生理面は、自律して機能していて、生存の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 生きていることが絶妙にできていることを直に経験し続ける知能も備わっていて、相応の学習もするわけだから、生きる理由を学習するようなものだ。
 記憶を参考に識別し思考し、学習し上達し熟練し、見えない約束やルールや法則なども理解でき、理解し合い協力し合い信頼し合い尊重し合えるようにもなる。
 生存や経験や学習や思考や理解、信頼や尊重や愛や幸福、それらは理解上成立する。しかも、誰でも理解可能で、無料だ。むしろ、売買すると崩壊する。
 以上の、普遍的なことや誰にでも共通することが、当ブログのテーマです。
 もちろん、進化や自身が形成された経緯や生命生理などは、通常は知らない。
 誰でも共通な知能や経験や学習や理解に関することも、理解するとは限らない。
 知らないことは想像もするし、自分のことでも勘違いし思い込みもする。目を奪われ心まで奪われ、自分を見失い人生も見失い、そうであることに気づけなくさえなる。
 よって、好みや価値観は百人百様になる。
 が、普遍的ではなく、共通でもなく、異なるほど、理解し合うことは難しくなる。
 私利私欲を貪り、相殺して蝕み合い、競争で優劣を決め、転嫁し暴力で片づける。
 非理解、非協力、非信頼、非尊重、そういう非知的なことは、むしろ避けたい。
 そうであることは、マスメディアが発達した現代では歴然としているわけですから。
はじめに 更新2013/01/21
目次:無知の悟「俺は、病気ではない、異常でもない」
主観的とは 客観的とは  客観的な考え方の特徴は  主観的な考え方の特徴は
「心を開く」とは 「心眼を開く」とは
「悟り」とは 2016/12/27
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今年の最終更新

 
 開設しては閉鎖を繰り返し、今春も開設。以来、kisuke(喜助)としては、かつてなかったほどのご来訪を戴きました。
 お蔭様で、今回は閉鎖せずに、生存維持優先の農繁期中も継続することができました。

 また、個人的にも、想像に過ぎない的外れな勘違いや根拠も理由もない思い込みをうんざりするほど経験しているだけに、そういうことが不幸の要因であることも解明でき、ほぼ脱することもできました。

 ご来訪ならびに拍手やコメントを下さった方に、心より感謝し、お礼を申し上げます。
「ありがとうございます」

 最近、大雪で、意外なほど忙しので、これで今年の最終更新とします。

 今年以上に、来る年は良い年でありますように祈念しております。

 なお、FC2ブログでは、アクセスアップ自体も大事なことだと考えております。
 アクセスアップ目的のご来訪も、歓迎します。
 もちろん、好みや価値観は、個人毎に千差万別。当ブログの記事に関心が無くても、なんら不思議ではないですから。
 年末も年始も、アクセス解析に記録された足跡は欠かさずに辿り、お礼と応援の意味で1ポチをします。もちろん、格好の刺激をいただいた場合は、2ポチも3ポチもしております。
 
 
 ちなみに、kisuke(喜助)の人生上の優先順位は……

 優先順位第一位は、生存上、必要なことは誰もが直接経験し続けていて学習もでき理解もできることです。いわば、生きていること自体が第一位で最優先です。
 理由は、この自律して機能している生理面(身体)は、どんな名医でも造れないからからです。
 むしろ、生後に経験し学習したことは、限られ、勘違いも多い。つまり、生存維持や健康管理すらままならなかったり、誰も老化を止められず名医と言えども死を余儀なくされます。
 また、そうであることを理解できるのは、相応の知能が備わっているからですが、この知能も、自分でも理解し尽くせないほど巧妙にできていて、どんな天才でも造れないものでもあるからです。

 優先順位第二位は、その生存の維持管理に関することです。
 理由は、自身には知能も備わっていて、生存上必要なことは本人が直に経験でき、相応の学習もでき、理解もできます。よって、生存の維持管理を行う最適任者は本人であることも理解できるからです。

