肝心な事実を知らないからこそ、勘違いを覆すこともできない。
 覆せないことだからこそ、場合によっては思い込みもする。
 でも、具体的に納得したことでないと、受け入れ難い。
 そういうことも、考えたことすら無かっただけに、当時は知らなかった。

 つまり、異常かもしれないとか異常者扱いされかねないという概念は、肝心な事実が伴わない勘違いや思い込みだった。
 もちろん、そうであることも当時は知らなかった。

 ところが、精神面が平常どおりに機能していることに、たまたま気づき、単に自覚することで確認もできた。

 やはり、異常かもしれないとか異常者扱いされかねないという勘違いや思い込みは、肝心な事実が伴わないだけに、この段階でほとんど崩壊したと考えられる。


 ところが、問題は、「自分のことをあまりにも知らないことなのだ」ということが一段と明らかになった。

 三年前のあの日、自分のことを勘違いしていたことに気づき、落ち込み、平常心を取り戻すことができなくなったことで、肝心な自分のことをほとんど知らなかったことは決定的になり、孤独に陥った。
 つまり、自分に関する、どんなことを知らないのかは、知らないことだけに捉えようも無かった。
「自分のことを知らないということは、どういうことなのか」を、具体的には捉えることはできていなかった。
 が、経験済みなのに、知らなかったことを、次々に知ったことによって、「自分のことを知らないということは、どういうことなのか」を捉えやすくなった。

 もちろん、もっと具体的に把握し、解明しようとし、不具合があるなら修正しようともするようになった。
 その結果、後に解明したことを以てしか、この当時のことは書けないと言っても過言ではないので、こんな書き方をしているわけだが……。

 
カテゴリ : ◆無知の悟 「俺は、病気じゃない、異常でもない」

未理解だったから、困窮した。

 
 四月十六日。
 都会を後に、夜通し走った。
 濃霧により、東北道から下りた。
 遠くの方に小さな明かりが散在していた。
 子供の頃から見慣れた光景に近づいていると思え、心は安らいだ。
 明るくなり始めたのは盛岡の辺りだった。
 北上するほどに、残雪が目についた。

 やがて、尾根の北側を通る長い坂を登り、道路脇に残雪を見ながら西方向に走り、尾根を越えた。
 正面に見えた山は、子供の頃から見慣れた山だった。
 辺りでは最も高いが、標高七百メートルほどで、友達と幾度か登ったことがあった。
 山頂近くの北側の沢には残雪があった。
 山なのだが、寛大さを感じた。
 春に、この山を見るのは、六年半振りだった。
 単に背き続けた結果になったことを悔い、山に詫びた。
 自分が育った村は見えないが、正面に見える山の東側の麓にある。
 その村に向かって、しばらくは延々と下ってゆく。

 家には、誰も居なかった。
 四月半ばだけに、雪はほとんど消えて無いので、父と母は畑へ行って農作業をしているのだろう。
 家の中は暖房が欲しいくらい寒かった。
 都会とは違い、あまりにも静かだった。
 空き家にでも入ったような感じがした。
 都会で暮らした六年半の内に、長男だという漠然とした義務感で、事情を話して会社から休みをもらい、三度は農繁期に帰省したのに……。
 家の中で好き勝手に動き回ることさえ躊躇われた。
 自分が育った家に帰ったのに……。
 孤独だった。

 母が産まれ育った家で、自分も産まれた。
 その後、この家を建てて、自分たち家族が分家した。それは、自分が8歳の年だったと幾度か聞かされた。
 半完成の時点で、二階の三畳の物置部屋に、父と長男の自分と二人で一泊したのだと。

 いろんなところにある子供の頃の落書きが目についた。
 たしかに、この家で、知らないことを憶えて育ったのだ。
 自分が育った家に、帰ったのだ。

 都会で、己の未熟さを知っただけに、年甲斐も無く親を頼ったような気もしていた。
 けれども、心の底では、家に帰ると自分の心が形成された頃に戻れそうな気がした。
 むしろ、自分の心が歪んだ頃に戻れそうな気がした。
 でも、その具体的な理由は無かった。帰省するとなると、あからさまにできないことでもあった。そんな気持ちの底の方に抑え込まざるをえなかった。

 帰宅した父も母も驚いた。
 予告無しの帰省だったわけだから。
 父も母も、嬉しそうでもなかった。視線を逸らしがちだった。
 それが、気になった。
 手土産も無い。
 土産話もも無い。
 馬鹿息子扱いして育てたんだから、文句はあるまい。
 まして、自分で解決できない個人的なことは話すだけ無駄だ。
 話したところで、解決できるはずがない。
 話そうものなら、更に馬鹿息子扱いされるに決まっている。

 農作業の手伝いを始めた。
 こんなことでは駄目だ、と思えることが次々に目についた。が、偉そうなことは、切り出せない。
 しばらくは、必要なことだけしか話さなかった。


 田植えが済んで間もない頃。
「除草剤を使ったのに、人でも除草するなんて、どうかしてる」
「なに」
「お金を出して手に入れた除草剤を、労力を使って田んぼに捨てているようなものだ」
「おまえなんかに、何が分かる」
「知らなかったことを憶えることができ、上達もできる。根拠も理由もあることを行うようにすれば、無駄を減らせるし、成果を増やせるようになる」
「……」

「自営業なんだから、お金を使い、労力まで使って、尤もらしいことをやっているだけじゃ、ますます貧乏する」
「……」
「こんなことばかりじゃ、朝の暗いうちから夕方に暗くなるまで、一生懸命働いている振りをしているに過ぎない。自営業なのに、こんなことをしているなんて、馬鹿げている」
「おまえは、都会で駄目だったから帰ってきたんだろ」
 母は反撃した。
「……」
 返す言葉が無かった。
「そんなおまえが、親に向かって言う言葉か」
 父までも怒らせてしまった。
「……」

