生理面は、自律して機能していて、生存の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 知能も備わっていて、生きていることがどういうことかは、誰でも直に経験し続け相応の学習もするわけですから人生の理由に相当する。
 感じ意識し、記憶を参考に識別し思考し、学習し上達し、見えない約束やルールや法則なども理解でき、理解し合え協力し合え信頼し合い尊重し合えるようにもなる。
 経験や学習や思考や理解、ゆえの信頼や尊重や愛や幸福、それらは売買は不可能だ。
 以上の、普遍的なことや誰にでも共通することが、当ブログのテーマです。
 けれども、進化や自身が形成された経緯や生命生理などは、通常は知らない。
 誰でも共通な知能や経験や学習や理解に関することでも、理解するとは限らない。
 知らないことは想像もするし、自分のことでも勘違いし思い込みもする。目を奪われ心まで奪われ、自分を見失い人生も見失い、そうであることに気づけなくさえなる。
 好みや価値観は百人百様になる。
 普遍的ではなく、共通でもなく、異なることほど、理解し合うことは難しくなる。
 理解し合えず、私利私欲を貪り、相殺し競争で優劣を決め、転嫁し暴力で片づける。
 非理解、非協力、非信頼、非尊重、そういう非知的なことは避けたい。
 つまり、自律して機能している生理面は高度で絶妙な秩序に基づいて成立している。
 が、経験し学習し理解する内容は、限られ、偏りもし、錯覚や間違いや勘違いや思い込みもあり、隠蔽も抹消も偽装も捏造もし、知能を誤用もし悪用さえするようになる。
 そうであることは、マスメディアが発達した現代では歴然としているわけですから。
はじめに 更新2013/01/21
主観的とは 客観的とは  客観的な考え方の特徴は  主観的な考え方の特徴は
「心を開く」とは 「心眼を開く」とは
「悟り」とは 2016/12/27
アルバム「普遍に臨む」  アルバム「趣味の園芸」  アルバム「その他」
Copyright (C) 2012 心を開く 心眼を開く All Rights Reserved.
カテゴリ : 把握できていること&用語集

トラウマとは


 心を整理する際に、意味を明確にしてきた言葉です。
 当ブログ内では一貫するように心がけている言葉でもあります。
 あくまでも個人的なことです。その点は、ご了解ください。
 把握できていることの概要もご参照ください。



 トラウマとは、私の経験上では、次のようなことだと解釈しています。
 きっかけになった事象などはさまざまなのでしょうが、精神的ショックを受けた。そういうことほど、しっかりと記憶に残ります。その記憶に残ったことが、心理的に悪影響を及ぼし、よって行動にも支障が生じるようになったこと。


 もちろん、今は、知っているから、そうだったとも言えます。
 つまり、当時は、自分が経験していることがトラウマなのだとさえ知りませんでした。

 例えば、アイコンとはなんのことか、タスクバーとはどれのことか、それらの名称を知らなくても、パソコンをそこそこに使うことは可能です。むしろ、細部の名称になると、いまだに知らないものばかりです。
 でも、アイコンとはどれのことか、タスクバーとはどれのことか、名称と物事とセットで憶えると、名称を言われただけで、どれのことか分かるようになります。
 この、名前を憶えているか否かが、客観的に理解しているか否かの違いに似ています。

 ただし、理解の場合は、感覚的には捉えることができない事実関係や因果関係や理由などが対象で、それらは思考上で把握することになります。

 ブログの記事は、本人が読みたいものだけを一方的に読むわけですが、個々の言葉の意味や、文章としての事実関係や因果関係を捉え、自分の記憶にあることを基に識別したり解析したり理解したり判断したりします。
 日常会話の場合は、相手が話すことを、自分の記憶にあることを基に識別や思考や理解や予想などの情報処理をして、相応の文章化をして応答します。そういう性質上、目の前にいない相手のことでも、過去のことでも、記憶にあることに基づいたことなら何でも話せます。
 むしろ、意識上のことはほとんど、自分の記憶にあることを基に識別や思考や理解や予想などの情報処理をして、相応の動作や言動や行動をしています。
 更に、相応の結果になり、その結果に一喜一憂し、結果が不本意だった場合は問題点を確かめたり、問題点を修正して再度行ったりもします。
 そして更に、そうであることを理解すると、相応のことが記憶に残ります。事実関係や因果関係や理由などを理解していることに関しては、細部の認否や可否や是非なども分かり、相応の予想や行動なども可能になり、相応の結果にすることもできます。