 優先順位第一位の生理面は、自律して機能している。ただし、生き物だけに維持管理は必須で、その維持管理を行っている中枢が精神面であり行動や結果も左右している。つまり、事実上の中枢の方が優先順位では第二位なわけですが……
 生理面は、自律して機能している。ということは、巧妙な秩序に基づいて成り立っていると考えられます。知能も備わっていて、経験でき学習もでき理解もできるようになるわけですが、自身を解剖するわけにもいかず、自身を理解すること自体に限界がある。よって、学習し理解したことを以っては、生理面は造れるはずがない。
 むしろ、精神面で未理解でも勘違いしていても、つまり自律して生理面は機能している。また、嘔吐や下痢や怪我をしても治癒するなどの簡単には死なない機構まで備わっていて、理解し尽くせないほど巧妙にできている。
 もちろん、それが在ってこその人生です。ですから、自律している生理面がやっぱり第一位です。
 その維持管理を精神面が行っているわけですが、肝心なことを未理解だったり、的外れな勘違いも多く、健康管理もままならなかったりするだけに、むしろ過信は禁物なので、やっぱり第二位になります。

 優先順位第一位や第二位のためなら、他のことには妥協もします。
 つまり、その他のことは、二の次で、遊びなどの類になります。

 特に、的外れなことを真に受けたり勘違いしたりしやすいので、その点は要注意だ。
 褒められれば嬉しいのだが……
 生存上、的外れなことを大事なことだと勘違いしたり思い込んだりしかねない。いわゆる褒め殺しをされかねない。
 見映えが良いものにも目を奪われますが……
 生存上は的外れなことを、いかにも優れたことであるかのように祭り上げて、しかも私利私欲を貪っている場合は、生存上では詐欺と同じようなことであるだけに論外になります。

 誰でも、産まれる機会に恵まれて、生き物を直に体験しているわけですから、奇跡的なことを直に体験している。知能まで備わっていて、学習もでき物事を理解することも可能になる。
 でも、経験し学習し理解することだし、的外れなことでも褒められれば嬉しいし、見映えが良いものにも目を奪われがちなだけに、勘違いもし思い込みもし、むしろ直に経験し続けている肝心な自分のことを理解しそびれたりする。
 そんな知的弱点を悪用して、私利私欲のために、生存上は的外れなことを優れていることであるかのように祭り上げて人々を惑わす連中もいる。

 かつては、そんなことも知らず見抜けずに、むしろ真に受けて優れていると勘違いし、自分は劣等感さえ感じていた。つまり、現在最優先にしていることを、かつては二の次や論外にしていた。
 もちろん、自分が無知で愚かだったからにほかならず、それぞれの自由でもあるわけだが……

 この身体は、どんな名医でも造れない。この知能は、どんな天才でも造れない。
 となると、生存上では的外れなことを優れたことであるかのように祭り上げて私利私欲を貪ることは、論外どころか、それこそが悪そのものではないかとさえ思えてきます。
 そんなことが分かった現在は、かつては二の次や論外にしていたことが、優先順位第一と第二です。
 優れたことであるかのように祭り上げたことに、惑わされることも、もう二度とないはずです。
 とはいうものの、こんなことをやっと納得でき確信できるようになったのに、もう、すっかり爺なんだよな……
 
 
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勘違いだったのか?

 
 雨天続きの農繁期だっただけに、前例が無いくらい頑張ったような気がしていた……
 それを理由に、自分を甘やかし、怠けていただけだったのか……

 まさか…… あの頃の精神状態に戻ることは無いだろう……

 若い頃、想像は頭の中だけでできるだけに、その想像に捕らわれがちだった。
 いつのまにか、先入観まで抱いていた。その、確認したわけでもなく具体的な根拠も理由も無いイメージを基に想像するようにまでなった。
 しかも、自分が考えて判断しただけに、疑問を抱かなかった。
 だからこそ、そういう状態にあることを自覚することもできなくなっていた。
 識別力や理解力などは日常的に発揮していたのだが、そうであることをさえも自覚できなくなっていた。

 そうだったことも、その後に分かった。分かったからこそ、今は自覚できる。が、うっかりしていると、危ない……

 かつて、初めて就職したときは、見習いだった。もともと未知だったことであり、しかも真剣だっただけに、次々に憶えた。
 つまり、知らなかったことを次々に憶えたわけだが、それは具体的にどういうことなのかは未理解だった。できなかったことも次第に随意にできるようになったが、そういうことがどうして可能になるのか、どうして上達するのかも未理解だった。未理解だったことにも理由があったわけだが、それも、もちろん未理解だった。