「小学校の入学式で、校長先生に名前を呼ばれると皆は返事をした。なのに、おまえだけは返事をしなかった」
 その話は、母から幾度も聞かされた。
「……」
「大勢の前で、どんな思いをしたか……」
 母は泣き出しそうだった。が、上辺だけの演技だ。
「俺の所為にするな。まえたちが、そんな育て方しかできなかったからだろ。読み書きも満足にできないのに、憶えようとしない。自転車にも乗れないのに、憶えようとしない。免許も取ろうとしないんだから」
「それが、親に向かって言う言葉か」
「じゃあ言うが、俺たちが子供の頃、和裁の内職をしただろ。数十万円もする反物を持ってきて、裁断して、紋付だとか、訪問着、花嫁衣装、寝具などを縫い上げた。あれは、和裁を一通り憶えたからこそ、根拠も理由もあることをできるようになれたからだろ。だからこそ、着実に収入も得られたんだろ」
「……」
「親父だって、冬場には雪山で木を伐採して、認められるような仕事をしたから、着実に収入も得たんだろ」
「……」
「それとは逆に、内職仲間が、裁断を間違えたりした場合は、弁償したり買い取りになったりして大損をした話も当時していただろ。知識や技術を習得していてでさえ、間違いも失敗もある。まして、見た目だけ尤もらしいことをしているだけでは、成果はあるはずが無い。無免許運転は事故の元だから、取り締まるんだよ。上辺だけ尤もらしいことをしていることは、その類でしかない」
「ああ、聞きたくない」
 ヒステリックにわめいた母は、理解はできたからだろう、泣きながら訳が分からないことをわめいて、どこかへ行ってしまった。
「自営業なのに、そんなことをしているなんて馬鹿げている。農業とはいえ、肥料や農薬や資材なの経費は必要なのだ」
「……」
「こんなことじゃ、会社だと、成り立たない、倒産する。社員なら、仕事をしたとは認めてもらえないし、『明日からは来なくてもいい』って言われる」
「……」
 父は、何も言わなかった。
 が、理解はできたからだと考えられた。

 長男である自分が、背き続けただけに、容易には両親の理解は得られそうになかった。
 自分の説得材料も、郷里には無かった。
 都会の方が増しだと思い、二度、三度、上京しようとした。
 そもそも、こんな家を嫌ったから、中卒後に家出し、帰省するのが嫌だったから都会で就職し、背き続けたのだ。
 ん。ということは、自分の心が歪んだ理由が、自分が育ったこの家にあることは、ほぼ間違いない。
 自分にとっては、その解明の方が大事だ。
 自営業に希望を託して帰省することにしたが、あれだって建前だったのだ。
 こんなことで家を出れば、もう戻ることは自分が許せない。
 これからは、父も母も親戚に迷惑をかけることは目に見えていた。
 良品を生産できれば専業農家としてやっていける規模であり、生産物の、米が一袋の重さ三十キロ前後、リンゴが一箱の重さ二十キロ前後ある。
 なのに、両親は、自転車にも乗れず、免許も取らない。
 すでに、運転関係も、力仕事も、長男である自分がやるしかない状態になりつつあった。


 嫁いでいる姉が、盆暮れには来客があって実家には来れないからと言って、子供たちを連れて遊びに来る。
 その都度、手土産を目の前に広げ、母の肩を持つ。
 それとは逆に、親の言いなりにはならず、厳しいことを言う自分には、目もくれず厳しい口調で非難しがちだった。

 年の暮には、都会に就職している弟が、帰省した。
 都会の役所勤めで、仕事をしながら大学を卒業したことも、母にとっては自慢だ。
 しかも、土産は忘れず、昇進したからと言って今までよりも多い小遣いを母にあげて、母の肩を持つ。
 長男の自分は、中学校でもほとんど勉強しなかったし、家出もし、長年背き、帰省したが、親の言いなりにはならず、むしろ厳しいことを言うわけだから、一蹴され、聞く耳も持たず、見下されていた。

 もともと、上辺を繕っているだけで、見た目だけで判断しがちな母は、次男が上京した後も、すっかりいい気になっていた。
 思えば、姉が嫁ぎ先に戻った後も、そうだった。
 母は、長男の自分に対しては不機嫌だった。

 自分は、自分のことを勘違いし思い込んでいたことには気づけたものの、その具体的な事実関係は未理解だっただけに、当時は、母のことも姉のことも弟のことも理解に苦しんだ。

 自分は、背き続けはしたが、悪いことはしていない。
 少なくとも、都会で暮らした六年間中、会社から休みをもらって、秋の農繁期に三度は帰省した。
 高額ではなかったが幾度も送金した。
 家の前の小屋を建てたときも、お金が足りないと手紙に書いてあったので、送金した。
 帰省して家の実体を知っただけに、いい加減なことは減らして、根拠や理由があることを増やして成果を上げようとしていた。
 上辺だけの良い人を演じ合って親子で騙し合うようなことは、当時の自分には到底できないことだった。
 長男である自分のことが、全く評価されていない。その理由が分からなかった。

 そもそも、姉にも弟にも、責任感は感じられなかった。
 姉が嫁ぎ、弟が就職しているわけだから。
 しかも、暇なときに遊びに来ているに過ぎないんだから。

 この家で暮らしていない姉も弟も、この家の実態は知らないし、母の正体も知らない。
 自営業にもかかわらず、いい加減なことばかりして、強引なことをしてまでも上辺を繕っているに過ぎない。
 それは、この家の改善すべき課題だったわけだから。
 改善できないとしても、根拠や理由があることを増やすようにして成果をだす必要があった。
 なのに、母も姉も弟も、上辺だけ良い人を演じ合って、親子で騙し合いをして、いい気になっているだけだった。
 それは改善すべきことなのに、全く逆の助長をしていたわけだから。

 つまり、この家を、長男である自分に押し付けようとしていた。
 だからこそ、従順ではない長男である自分に対して、母も姉も弟も父までも不機嫌だった。
 むしろ、長男である自分に服従を強いようとしていた。
 長男である自分が言うことには、聞く耳を持たなかったわけだから。

 ということは、自分が帰省しなかった六年間も、姉は子供たちを連れてきて、同じようなことをしていたと考えられる。
 弟も、毎年、年の暮には帰省していたというわけだから、そうだったと考えられる。
 長男である自分が帰ってきたのに、歓迎はされていないんだから。
 無理や矛盾だらけだった。

 母も姉も弟も、すっかりいい気になっている。
 が、それだけの、根拠や理由が無い。
 なのに、偉そうに振る舞い、長男である自分を馬鹿息子扱いして見下している。

 当時は、ここまで具体的には把握できなかったが、いろんな問題があることは明らかだった。
 けれども、子供の頃から馬鹿息子扱いされ、現に見下されている自分が、改善することは不可能に近いことばかりだとも思えた。

 後に分かることだが……。
 根拠も理由も無い、上辺だけの騙し合いには、成果など無い。
 知らないとか間違いとか勘違いとか思い込みとかは、意図的なことではなく悪意も無いので、多くの場合は日常的に修正も行われる。
 でも、認め難いとか知られたくないといった要素が加わると、そういう考えが伴うことであり、当然に修正が難しくなる。
 まして、隠し偽ると、それは意図的なことであり、しかも相手を信用しないことでもあり、騙し欺く類のことでもあり、それだけ修正が困難になる。
 母は、上辺だけを繕っているに過ぎず、騙し欺いているようなものでもあり、それでもいい気になるのは無知で愚かなことでしかない。
 その場合も、認め難くなるようなことをしていることになる。
 しかも、肩を持ってくれて、母をいい気にさせてくれる娘や次男を批判視することも至難になる。
 すでに六年間もそうしていたとすれば、反省することすら不可能に近い。
 長男である自分を、馬鹿息子扱いするほど、母自身が考えを覆し難くなる。
 つまり、悪循環に陥り、もがき、泥沼化するだけだ。
 いわば、自縄自縛地獄だ。
 もし、そういうことを知っていながら、姉も弟もああしていたのだとしたら、正気ではない。
 でも、見下されている長男である自分が言うことは、ことごとく逆鱗に触れるわけだから、全く知らないでは通らない。
 とはいうものの、強情を張らせ逆上を煽るだけなら、これも逆効果にしかならない。
 それは避けたい。
 その先にあるのは、暴力による決着であり、無理矛盾どころか単なる横暴だ。
 自ら災いを招くようなものだ。