 つまり、こうして客観的に理解する前でも、実際に主観的にはほとんどのことを行っていることが分かります。
 もちろん、客観的に把握する脳力もすでに備わっているからこそ、すでに主観的にそうしていたことも分かります。
 当然に、記憶に残っていることを確かめるだけで、前述したような(主観的には実際に行っている)ことを具体的に理解することもできる、ということも分かります。
 実際に事実関係や因果関係や理由などを具体的に理解した場合は、その理解した知識を基にした識別や説明なども可能になります。
 通常、事実関係などを具体的に分かっている物事ほど、細部の認否や可否や是非まで判断できるからこそ、迅速かつ的確な対応も可能です。
 こちら「自分に関する主観的と客観的の違い」もご参照ください。

 トラウマにしても、トラウマとはどういうことかを知らない場合は、自分がトラウマで困っていても、トラウマの所為で困っているんだという把握はできないことになります。
 私の場合は、そうでした。前述した基本的なことも、当時は分かっていませんでした。自分が経験していることがトラウマなんだということも、もちろん分かりませんでした。

 精神的にショックだった。当然に、記憶にもしっかり残った。
 そうであることによって、本来は繰り返さずに済みます。

 ショックが大きかっただけに、考えたくなかったし、思い出したくなかったり、知られたくなかった。
 となると、事実関係を把握することを、避けているようなものです。未理解なことは、自覚し難いし、改善も困難です。むしろ、そういうことをしているんだということさえ、自覚できませんでした。

 でも、ショックが大きかっただけに、つい思い出します。
 通常でも、言葉を聞いただけで、相応のことを思い出すから、相応の識別や思考などができ、相応の行動なども可能になります。
 ショックが大きかった場合は、記憶にも鮮明に残り、そうであることによって通常は繰り返さずに済みます。
 つまり、思い出すのには、普通以上の明確な理由もあったことになります。理解力もあり、事実関係を具体的に理解すると、納得した上での対応が可能になります。が、そんなことも知らなかった。

 つい思い出すが、考えたくないし、思い出したくないし、知られたくもない。
 結局、具体的なことを理解し難くし改善をし難くしていただけでした。
 せっかく備わっている理解力を、自分で台無しにしていたようなものでした。
 当然に、具体的なことは何も分かっていない。

 記憶にあるだけに、つい思い出す。が、考えたくない。結局、心理的に悪影響が生じ、行動に支障が生じるようになった。

 そうだったことを、後にトラウマだったと考えるようになりました。

 つまり、当時は、自分の知的中枢や情報処理に関することなのに、事実関係をほとんど分かっていなかった。自分が経験していることがトラウマなんだということも分かっていなかった。

 ところが、考えたくないし思い出したくないし知られまいとしていることに気づき、それでは事実関係を理解し難くし改善を困難にしているだけだったんだと分かった。それだけで、目が覚めたような気がしたものでした。

 その後、自分が識別や思考や理解している知的中枢や情報処理に関して詳しく知り、その悪循環(トラウマ)から開放されました。
 いわば、理解されない記憶が、むしろ勘違いされていた記憶が、理解すべきことがあることを主張し、理解力を発揮する必要があることを叫び続けていたようなものだったのです。

 トラウマという言葉を知ったのは、かなり後になってからでした。その意味を確かめたことによって、自分が経験したことだったんだと分かったくらいです。
 
 
カテゴリ : 把握できていること&用語集

・心を開くとは・心眼を開くとは


 心を整理する際に、意味を明確にしてきた言葉です。
 当ブログ内では一貫するように心がけている言葉でもあります。
 あくまでも個人的なことです。その点は、ご了解ください。
 把握できていることの概要もご参照ください。




 
 
 本来は

 本来は、心は開いています。
 子供の頃には、自分の気持ちや考えなどを、伝えることもできます。教えてもらおうと尋ねもするし、助けてもらおうともします。
 もちろん、知らなかったことを次々に憶え、できなかったことも次々に随意にできるようになります。