 でも、学習も経験し、相応のことが記憶にもあり、識別力や理解力や予想力などは、日常的に発揮していた。ただ、それらのことを客観的に理解していないだけだった。
 そうだったことに気づいたときは新たな勘違いまでし、それゆえに彷徨った。が、彷徨ったからこそ、考えに無理や矛盾があることに気づき、確かめて事実関係を整理しただけで具体的なことを理解できることが分かり、理解したことは自覚できるようになることも分かり、いわば自分を取り戻すことができた。

 つまり、知能はもともと備わっていた。
 なので、誰でも赤ん坊の頃から、知らなかったことを憶え始める。つまり、未知だったことも、経験すると相応に印象が記憶に残る。いわゆる、憶える。
 憶えたことを基に、相応の識別や思考や予想が可能になり、相応の随意な言動や動作や行動が可能になり、相応の結果になる。いわゆる、知らなかったことを憶え、相応のことが随意にできるようにもなる。
 もちろん、記憶を基にした識別や思考や予想などの仕方は、大人でも教えようが無い。つまり、赤ん坊の頃に経験を基に独自に憶え始めたことになる。そもそも、記憶を基にした識別や思考や予想などの内面的な情報処理を独自にできるようにならないと、随意な動作などもできるようになれないわけだから。むしろ、赤ん坊の頃に憶えたことを、大人になって忘れ、誤解さえしていた。
 子供の頃は、好奇心も旺盛になり、自発的に憶えようともする。観察したり確かめたり試したりしたことほど、曖昧だったことや勘違いや誤りは修正され、詳しく憶えることができ、相応に細部の認否や可否や是非などの判断も可能になる。よって、ミスは減少し、着実に成果をあげられるようになる。
 その内面的な情報処理とともに二足歩行や会話などの基本的なことは、いちいち考えなくてもできるくらいまで誰もが熟練する。まさに、相手が話すことを、自分の記憶にあることを基に識別し解析し理解し、相応のことに自分の気持ちや考えを加味し文章化して応答し、会話するようになる。
 意識上のことは、記憶を基にした識別や解析や予想などの情報処理が中枢だけに、それに関することも事実関係を整理するだけで理解することもできる。

 そんなことが分かり、それを実践的に確認する気で、未経験だった仕事をあえて引き受け、社会復帰した。
 職場でも、使い慣れた作業台の位置を変えた際に、つい元に在った位置に行ってしまい、しばらくはまごついた。つまり、慣れるだけでも、事実確認をせずに記憶にある情報を基に行動するようになっていた。
 また、情報処理に窮し、首が痙攣しそうになり、同様の最悪だったときを思い出すだけに一層緊張してパニックに陥りそうになった。が、考えや行おうとしていることに無理や矛盾があるからだということは、すでに分かっていた。だから、直ぐに席をはずし、そのとき何を考えていたのか、どうしようとしていたのか、それを思い出す。しかも、そんなことを考え始めただけで落ち着く。つまり、危機感を感じるような想像に捕らわれると悪循環に陥ってしまうからでもあった。そんなことを実践的に確認でき、具体的な事実関係も把握でき、解消もした。
 つまり、仕事をしながら、個人的な精神面に関する理解を深めていた。
 もう二度と彷徨うことは無い、と確信した。

 むしろ、デスクワークの上司は想像だけで、外回りの私のミスだと勝手に決め付け、私にも確認せずに、私の失態として隠し上辺を繕うようなことまで済ませたことを私に告げたことがあった。
 結局、上司が確かめもせずに安易な想像を基に行動したことで、臨時の私が濡れ衣を着せられた。
 私は外回りだっただけに、実際に確認もした。結果、私はミスをしていなかったことが明らかになり、子供たちなどによる悪戯だと考えられた。
 もちろん、私は犯罪を犯したわけではない。上司は、そんなことでプライドを保っているようだ。が、そんなプライドは、私は要らない。
 むしろ、人の心を理解するうえでは、願っても得られない事例中の一人でありえたのだ。