 当時も、結果的にそうなるであろうことは連想でき、そうなることだけは避けようとした。
 そこまで具体的なことは知らなくても、根拠も理由もあることを行って成果を上げるべきだという自分の主張が、受け入れられる可能性はほとんど無いことも分かった。
 となると、根拠や理由や成果を主張している自分も、相応のことはできていない。
 もちろん、この家では、相応のことができる可能性も無いに等しい。
 ということは、根拠や理由や成果を主張している自分も、上辺を繕っているに過ぎない状態にある。
 当然に、口先だけだと思われている可能性もあり、上辺を繕っているに過ぎないと思われている可能性だってある。
 しかも、個人的なことも、不都合なこととして隠している。
 自営業に希望を託したが、建前だったことも。
 根拠や理由や成果を主張したところで、何でもできるようになれるわけでもない。
 どれだけのことが実際にできるようになれるかとなると、自信など無い。

 反面教師とまではいかなかったが、家族関係に阻まれ、はね返されるように、自分も上辺を繕っているに過ぎなかったことに気づいた。
 しかも、このことに気づいたことによって、個人的なことの方が進展したことを自覚した。
 残念ながら、理解することによる効果は未理解だっただけに、具体的なことを理解しようとまでは思わなかった。
 でも、あくまでも、自分にとって問題なのは、自分のことを勘違いしていたことであり、自分のことを知らなかったことであり、それゆえの孤独であり困窮であり、それらこそが解決すべき課題でああることを再認識した。


 見えない壁のようなものを捉えようと、独りになりがちになった。
 訳が分からない親には、かまっていられなくなった。

 考え込みがちになった。
 見えない壁に直面しているような状態が顕著になった。

 が、冬場になり、地元で日雇いの仕事をした。
 単純な肉体労働であり、郷里の知人ばかりでもあり、支障が無いことを話し、冗談を言い、笑って過ごすと、気は紛れた。
 でも、仕事が終わって、帰宅すると、個人的なことは何も変わっていない。

 自分のことを勘違いしていたことに気づき、独自には一向に把握できず解決できなかっただけに、自分のことをほとんど知らないことを思い知らされる日々だったわけであり、自分のことを知る努力をするべきだったのだが……。
 他を頼り、書籍を買い漁りはじめた。
 新聞の広告を見て、頼りになりそうな本があると、メモをし、定期的に通院する母に買ってきてきてくれるように頼み、書店に無い場合は注文してもらった。
 入手した本には、対人恐怖症、被害妄想、躁鬱病、精神分裂病(当時の名称)、甘え、など書かれていて、それぞれに自分は該当した。
 つまり、ことごとく病気や異常者扱いだった。

 でも、自分は、自分のことを勘違いしていたことに気づき、自分のことをほとんど知らないことを知り、孤独に陥った。
 具体的なことは知らなくても、自分で経験した経緯上では、勘違いや知らない類だ。
 自分でさえ異常ではないかと勘違いしつつあったが、具体的に納得できたわけではなかったので、そうだと思い込むわけにもいかずにいた。
 病気や異常だとは、受け入れ難かった。

 でも、知識人が本にまでしたとなると、自分には覆せない。
 不安になり、自信が無くなり、人間関係が煩わしくなり、相応のことは次々と断った。

 自分の考えを救ってくれる本には、出会えなかった。
 あくまでも個人的なことだったのだが、そうであることを忘れて、他人が書いた本を頼っただけに、そうだったことを忘れていた。
 入手しても、しだいに本には目も通さなくなった。
 注文してあった本が届いても、積み上げられるだけになった。
 結局、本を買うのは止めた。

 でも、知識人が書いて売られている本の内容がそうである以上、それに該当すれば、少なくとも病気扱いされることは間違いない。
 むしろ、本では精神異常者扱いだ。
 それを頑なに拒もうものなら、間違いなく異常者扱いされるだろう。
 度が過ぎると、犯罪者と同様に鉄格子のある部屋に閉じ込められかねない。
 だったら、せめて病気扱いされた方が楽だ。とも思った。
 が、病気や異常だという捉え方は、受け入れが難かった。

 精神面だけではなく、実生活上でも独りになりがちになった。
 畑の尾根を越えた直ぐの所に杉を伐採した西向きの斜面が有り、そこへ行っては抜根に座り、帰省した際に寛大さを感じた山を見ていた。

 二年目の冬場は、人と関わるのが嫌で、日雇いの仕事もしなかった。

 春になっても、自室から出ること自体が嫌になった。
 このことを、四面楚歌、疑心暗鬼、などというのだろうと思った。
 自分の主張が認められないから反抗しているのだと、両親は思うだろうと考え、それなら好都合だとさえ思った。

 人とかかわるのを嫌うあまり、夜型の生活に変わった。

 見えない壁に直面しているような日々からは、抜け出せそうにすらなかった。

 日中、家にいるのは辛かった。
 結局、死ぬんだ。
 こうして異常者扱いされかねない生き続けたあげくに死ぬよりは、さっさと死んだほうが増しだ。
 そう思ったら、それは理に適っているような気がし、覆せなくなり、そうすべきであるかのように思い詰めた。
 最も簡単に直ちにできる方法で、決行しようとした。
 が、とても辛い。できない。
 こんなことで死んでしまうのか。と思ったら、溢れ出た涙が止まらなくなった。

 断念を考えはじめ、冷静になり、喉が渇いてきた。
 やがて、空腹感までが……。
 身体は……、自分の考えとは関係なく、むしろひたすら生きようとしていたのだ。
 思えば、飲み食いしないだけでも死ねるはずだが、飲食しないことでさえ限度がある。
 呼吸を止め続けても死ねるはずだが、死ぬまで呼吸を止めることだってできないはずだ。
 つまり、自分の考えとは関係なく、身体は生き続けるように自律して機能しているのだ。
 知能だって、もともと備わっている。
 生きるために使ってこそ、発揮し続けることもできる。

 そんな知能で、死んだほうがましだと考えること自体が、無理で矛盾している。愚かだ。
 もちろん、考えていることを、実行することもできなかった。実行できない無理なことも、考えてしまうのだ。
 つまり、考えにこそ、無理も矛盾もあるのだ。