 
 
「心を閉ざす」とは

 信用だとか信頼だとか社会秩序だとか、その具体的なことを知らない子供の頃には、そういう説明や説得はできません。
 小さい、大きい。少ない、多い。損だ、得だ。知らない、知っている、嘘だ。といったことが分かるようになると、疑問や不信感も抱き警戒して関わりを拒む。もちろん、自分の意中(気持ちや考えなど)を、他者に知られまいとする。聞く耳を持たなくなったりもします。
 それを、「心を閉ざす」と言います。

 仲が悪くなる。説明や説得ができない。自分が勘違いしていたりする。だから、気まずかったりします。
 でも、不信感や反感や敵意の類を見せたとなると、反省し難かったりもします。言い訳を言い、明らかに嘘を言ったりもします。自分がそうしていることまでも、相手の所為にしたりもします。
 そうするほど、心は閉ざされてゆきます。
 もちろん、知能は本来の機能を果たさなくなってゆきます。


 
 
「心を開く」とは

 閉ざしていた心を、開くことです。自分の意中を他者に知られまいとしていたことを、解除することです。

 仲が悪いと、楽しくない。説明や説得ができないのも、自分が勘違いしていたとしても、悪意ではない。そうであるだけに、子供たちの場合は、比較的簡単に仲直りしたりします。
 つまり、心が開かれていた本来の状態に戻り、自分の意中(気持ちや考えなど)を他者に伝えることができるようになります。
 そういう経験上、知らなかったことを憶え、できなかったこともできるようになった、とも言えます。

 具体的なことを知らないまま、いわゆる強情を張っている状態になっていた場合は、それを改善することでもあります。
 もちろん、経験し学習し理解し随意にできるようになったことは、当然に限られていて、偏りもし、勘違いや思い込みまであります。そういうことを経験したり知ることでもあります。

 そういう性質上、閉ざした心を開いた際には、思慮深くなったり人柄が良くなったり心が広くなったりします。


 
 
「心眼」とは

 心を閉ざす・心を開く。この場合は、自分の意中を他者に知られまいとするか否かが要です。
 心眼の場合は、自分の心を自分で覗ける状態にあるか否か、それが要になります。
 例えば、相手が話すことなどを、自分の記憶のあることを基に識別し思考や理解や予想などもして、相応の動作や言動や行動をして、相応の結果になります。
 また、実際に行動しなくても、単に独りで想像したり考えたりしただけでも、相応の感情の変化が伴います。それは、あくまでも想像に伴ったことに過ぎません。
 そういうことは、自分が識別したり考えたりした内容しだいのことだけに、本来は、自覚したり把握したり事実関係を理解したり無理や矛盾を改善したりすることが可能な状態にあります。
 つまり、そうであるか否か、それが心眼が開いているか閉じているかを判断する要になります。

 ちなみに、そういうことを、すでに理解しているかは、また別です。
 通常、確かめたり試したりしたことは、相応に理解でき詳しく記憶にも残ります。が、理解できる状態ではあっても、それを確かめたり検証したりしないことは、未理解のままです。


 
 
「心眼を閉ざす」とは

 対他的に心を閉ざしたり心を開いたりすることは、子供の頃から行うようになります。当然に、友達も限られてゆきます。
 信用や信頼や秩序を重視するようになっているわけですが、信用や秩序に関することを具体的に理解していない場合は、信用や秩序に関することを指導することも説得することもできません。
 結局、口論になったりしますが、自分が間違っているかもしれない。
 でも、相手を信用できないとか疑い警戒しているといった状況で心を閉ざすだけに、自分が反省する必要も感じなかったりします。
 不仲になるだけに、気まずかったりする。でも、反省するのではなく、言い訳を言ったり、口実を考えたり、明らかに嘘を言ったりもします。
 もちろん、自分を守るためで、相手を侵害することが目的ではないし実害を及ぼすわけでもない。

 でも、自分の気持ちや考えを、隠したり偽ることには慣れます。

 明らかに自分に非があるとか後ろめたい場合でも、不利だとか不都合だと思うことは隠し偽ったり、相手は見抜けないだろうと侮ることも、尤もらしく本当らしく偽装することも可能です。