 そんなことも、知らなかったのだ。
 やはり、自分のことを知らな過ぎるのだ。
 自分のことを勘違いしていたくらいなんだから。

 上辺を繕っているに過ぎないことに気づいたのに次いで……。
 生理面は自律して機能していることと、考えには無理や矛盾があることに気づいたことでも、個人的なことが進展したことを自覚した。

 まだ死ねない
 こんなことでは死ねない。
 無理や矛盾だらけの、愚かな死に方なんてできない。
 考えに無理や矛盾があるくらいだから、死ぬ準備もできていなかったことになる。だからこそ、死ぬのが辛いのだ。
 二度と産まれてくることは無い。一度限りの人生なのだ。
 産まれたことや、生きていられることが、どういうことなのかをすら知らないまま死ぬくらい惜しいことは他には無いのかもしれない。

 一転して、恐怖を感じ始めた。
 無理や矛盾があることをまで考える。それどころか、決行しようとまでする。そんな自分の考えに対する恐怖だった。
 自分の考えや行動を、把握できていないことが明らかになったからでもあった。

 生きていたい。
 産まれたことや、生きていられることが、どういうことなのかを、生きているうちに可能な限り知りたい。

 その夜。
 床に就き、眠りそうになると、そのまま死んでしまいそうな恐怖感に襲われて目が冴えてしまうようになっていた。

 
カテゴリ : ◆無知の悟 「俺は、病気じゃない、異常でもない」

あの日、気づいた。未理解だったことに。

 
 油絵の通信教育は、転職を始めた際に止めていた。
 好きで始めたことだけに、画材などはそのままだった。
 休みの日などは、古い木造アパートの一階の南東に面した角部屋で、通信教育時の課題を描いていた。
 その課題を描くのも、やがて止めた。
 そして、自分が描きたいように描きはじめた。
 具体的な物体を描くわけではなく、好き勝手に筆を走らせ始めた。
 カンバスは平面なのだが、空間(空気の部分)を描けないものかと思うようになった。
「これは何?」って聞かれたら、自分でも応えようが無い。そんなことを思いながら、気が向くままに描いていた。

 好天続きの春だった。

 午後、部屋の外では、道路で遊び始めた近所の子供たちの声が、向かいのアパートに反響し始めた。
「知らないことは、できないだろ。バカ」
 その声は、自分が住んでいるアパートの経営者の孫で、お兄ちゃんの保君(小学生)だった。
「できるまでやれば、できる」
 そう言い返した声は、弟の学君(幼稚園児)だった。
 補助輪の無い自転車に乗れるようになりたいのだ……。
 油絵に臨んでいた自分も、似たようなことをしていた。
「知らない字は読み書きできないだろ」
 その口調は、大人に諭されたことを、そのまま言っているような感じだった。
「できるまで練習すれば、誰だってできる。バカ」
 弟が、言い返した。
「へんっ……」
 兄は戸惑っているのか……。
「バーカ」
 弟は悔しかったのだ……。

 そんな子供たちの言葉を基に、自分も子供だった頃のことを思い出した。
 確かに、鉛筆で真っ直ぐな線も書けなかった。書けなかった文字も、繰り返し書いて憶え、修正や微調整をして上達した。
 ナイフで綺麗に鉛筆を削ってくれた父が、その方法を教えてくれた。左手の親指以外の指で鉛筆を握り、右手に持ったナイフを鉛筆の削る所に添え、そのナイフの背を左手の親指で押す。あきらかに、それまでよりも上手に削れるようになった。
 なかなかできなかった鉄棒の逆上がりも、友達が「鉄棒にお腹を近づけた状態でやればいいんだよ」と教えてくれたことで、それからは簡単にできるようになった。
 乗れなかった自転車も、何度も転んで練習し、コツを掴んだから乗れるようになり、中学校は自転車通学だった。
 数年前、見習いで初めて就職したときは、憶えることや練習や上達は必須で、成果をあげられるようになったからこそ信頼された。
 自動車の免許の取得は、わざわざ教習所に通って知識や技術を習得したから、試験に合格し、自由に乗り回せるようになった。
 二種免許も取得できたからこそ、タクシードライバーになれた。
 記憶に残っていることは、それもこれも、子供たちが言っていた通りだった。

 それどころか、どんなことを憶えたのか、どんなことができるようになったのか、それしだいで生活が変わる。
 自分も、もっと早くから知っていれば、もう少しは増しな暮らしをしていたはずだ。
 部屋には裸電球が下がっているだけだった。家具などは無い。
 子供たちが言っていたことは、人生を左右するほど重要なことだったのだ。
 自分は、経験は十分にあり、社会人でもあり、もうじき27歳になるのに、そんな重要なことを知らなかった。

 なのに、すっかり一人前になったような気がしていた。
 それは、根拠も理由も無い、勘違い、思い込み、自己満足、独り善がり、自惚れ、そんな類でしかない。
 心の中で、自分というイメージが崩壊し、その欠片が闇の底へと落ちてゆくのが見えたような気がした。
 初めて経験する精神的な大ショックだった。

 自分のことを勘違いしていたどころか、肝心な自分のことを知らなかったのだ……。
 そこまで気づき、落ち込んだ。

 それ以上は深く落ち込みたくなかったが、自分のことなのに、どういう状態になったのかを把握できなかった。
 さっきまでの平常心を取戻したかったが、どうすればできるのか、その手がかりも見つけられなかった。
 もがけばもがくほど落ち込んでゆく。
 まさに、自分のことをいかに知らなかったかを、体験することになった。


 もちろん、突然、異常になったわけではなかった。
 勘違いに気づくまでも、平常どおりに生活していた。

 日常会話でも、根拠や理由が乏しかったり、事実関係に無理や矛盾があると、理解できないので納得もできなかった。
 それでも、冗談なら笑って済ませる。が、仕事に関することだとなると、不明な部分は尋ね確かめもした。
 確認した結果、根拠や理由もあって無理や矛盾が無いと、理解もでき、良かれ悪しかれ納得もした。
 その上で、自分はどうするかを決めていた。
 つまり、識別力や思考力や理解力も平常どおりに発揮できていた。

 だからこそ、知らなかったことを憶えたんだということも理解でき、上達できたんだということも理解できた。
 そのことを理解できたからこそ、それは、人生を左右するほど重要なことだったことも理解できた。
 つまり、そんな重要なことを、そのときまでは未理解だったことも理解できた。
 よって、一人前になった気がしていたのは勘違いや思い込みの類だったことも理解できた。