 もちろん、悩んだり抵抗を感じたりし、反省したり止めたりもします。

 でも、自分の意中は、他人には見えない。見知られなければ、かまわない。実際にやっても、証拠を残さなければ、法律が無罪にしてくれる。
 不都合なことは隠し偽り、上辺だけ優れているかのように工作したりもする。他を侵害するわけではないので、具体的なことを知らないうちに、慣れていたりする。
 綺麗事だけに、最も騙されやすい。私利私欲を貪るために、不都合なことは隠し偽り、尤もらしく工作した、となると詐欺です。綺麗事と暴力は、悪の両輪です。
 表向きは立派に見えますが、原子力発電のように、大変な被害を及ぼすどころか、安全管理自体が不能なことだったことが明らかになったりします。「トイレの無いマンション」と言われながらも、政治レベルで認可していたことが明らかになったりもします。それでも「国民のためだ」と言わんばかりです。

 周知の通り、考えていることや行うことは、信用や信頼を左右します。実際の行為には責任が伴います。

 でも、一流企業でさえ、粉飾決算をしたり、リコールしないで隠蔽したり偽装したりします。
 言うまでもなく、信用や信頼とは逆の、騙し欺き裏切る行為です。
 誰かが全責任を背負ったかのように自殺したりしますが、散々隠蔽や偽装した後だと、何もかもが隠蔽や偽装のように思えたりします。
 実害を及ぼしたのに、責任を取らない。となると、秩序を否定し、自ら人格を捨てたに等しい。法律上、縛ったり鉄格子の中に拘束したり処刑したりし、人より下等な動物と同様の扱いをされることになる。
 加害者が有利で、決して平等とは言い難い法律にも疑問はある。が、秩序の無い世界は不自由で、せっかく備わっている知能の使い方を誤ると自縄自縛以外のなにものでもない。

 その要は、自分の気持ちや考えを、知られまいとし、隠し偽り通そうとしていることです。
 だから、反省し難いし、自分が考えて行ったことを否認します。自分の考えや行おうとしていることを、否認するわけですから、こういう事実関係すら把握できないし改善は困難です。
 改善できないから、相手を攻撃したり、相手を騙し欺いたりします。ますます、認め難く改善し難くなる。
 ついには、自分以外の人を悪いことにし、明らかに犯罪になり、ニュースになる。自分が考えて行おうとしていることの無理や矛盾は棚に上げて、相手の所為にすることに固執したことになります。
 いずれにしても、自分の考えの無理や矛盾を、理解し難くし改善を困難にすることばかり考えて行っていたことになります。つまり、そういうことを自分で考えて行っているのだということ自体さえ、分からなくなる。
 それが、心眼が閉ざされた状態です。


 全く知らないわけではなく、明らかに自責を感じている。が、反省せずに、隠し偽り、否認し、騙し欺くことに徹している。
 相手を騙し欺くほどのことを、考えて行えるわけですから、日常的には、相手が話すことを、自分の記憶にあることを基に識別し思考し理解し予想しして、会話が出来ていることになります。つまり、自分の心を理解できるくらい理解力は成熟していることになります。
 にもかかわらず、隠し偽り騙し欺くことに捕らわれてしまい、自分の心を理解することが困難になった状態が、心眼が閉じている状態です。

 自分が考えて行おうとしていることを把握できないだけに、根拠も理由も無い妄想に陥ったり、無理や矛盾があることでも行おうとしたりします。
 巧く騙し欺けたことで、優越感を感じたり、慢心したり、有頂天になったりさえします。
 ますます認め難いことをしがちで、結局、不都合なことは隠蔽し、すべて相手が悪いことにし、口封じしてしまう。
 でも、実際には、自分が考えて行おうとしていることの無理や矛盾に振り回されるような状態になります。
 隠し偽り騙し欺くだけの世界ですから、秩序も無いし根拠や理由も無いし納得したり充実したりすることは皆無です。


 
 