 これらのことは、識別力や思考力や理解力も平常どおりに機能していたことを物語っていた。


 けれども、知らなかったことを憶えたんだということにも、上達できたんだということにも、やっと気づいた程度だった。
 もちろん、知らなかったことを憶えることができたのは、どうしてなのか。上達できたのは、なぜだったのか。そういう具体的なことは未理解だった。
 学習に関することを未理解だったからこそ、自分のことを知らなかったことが判明したにもかかわらず、相応のことを知ろうとは思わなかった。

 勘違いや思い込みに関しても、あの日は気づいただけだった。
 もちろん、勘違いや思い込みが、どうして生じるのかなど、具体的なことは未理解だった。
 でも、学習に関することを未理解だったからこそ、勘違いや思い込みに関しても具体的なことを理解しようと思わなかった。

 知らなかったことに気づいたわけだから、本来は、具体的なことを理解できる好機だった。
 知らないことを憶えることができた理由や、上達できる法則や、それとは逆に勘違いし思い込む理由に関しても、理解する好機だった。
 けれども、そんなことにも気づけなかったほど、自分のことを知らなかった。
 それゆえに、知り得るはずのことまでも、知りそびれてしまう。


 まさに、自分のことなのに、知らないことばかりだった。

 知能が備わっていることによって、経験でき学習でき、常用することは上達もし、動作や会話などの基本的なことは記憶にあることを参考に条件反射的な速さでできるほど熟練する。
 それは、記憶に残ったことを参考にして識別し思考し予想もできるようになることによって、相応の確認や練習もでき、実用的なことは常用するようになるからでもある。
 言葉も憶え、記憶に残っていることや気持ちや考えなどを言葉を使って説明できるようにもなって、会話できるようにもなる。つまり、相手が話したことを、自分の記憶にあることを参考に理解できるるようになり、相応の自分の気持ちや考えを文章化して話せるようになる。

 そうなれたわけだから、そうなれたことは、容易に知り得る。が、知らなかった。
 そうなれたわけだから、そうなれた理由や法則などを、具体的に理解することも可能だ。が、未理解だった。

 つまり、熟練したり理解できるようになったことと、そうなれたことを知っていることとは性質が違うし、そうなれた理由や法則などを具体的に理解できていることも性質が違うことになる。

 実際には、識別力や思考力や理解力も平常どおりに発揮できていた。
 でも、そうであることを、知らなかったわけだから。
 そういうことができるようになれた理由は法則も、未理解だったわけだから。

 知らないことは、識別も判断もできない。
 自分が識別し思考していることに関することでも、知らないことは識別も判断もできない。


 もちろん、それでも異常ではない。

 知らなかったことを憶えることができ、上達でき、理解できるようになり、相応の生存の維持管理を行うようになるわけだから……。
 そんな性質上、知らないことは維持管理はできない。
 それに該当する。
 もちろん、その内容しだいでは、自分が困ることもある。


 そもそも、これらのことは、自分に関することであり、自分が直に経験し続けていることなので、何時でも何処にいても知り得ることである。
 成人になる頃には、精通していても不思議ではないほどの条件が整うことでもある。
 特に、識別や思考は意思に因ることであり、記憶に残っていることを参考にして行うことだから、過去のことでも話し会える。そういう性質上、平常時はどうなのかは、何時でも何処にいても考えるだけで知り得ることでもある。

 平常時の識別力や思考力や理解力を知っているだけでも、そうであるか否かは何時でも何処にいても確認でき、平常どおりに発揮できていることを自覚して識別でき判断ができる。
 それ自体も、識別力や思考力や理解力も平常どおりに発揮できたことになるので、更に発揮することも容易になる。

 そうだった場合は、気づくことができたことは、むしろ好機だと捉える。
 しかも、知らなかったがゆえに困ったわけだから、その理由でもある知らなかったことを直ちに知ろうとする。

 もちろん、本来は、成人なら精通していても不思議ではないほどの条件が整っていることでもある。

 ところが、実際には、自分が識別し思考していることに関することも、あまりにも知らなかった。
 自分の精神面が平常どおりに機能していたにもかかわらず、そうであることも知らなかったからこそ、平常どおりに機能していることを識別はできず自覚もできなかった。
 まさに、歴然としている自分のことを、把握できなかったほど自分のことを知らなかったことを物語っていた。


 でも、すでに簡単には理解できない状態に至っていたのか……。

 識別や思考に関することは、記憶に残っていることを参考にして行うことなので、考えるだけで知り得ることではあるのだが……。

 学習や理解の内容が新鮮な時期ほど、それができる理由や法則も理解しやすいことになる。
 つまり、子供の頃に経験や学習の段階毎に順次に理解した場合が、最も理解が容易だということになる。

 肝心なことを未理解な時期が長いほど、相応の勘違いや思い込みのほうが深まる傾向がある。
 そうなるほど、勘違いや思い込みの解消は難しくなり、それだけ肝心なことを理解することが困難になる。

 そういう状態に至っていたのだ。
 勘違いしていたことに気づき、肝心な自分に関することをほとんど知らなかったことに気づくことはできたのに、どうなったのかすら把握できず、どうすれば平常に戻れるのかも知らなかったわけだから。
 どういうことを知らないのか、どういうことを知るべきなのか、そんな手がかりをさえ見つけられなかったわけだから。


 となると、もともと、能力は備わっていて経験も十分だったにもかかわらず、自分に関することをあまりにも知らなかった。
 だからこそ、自分に関することを勘違いし思い込んだ。
 その自分に関する勘違いや思い込みを覆してこそ、肝心な自分に関することを知ることも可能になる。
 でも、勘違いし思い込んだ性質上、それ自体を覆すことは容易ではない。
 けれども、肝心な事実や本来はどうかを知れば、相応の勘違いや思い込みは覆る。
 ならば、自分のことに関する勘違いや思い込みを覆す場合は、自分に関することを具体的に理解すればいい。
 ところが、直に経験し続けている自分のこととはいえ、26歳になったのに、ほとんど知らなかった。それゆえに、勘違いし思い込んでいたわけだから、容易ではないというより、むしろ難しい。

 簡単には理解できなかったし、容易には解決できなかったことも事実だった。

 異常とは言えないのだが、自分が単に知らないだけで、自分で困ってしまうことが存在する。
 もちろん、気づくのが遅れるほど、覆すべきことが多くなり、肝心な復活が困難になる。
 そうであることを、まさに実際に体験することになった。


 知られたくない、という気持ちもあった。
 早々には自分で解決できない世界に落ち込んでしまったことは事実だった。


 タクシードライバーと客は、もともと一時的な関係だが、以前とは異なる距離感を感じるようになっていた。

 空車中、つい、記憶内を探す。が、いくら探しても、自分に関する知識は無い。
 結局、なす術を知らない深い孤独の世界に迷い込んでしまう。

 一向に改善できないので、精神面が異常なのではないかと気にし始めた。
 でも、精神面が異常だと具体的に納得できたわけではなかった。
 もちろん、精神面が異常だとは、受け入れ難い。