「心眼を開く」とは

 対他的に心を閉ざした場合は、本人の気持ちや考えでそうしたわけですから、事実関係も分かりやすく、解決も困難ではないです。

 ちなみに、私は小心者で、スケールの大きいことはできなかったどころか、反省するほうに向かいました。
 つまり、私も、不利だとか不都合だと思うことを隠し偽り、都合よく有利に見せかけて騙し欺き、しかも相手の所為にしたりもしたものです。
 基本的なことは、そんな短い言葉で言い表せることでもあり、隠し偽ったり否認することが矛盾していることに気づければ、簡単に理解できます。

 自分の気持ちや考えで閉ざしたわけですから、その事実関係を把握して、閉じたときとは反対のことを考えるなどして開くことになります。
 隠し偽り、認め難くて否認し、騙し欺いた場合は、そだったことを認めて無理や矛盾を理解しないと心眼は開きません。
 心眼を開くことは、到底不可能な状態に陥っている人もいるはずです。
 でも、自分が考える根拠も理由も無い妄想や無理や矛盾に振り回されていた状態から、知能を開放することでもあります。
 心を閉じ心眼が閉ざされた経緯や事実関係を把握することによって心眼が開くわけですが、そうすること自体が、自分が識別し思考し理解することによって成り立っていることを把握し始めたことになり、むしろ、未理解だった自分の心を理解し始めることになるからです。
 そのことを、心眼が開く(開いた)と言います。


 本来の自由の始まりですが、心眼が開いた当初は、具体的なことを知らなかったがゆえに、自信が無く、想像し、勘違いしていたに過ぎなかったことが判明します。いわば、不自由だった理由が明らかになります。
 それは、知能自体は、やっと本来の機能を発揮し始めたことを物語っています。
 また、理解しそびれていたことが次々に明らかになります。そうであるだけに、新たな勘違いをしがちです。が、納得したり自信を得るためには、必要なことは理解する必要があるのだということです。
 心眼を開くことができた人は、それが可能になります。
 具体的なことを未理解だからこそ、自縄自縛の世界にも陥るわけであり、具体的に理解するほど抜け出せるし慎めるようにもなります。
 その先に、秩序がある自由もあります。
 要は、自分が向かう方向が定まっているか、相応の知識や考えが確立できているかです。他人がどうのこうのから、独立することでもあります。
 私の言葉足らずの点も、自分で補えるようになるはずです。
 心眼を開くことができた人は、恵まれています。
 ただし、心眼が閉ざされていた場合は、備わっている脳力は、すでに誤用されていたり、十分に発揮されていなかったり、未熟だったりし、そうだったことに気づくことになります。
 そうだったことに、気づくことによって心眼は開き、備わっている脳力の最も高度な部分が復活し発揮されることになります。
 くれぐれも、精神異常だとか、病気だとか、そういう勘違いをしませんように。

 それまでの無理や矛盾を解明できたこと自体が、自分が識別し思考し理解することによって成り立っていることを理解できるようになったということです。
 つまり、自分の心を理解し始めていることになります。
 理解しそびれていた自分の心を具体的に理解するほど、自分で把握できるようになるわけですから、当然に迷いは減少し、自信に満ちてきます。

 言うまでもなく、他人に惑わされることも減少してゆきます。

 それどころか、自分の基本的なことを把握すると、基本的なことは共通ですから、他人の気持ちも把握しやすくなります。
 むしろ、自分の心を理解できないのに、他人の心を理解できるはずがないです。そうであることを、納得できるようになるはずです。
 

 
カテゴリ : 未分類

ブログタイトル変更



 虚栄や虚勢や妄想は無用 根拠や理由や理性を希望する
  ↑ このブログタイトル、長過ぎて気になりはじめていた。

 数十年前の、こんな季節に、俺は産まれたんだな……。
 そう思う、昨今。

 この際、ブログタイトル、変更しようか……。

 開設・閉鎖を繰り返した中で、今回のブログが最も充実している。
 もちろん、多くの方がアクセスしてくださるからに他なりません。
 そんなわけで、4月に入って準備し始めた記事も、まとまりそうだ。

 心を開く・心眼を開く

 新ブログタイトルは、これに決定。
 というわけで、ブログタイトルを変更しました。

 これまでと変わらぬご愛顧、これからもごよろしくお願いします。
 
 
カテゴリ : 真似句&詩擬

相対的なこと&独自なこと



 馬鹿にされた
 悔しい

 おまえと 俺は 分かり合えない

 でも 馬鹿にされようが 仮に褒められようが 俺は変わらない

 この身体は 名医と言われる人が存在しなくても生きていられる
 この知能は 天才と言われる人が存在しなくても備わっている

 経験し学習し理解したことこそ 限られ偏りもし 勘違いもある

 俺を 馬鹿にした奴こそ明らかに馬鹿だ
 
 

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

カテゴリ : 未分類

そろそろ



 3月に当ブログを開設して以来、沢山のアクセスや拍手をいただきまして、ありがとうございました。
 ブログの、開設、閉鎖、それを幾度も繰り返しましたが、今回が最も充実していました。

 ブログは、自分の心の迷いを知る手段としても、とても良い。

 ですが……、すっかり遅れていた雪解けも、好天に続く雨で加速的に進みました。
 この頃になると、外ばかり気になって、ネタも思い浮かばなくなりがちです。

 この記事を書いている自室(2階屋根裏部屋)の窓の外には、畑も見えます。その中央辺りの10アールほどの雪が、例年4月1日前後に皆無になります。そういう理由で、そこを、雪解けの進み具合を判断する個人的な観測地にしています。
 そこの雪が、今年は昨日4月20日に皆無になりました。
 例年より、20日遅れでした。

 雪が消えてしまうと、大自然の中で貧乏暮らしをするための野良仕事に追われます。

 かつては、私も、他人の指図に服従することで生活していました。
 組織化は高度なことですが、搾取階級に迎合し雷同し加担し助長しているような状態でした。

 今は単なる貧乏暮らしですが、自分の意思に基づいた暮らしです。
 野山に出かけることが好きで、野生の熊とも3度会いました。
 おかげさまで、生きている実感は直に感じて生活しています。

 残念ながら、田舎暮らしをお勧めするほどの具体的な情報は無いです。

 記事の投稿は、ペースダウンどころか、この先の夏場は激減します。
 でも、ロム専として徘徊はし続けますので、よろしく。
 
 
カテゴリ : 真似句&詩擬

独り歩き



 裏では軽んじられている
 裏では馬鹿にされている
 実際には翻弄されていた
 独り歩きができないから

 大人としての独り歩きがまだだ!
 愛想よくするには 相手を間違えていた
 他人の意に適うことは もう止めたほうがいい
 自分の気持ちに基づいた行動を少しずつでもしなきゃ

 方向を定めて的を絞らなきゃ
 大人としての独り歩きを始めなきゃ
 独り歩きできる自分の考えを確立しなきゃ
 大人としての独り歩きだ 自分の意思で始めよう

 それは もともと自由だったんだ
 根拠も理由も秩序もある自由を目指そう
 そこまで行くには愛が必須だ
 が 独り歩きできるようになってこそ その愛も
 
 

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

カテゴリ : 真似句&詩擬

勝手



 知識や考えは個人的にも変化する
 知識や考えを共有するのは難しい
 その共有は家族でさえ限度がある

 心底気が合う人はめったにいない
 自分が良いと思ってしたことでも
 相手は迷惑でしかなかったりする

 迷惑? あ! また余計なことをしてしまったのか
 自分勝手に良いことだと思っていただけだったのか
 そもそも自分勝手が良いことであるはずがないのに
 
 
 

 ご迷惑だった方には、お詫びを申し上げます。「ごめんなさい」

 当ブログでは、「心の縺れを少しでも解こう」と思い、「心の迷路を知り尽くしてやる」という意気込みで、そのための文章化を行っています。
 把握したり理解したりすることが重要なので、それを困難にすることでしかない隠し偽ることや騙し欺く類のことに関しては、暴くような言及もします。
 ですが、心の縺れをほぐすことがメインであり、それは許すことでもあり、責め咎めることは論外です。

 なお、自分の心の縺れを解くことを優先し、専念するための自由を確保するためにも、投稿はペースダウンします。

 見てもらうための一手段だったFC2ブログランキングは、上昇すると良いことをしているような勘違いをしたり、下降すると奮起もするが気落ちしたりもします。なので、余計なことだと考え、止めました。
 クリックして応援してくださった方、ありがとうございました。