 一時的なことだが、楽しくなることを考えただけでも、精神状態は楽になれたはずだったのだが、そんなことは知る由もなかった。

 むしろ、誰もが直に経験し続けている個人的なことだけに、他の皆は知っていて、自分だけが知らないような気がし、想像に過ぎないイメージを基に孤独の深みに陥ってゆく傾向があった。


 でも、唯一の希望を捉えた。
 知らなかったことを憶えることができ、練習相応に上達でき、成果をあげられるようにもなり、信頼された。
 それは、確かな事実でもあった。

 タクシー会社に籍を置いたまま、休んで、また転職を模索し始めた。

 けれども、自分のことを把握できない孤独や、人間不信のような違和感があって、1ヶ月も勤まらなかった。

 技術を習得する職人が自分には向いているのだろうと思い、製麺工場に見習いでも就職したが、被害妄想的にさえなり、そこでも1ヶ月も勤まらなかった。

 そうこうしているうちに1年が過ぎ、あと10日余りで27歳になろうとしていた。
 出稼ぎに出ていた頃には、郷里にはまだ雪があるうちに、次々に帰省しはじめる。
 郷里は農村で、自分の家も農家で、春と秋には忙しい。
 帰るにしても、持ち帰るほどのお金は無い。
 が、農業は自営業だ。
 もともと自分は長男でもある。
 自分が産まれて、知らなかったことを憶えて育った環境でもある。
 そうだったことに気づき、にわかに期待が膨らんだ。
 当時は知らなかったことだが、楽しいことや期待できるようなことを考えるだけで、一時的ではあるが気持ちは変る。

 画材だけではなかったので、レンタカーのライトバンを借りて、郷里で乗り捨てる契約にした。
 ネオンが灯りはじめた都会を後に、それまで背き続けていた郷里に向かった。

 
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当時、自分のことをほとんど未理解だった。

 
 中学校に通い始めた頃には、勉強はほとんどしなくなっていた。
 中卒後は、日雇いの肉体労働をした。
 数年後、冬場の出稼ぎ先だった都会で、春になっても自分だけ帰省せず、建設機械のオペレーター見習いとして初めて就職し、まもなく21歳になった。
 翌年、勤務先を2度か変え、その会社に4年近く定着した。
 が、転職を試みはじめ、当時はタクシードライバーに落ち着きつつあった。

 その間に、都会での女性関係も複数経験した。
 田舎育ちの都会暮らしでもあり、尤もらしく見せかけるだけで、大人振っただけの関係ばかりだった。

 当時は、古い木造アパートの一階の南東の角部屋で、独りで暮らしていた。齢は、26歳になっていた。

 なのに、すっかり一人前になったような気がしていた。


 もちろん、各感覚器官や意識や記憶力にも、異常は無かった。

 学習能力も発揮していた。
 日常的にも、必要なことは次々に記憶に残るからこそ、相応の行動ができたことになる。

 特に、見習いで就職したときは、自分は触ったことも無かった機械の、操作を憶えて、技術を習得して、上達することが必須だった。

 中学校では、学校で教えることはほとんど勉強せず、授業中は勝手に2サイクルエンジンと4サイクルエンジンの原理や構造を理解しようとしたりしていた。
 そんなこともあって、初めて触れるディーゼルエンジンにも関心があった。

 まず、機械の各部の名称を、先輩が教えてくれた。
 故障した場合の連絡や、部品調達を速やかに行うために、できるだけ憶えた方がよいということだった。
「フューエルフィルタはどれだ?」
「え?」
 言われた名称が、記憶に無いか、記憶に有っても思い出せない場合は、言われた部分が目には見えていたとしても識別できない。
 知らない人の名前を言われたときは、その人が目の前にいても特定できないのと同じことだ。

 目に見える各部は、見て憶える。その部分の名称は目には見えないが、耳で聞いて憶える。
「ここは?」と先輩が確認しても、自分の記憶に残っている(憶えた)ことは「噴射ポンプ」などと答えることができた。
 誰かの名前を言われて、その人の名前も顔も憶えている場合は、その人が目の前にいれば見分けられるのと同じことだ。

 日常的にも、部分であっても1個体であっても、形が有ったり色や音や匂いや味なども有ったりし、それぞれが特徴だったりもし、そんなことも記憶に残っている。
 なので、機械が無い所にいても、機械の後ろに燃料タンクが有って、その下にガラスの云々、などと教えてくれることもあった。
 現物が目の前に無くても、記憶にあることだけでも、相応の会話ができる。記憶にさえあれば、その人が目の前にいなくても話題にすることができるのと同じことだ。

 先輩が話した要点を捉え、その要点を基に考えて、相応の応答をしていた。
 識別力や思考力や理解力にも、異常は無かった。
 機械の各部の機能や、それゆえの注意点なども教えてくれた。
「ディーゼルエンジンなので、この噴射ポンプで圧縮した燃料をシリンダー内に噴射する。うっかり燃料を切らすと、この噴射ポンプに空気が入ってしまう。そうると、エンジンはかかったとしても、力は出ない。なので、燃料を入れるだけではなく、噴射ポンプの空気も抜く必要がある。それも仕事に内なので、燃料の補給をする際に実際にやってみせるから」
 各部には、目には見えない内面的な機能や性質があり、それらを組み合わせることによって機械は成り立っている。
 人にも、さまざまな臓器や器官があり、各感覚器官や意識や記憶力などもあり、顔や手足などが有るのと同じことだ。

 機械の構造や原理が分かると、相応の維持管理も可能になる。
 不具合が発生しても、その不具合個所や不具合の理由や不具合の原因などが分かるので、相応の対処もできるし、そうならないように事前に対策をすることも可能になる。
 もちろん、整備に関する知識や技術を習得すると、整備だって可能になる。

 機械自体の走行関係と、その操作レバーや操作ペダル。
 作業機と、その操作レバー。
 どの部分を、どう操作すると、どの部分がどう動くように作られているか。
 自分が思う結果にするためには、どこを、どう操作するか。
 技術的なことになってくると、言葉で説明することが難しくなってくる。
 というわけで、「まず、自分で見て考えて判断して憶えろ」と言われたり「自分で経験して身体で憶えるしかないんだ」とも言われ「『技は盗め』って言うだろ」などとも言われた。

 そんな折、オペレーター不足だということで独りで現場に行かされたが、機械をどうにか動かせる程度だったので、仕事をしたとは認めてもらえなかったどころか、苦情を言われた。
 技術を習得して、上達することが必須だった。