 
 

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

カテゴリ : 真似句&詩擬

何故



 専念できない
 不能だ 心機一転
 邪心の方が勝っている
 悪魔の誘惑を振り切れない

 どうでもいいか? そんなはずはない
 会話でさえ部分的に知らないだけでも滞る
 道順を知るまでは目的地には辿り着けない
 根拠も理由もあって辻褄も合っていないと納得はできない

 あ! 根拠も理由も無い想像や妄想の世界に迷い込んでいたのか
 想像や妄想に過ぎないのに半ば勘違いし思い込んでいた
 それなら事実関係を把握するだけで開放される
 医者や手術や薬などはむしろ逆効果だ

 もちろん 大事なことを見失っていたのだ
 道順的なことか? 目的地的なことか?
 それとも まだ邪心だけだったのか!
 ん? 違う 急ぎ過ぎだったのか!

 急ぐから邪心が先に立ちたがる
 だから悪魔の誘惑にも負ける
 自分の心が見えていなかったのだ
 自分が考えていることを見失っていた

 また 一休みするか
 
 

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

カテゴリ : 真似句&詩擬

現実



 やがて喜べるような実態でもなかったのに
 決して喜べるような実態でもなかった
 考えただけで分かったはずなのに
 見ただけで明らかだったのに
 愚かな妄想ばかりだった
 馬鹿なことばっかり
 心機一転しよう
 とにかくもっとよく見なきゃ
 妄想じゃなく現実的なことを確かめ考えなきゃ
 
 

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

カテゴリ : 真似句&詩擬

事実



 何か言えば 嘘になってしまう
 何かをしても 上辺だけになる
 繕うことも止めると 何も無い
 でも 離れたくない
 だから 一緒にいたい
 ね わたしを抱いて


 もし……
 ただのスケベ男がほしいのなら
 早めに他をあたったほうがいい
 え……
 そういう意味じゃないわ
 抱き合ったら それは事実だから


 そんなことしなくても事実なら存在している
 そんなことしなくても可能性だって存在する
 この手足は どんな名医でも造れない
 その頭は どんな天才でも造れない
 この事実を認めようよ
 その可能性を信じようよ
 
 

テーマ : 恋愛詩
ジャンル : 小説・文学

カテゴリ : 真似句&詩擬

幻想



 上辺だけだ
  おまえの目は空をさ迷っている 現実を見ていない

 綺麗事ばかりだ
  実現することを裏付けるものは見当たらない

 騙そうとしているだけだ
  しかも根拠も理由も無い妄想上でだ

 私利私欲を貪ろうとしているだけだ
  期待できる好結果は全く無い

 そんな自分の姿が おまえには見えないのか
  傍目には丸見えだよ
 
 

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

カテゴリ : 真似句&詩擬

悪魔の掟



 散々 人を馬鹿にして
 散々 見栄を張って見下して

 嫌われることを自ら行っていたことに やっと気づき
 見抜けないだろうと侮り騙し欺いて慢心していたことに やっと気づき

 無知で愚かだった自分を馬鹿にするしかなくなった
 無知で愚かだった自分を見下すしかなくなった

 が それは自分では受け入れ難い
 そんなことを自分がしていた

 心を 悪魔に売ったのだ
 天使を 悪魔に売った

 でも もう守る必要など無い 悪魔の掟なんか
 
 

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

応援アクセス、ありがとうございます。
応援アクセスに、とても励まされております。
好みや価値観は千差万別ですが、
それゆえの好刺激も戴いております。
相互応援アクセスのみでも歓迎します。
拍手ボタン等は非表示中です。
よろしくお願いします。
こちらからのお礼の応援アクセスは、
夏期間は随時&随意に致します。
プロフィール

kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
リンク
アクセスランキング
応援アクセス、ありがとうございます。
クリックは不要です。

[ジャンルランキング]
心と身体
296位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
メンタルヘルス
56位
アクセスランキングを見る>>
カレンダー
03 | 2012/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
検索フォーム
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
QRコード
QR