 自分で操作して、感覚的に経験し、目的に適う操作を試み、その結果を見て是非や可否の判断をしては、更に試行や取捨選択などを繰り返した。
 入社時には触ったことも無かった機械だったが、いつのまにか機械に慣れ、少しずつ思い通り操作できるようになっていった。
 機械のことが分かるほど、相応の操作が可能になり、仕事として活用できるようになる。
 観察し、確かめ、試すことを繰り返し、取捨選択を重ねるほど、コツを憶えることができる。
 もともと触ったことが無かった機械の操作を憶えるだけに、憶えたことも上達していることも自分で分かる。
 自信も育ち、学習能力の可能性に期待し、研究心も集中力も増していった。
 修正や微調整なども行えるようになり、随意な操作ができるようになっていった。

 それらのことは、先輩が言ったように言葉では説明し難い。
 技術そのものは、感覚的な識別と、相応の操作なので、むしろ言葉は知らなくてもできるようになれることだった。
 仕事自体も、誰かに説明することとは関係無いこと専念することだった。
 自然を相手に、機械の動きを感覚的に識別し、相応の操作をし、いわば個人的なことで没頭することだった。
 感覚的に感じることが頼りだけに、より微妙な違いも記憶に残り、その記憶を参考にした識別もできるようになり、より俊敏に微妙な操作もできるようになっていった。

「もう、一人前だな」
 そう言われるようになった。
 でも、触ったことも無かった機械を、操作できるようになれて、上達中でもあっただけに、まだ未熟な気がしていた。
 研究心や観察力や集中力も増し、直前での危機回避もできるようになり、より高精度な仕上げをより短時間でできるようになっていった。
 機械ではできないだろうと思われていたことにもトライし、成果を上げるようになった。

 現在までの人生の中でも、自分が習得した技術としては最も高度なものだった。


 もちろん、学習に関することを具体的に理解する場合にも、格好の学習経験だったことになる。
 どうして、知らなかったことを憶えることができたのか。
 できなかったことが、どうして随意にできるようになれたのか。
 どうして、上達できたのか。
 信頼されるようになれたのは、なぜだったのか。
 そういうことは、記憶に残っていることを、関係や理由に基づいて整理をするだけで具体的に理解できたはずだった。
 そんなことを具体的に理解する場合も、リアルな実体験を基にするほど容易でもあり、格好の学習経験をしていたことになる。
 経験した事実や根拠や理由を基に、学習に関することや精神面に関することを具体的に理解すれば、それを基にした識別や思考や予想なども可能になる。
 つまり、理解に基づいた精神面の維持管理も可能になり、理解したことを応用し活用することも可能になる。

 機械も、構造や原理などを知れば、相応の維持管理も可能になる。
 構造や原理などを知っていればこそ、不具合が発生しても、その不具合個所や不具合の理由や不具合の原因などが分かるので、相応の対処もできるし、そうならないように事前に対策をすることも可能になるわけだから。
 もちろん、整備に関する知識や技術を得ればこそ、整備も可能になる。


 現在でも、当時のことは記憶に残っている。
 あの数年後には、学習に関することも理解できた。
 よって、学習の基になる知能の構成要素や各器官の機能などに関することも理解できた。
 知能は人工的には創れないものが備わっているわけであり、それゆえの学習の法則的なことや基本的なことはシンプルなのだということも分かり、理解を深めるほど明確にもなっていった。

 いずれも記憶に残っているからこそ、その学習に関することを基に、当時のことを整理したり理解したりすることは、現在でもできる。
 だから、こうして書くこともできる。


 時間的に経過し変化してゆくことから、その時々の残像のようなものだけが記憶に溜まってゆく。
 そんな性質上、記憶に残っていることは時間的に前後して混在していたり曖昧だったりして、未整理な状態にある。
 その記憶に残っていることを、なんらかの関係に基づいた整理することで、関係や理由などで構成された一連のことを理解する。

 なので、意外なことが今更のように明らかになったりもする。


 でも、記憶も鮮度が落ちてゆくので、当時のような機械操作は、とっくにできなくなっている。
 記憶の鮮度が落ちている今となっては、理解できることも書けることも概要に過ぎない。

 やはり、リアルな実体験を基にしてこそ、理解も容易であり、より具体的に理解できたことは間違いない。
 理解できればこそ、その理解したことを基にした識別や思考も可能になり、他のことへの応用も活用もできたのに……。


 でも、あの頃は、見習いで就職したこともあって、仕事ができるようになることが最優先だった。
 あの頃の新鮮で繊細な記憶は、あくまでも仕事のためのものだった。
 仕事のために、知らなかったことを次々に憶え、上達もし、それを基に仕事をしていただけに、むしろ学習に関することは理解する必要が無かった。
 自分で知らなかったことを次々に憶えて相応に上達したにもかかわらず、その因果関係や理由や法則などについては未理解なままになった。
 学習し技術も知識も習得したからこそ相応の成果を上げられるようになったのに、その因果関係や理由も未理解なままになった。
 未理解なことは、応用や活用はできない。


 都会での初めての異性関係も、仕事のための技術を習得したあの年で、精神面も生き生きとしていた時期だった。
 でも、異性関係では、上辺だけ尤もらしく見せかけ、大人振っただけだった。
 信頼し合う関係になれなかったどころか、破綻した。
 異性関係には、仕事での学習経験は全く反映されなかった。


 春の農繁期には帰省しなかったので、会社に事情を話して休みをもらい、秋の農繁期には帰省した。
 農繁期の後に、自動車の普通免許を取得したが、仕事上の学習経験と比べてしまうこともあって、何の苦も無かった。
 ついでに、大型特殊免許も取得した。


 その後、上京し、ほどなく勤務先を変え、更に変え、転職も二転し、タクシードライバーに落ち着きつつあった。


 なのに、すっかり一人前になったような気がしていた。
 もちろん、勘違いだった。


 本来は、知能が備わっていることによって、経験でき、学習でき、小学生の頃には理解力を十分に発揮できるようになる。
 その後、そうであることを具体的に理解すれば、学習能力の活用や精神管理も可能になったはずだった。

 でも、社会人になり、仕事で学習経験をしたにもかかわらず、理解力は発揮できなかった。
 精神的には、未熟だった。
 とても一人前とは言えない状態だった。


 もちろん、当時は、こうして書こうとは思いもしなかった。むしろ、書けなかったから、書こうとも思わなかった。
 手紙も満足に書けなかったんだから。

 でも、見習いで就職した際、知らなかったから困り、できなかったから困り、それゆえに知ろうとし憶えようとしたわけだから、未熟であることが研究心や集中力の源だった。
 つまり、未熟さを自覚できたからこそ、知能も発揮できた。
 そんなことも、未理解だったことになる。

 だからこそ、いつのまにか、すっかり一人前になったと勘違いし思い込んでいた。
 根拠も理由も無い的外れなことに満足してしまったのも、あまりにも未熟だったからにほかならない。

 勘違いや思い込みとはいえ、すっかり一人前になったとなると、学習努力も理解努力も必要無くなる。
 実際には未熟なのに、備わっている能力も発揮しなくなったから、そんな実態を把握することもできなくなったのだ。

 一人前になったどころか、当時すでに、実際には未熟な世界を彷徨いはじめていたようなものだったのだ。

 勘違いや思い込みは、どういうことなのかも、考えたことも無かった。
 自分の考えや判断が間違っているかもしれないなどとは、思ったことすら無かった。
 精神面の弱点などは、知る由もなかった。


 日常的に理解力を発揮していながら、肝心な自分のことに関しては、ほとんど理解力を発揮しなかったのだ。
 備わっている知能の最も優れた面を、ほとんど発揮していなかったことになる。
 やはり、肝心な自分のことは、ほとんど未理解だったのだ。

 
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序. 今は……

 
 惑い迷うとき、そういうことからは離れ、独りで気持ちや考えの整理をする。
 自分の人生を左右することだから。
 他人がどうだとかではなく、あくまでも自分はどう感じているのか、自分はどう思うのか、自分はどうすべきなのかなどを重視する。

 生きていることは、どういうことなのか。それは、直に経験し続けていることでもある。学習能力もあり思考力も理解力もある。しかも、百年前後も生きる。そんなことを具体的に理解することも、超個人的なことだ。
 でも、生きていることがどういうことかは、誰にでも共通する。人工的には創れない普遍的な面は、猫や犬たちと共通することも少なくない。そういうことを理解することにもなる。

 なので、解明できそうなのに、できない場合なども、同じようなことをするようになったのだが……。


 2016年。久しぶりに写真を再開した。
 写真では進展も無く成果も無かったが、意外にも至福の時間を堪能できた。
 あの、具体的な理由を知りたい。
 あれは、具体的にはどういうことだったのだ……。

 一向に進展も無く成果も無い写真撮影に臨むだけに、「今日は駄目だろう」などという余計な考えは排除した。
 きっとあると期待して臨み続けた。
 峰が幾重も見える広大な空間の中で、独りで、自分の撮りたい自然現象になることに期待して過ごした。

 結局、余計な考えを排除しただけだった。
 それ以外は、何もしなかったに等しい。
 結果的にも、写真に関しては進展も無く成果も無かった。
 余計な考えを排除する練習だけをしていたようなものだった。

 なのに、なぜ、至上の贅沢な時間を過ごせているような精神状態になれたのだろう……。

 むしろ、至福の時間だけは堪能できたから、続けていたような気さえする。
 なのに、あの具体的な理由を、なぜ解明できないのだ……。


 具体的な理由を見い出せなかったり納得できない場合は、勘違いをしているからだったり、的外れなことを考えているからだったりする。
 精神的には、錯覚もあり、勘違いもあり、思い込みだってあるわけだから。
 実行できないことや嘘だって、考えるだけなら容易だ。なので、考えには無理も矛盾もありえる。
 目を奪われ、心まで奪われ、いわば洗脳されたとも知らずに翻弄されもするし、そうだとも知らずに有頂天にさえなる。

 否。そういう方に向かうことは、的外れか……。


 日常的には、何かに気を取られたりし、集中的な識別や思考や判断などをしがちだ。
 記憶に残っている情報にも、気持ちや考えは左右され、真剣になったり、集中できなかったりもする。

 その、気持ちを左右したり考えの基になる記憶は、随意に消すことはできないし塗り替えることもできない。
 勘違いや思い込みも記憶されていることなので、もちろん随意に消したり塗り替えたりすることはできない。

 だからこそ、思い出すまいとしたり、考えまいとしたりもする。わざと他のことを考えたり、気を逸らしたりもするわけであり、考えることは随意に行っている。
 随意に行っていることだから、目が覚めている状態で、考えることを止めてしまうこともできる。
 ただし、日常的には、気になることを意識しがちで、集中的な識別や思考が必要になりがちなので、集中の練習をしているようなものだ。
 それとは逆のこととも言える、目が覚めている状態で考えを止めることは、やったことすら無かったりする。
 やったことが無い場合は、少しは練習しないと、できるようになれない。
 でも、何も考えない状態になるだけだ。道具も要らず準備すら要らず学歴や資格や資金も要らない。
 単に考えを止める、その練習をするだけで、できるようになれる。
 もちろん、誰でもできるようになれる。

 何も考えない状態になれると、その時だけだが、記憶にあることや勘違いや思い込みなどとは無関係な状態になれる。
 つまり、消すことはできない記憶があっても、解明できず解決できない勘違いや思い込みがあっても、具体的な理由を解明できないことなどが頭の中にあっても、それらとは無関係な精神状態になることができる。

 それでも、呼吸器系だとか消化器系だとか循環器系だなどと言われる生理面は、自律して機能している。
 つまり、記憶にあることや考えとはほぼ無関係に、もともと絶妙な構造や秩序に基づいて生理面は成り立っている。
 そうであることによって、生きていること自体が成り立っている。
 そうだからこそ、未学習の赤ん坊でも生きていられ、いろんな動物も植物も生きていられる。
 生後に習得する知識や考えとは比較にならないほど、生理面が優れていることは歴然としている。
 むしろ、記憶にあることや考えに対しては、生理面は絶対的な存在だ。

 そんな生理面だけを体験している状態になったからだったのか……。

 が……、「これだ」と納得できる理由ではない。

 至福の時間を堪能していただけに、あのときは、こんなことは考る必要がなかった。
 あのときの記憶を想い出しながら、その理由を探しているからなのだろうか……、納得できる理由は、いっこうに解明できない。




当時の撮影画像より


 もしかしたら、あの広大な空間の中にいたこと自体に、理由があったのか……。

 大自然の広大な空間の中にいただけに、いわば他界へのルートとか他界への扉とでも言えるようなものを見つけられはしないだろうかとも、幾度も思った。
 それは、自分の人生の、まさに最期の課題だ。
 それを見出せていれば、期待して積極的に他界に臨むことが可能になる。
 それを見い出せることは、相応に心の浄化が進んだ証だとも考えられ、備わっている知能を健康的に発揮できた証だとも考えられる。
 人生の内容が、最期のための心の準備に通じていてこそ、生きたに値するものだったとも考えられる。

 心の準備もできないまま死ぬ、その辛さをかつて経験した。
 その日のうちに気持ちが一転し、眠るとそのまま死んでしまいそうな気がして目が冴えてしまい、しばらくは眠れなかった。
 生きるしかなかったが、その最期の心の準備をするためでもあった。
 猫が死んでも、その時の気持ちを教えてほしいと思った。
 せめて、楽しかったのか幸せだったかだけでも教えてほしかった。
 猫が他界へ向かうたびに、言葉では何も話し合えなかったことを惜しんだ。

 その、最期の課題も、いまだに解決はできていない。




当時の撮影画像より



 でも、
 幸福も……。
 愛も……。

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kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
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