 なのに…… 年数も経っているが、うっかり自分を甘やかし、上辺まで繕い、自分が考えて判断したことだけに疑問視もしなかった。
 要は、客観的に理解でき、理解したことは自覚できるようになり、相応の管理ができるようになる。よって、かつての癖や習慣は二の次にされるが、それに関する記憶が消えてしまうわけではない。が、その古い記憶も、やってはいけないこととして活用しなきゃ……
 反省、反省。

 あの仕事は、まもなく辞めた。
 が、自分は未経験なことで、必要なことをこれから憶えなければならないことを、頼まれても、躊躇い無く引き受けるようになっていた。内心、未経験で必要なことを憶えなければならないようなことを、半ば望んでいた。

 あの頃の気持ちを取り戻さなきゃ。
 人生上では、与えられたことをいまだに処理し切れずに、残業をしているようなものなのだから……
 大願成就こそ、生きているうちにしか実現できないのだ……
 
 
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今シーズンは

 
 まず、これまでの記事を整理することにしました。
 基本的なことだけに、各記事に引用するため、重複し散在しがちです。が、基本的なことこそ、むしろ限られているからです。
 また、整理することによって、これまでそうだったように、何かが明らかになることに、期待もしています。
 特に、記事の基本的なことは、その記事を書いている私の思考に関する基本的なことでもあります。つまり、私の頭の中でも、基本的なことなのに散在している。だから、記事の基本的なことを整理すれば、私の思考中枢も整理されるであろう、というわけです。
 
 整理が済みしだい、最新記事の上にある看板コーナーも整理し、リンクを貼り直します。
 
 
 実は、12月からは集中できるはずだったんですが、今年は予定外のことが多く、意外なほど集中できないのも理由です。
 ……そうです。言い訳です。けど、限られたことに集中するためには、余計なことは諦めたほうがよい。言い訳も、気休めに過ぎないようでも、重要だったりします。
「嘘も方便」とかって言うでしょ?
 あ! ちょっと意味が違うか……
 
「嘘も方便」でWeb検索をしてみたら、見事に違っていました。
 というより、感動するような記事もありました……
 
 ごめんなさい。
 私の場合は、自分の都合だけなので、単なる嘘だったようです。
 
 ああ、ますます集中できなくなりそう……
 
 というより、こんな記事を書いていないで、予定通りに年内には結果を出そう。
 
 
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そろそろ始めるか

 
 農繁期中にも、今度の冬場も心の整理を予定し、その計画などの準備もした。
 が、心の整理は、もう必要が無いような気もした……

 思えば想像による勘違いや思い込みやトラウマや依存症や葛藤やパニックなども、経験を基に事実関係が分かったので、解決している。更に、その基である、学習や理解に関することも分かった。その中枢的な情報処理に関することも分かっている。いかれていたからこそ分かったことであり、まったく個人的なことに過ぎないので、自慢にはならないが、事実に基づいたことであり精神面が一変したことでもあり、今では自信さえある。
 根拠は、各感覚器官や意識や記憶力で構成されている知能は、自分が知る以前から備わっていたことだ。その知能上で経験し学習したことを以っては、変えようも無いどころか、かつては未理解だった。それらの個々の性質や条件も、それらが基になる法則や基本的なことも、かつては未理解だったくらいで、変えようが無い。その法則や基本的なことが理由で、情報処理が可能になるとともに学習も実現する。
 思考が中枢で、行動や結果を左右するだけに、事実関係を整理すれば理解も可能だ。
 それらは、誰にでも共通することでもあるだけに、相手が自身のことをまだ知らないんだということや的外れなことを思い込んでいることや具体的な根拠も理由も無い先入観を基に差別的なことに捕らわれていることなども、自分のほうで分かったりする。
 でも、単に勝気でプラド優先の人ほど、覆されることを嫌う。
 うっかり言及しても、逆上されがちで、逆に相手が心を閉ざしてしまいがちだ。
 そうならないような上手い説明など、できるはずがない。
 そもそも、本人の考えに無理や矛盾があるわけであり、そればっかりは、本人が理解して本人が考えを変えない限り改善されない。
 が、そういうことを、彼らは必要としていない。それどころか、プライドだけは高い。
 結局、上手く説明できない自分が困り、見知らぬ振りをする。
 望まれれば、拒みはしない。
 でも、本人が考えている内容の問題だけに、本人だけが直に知りえるし、本人だけは何時でも具体的に理解できることでもあり、改善するとなると本人にしかできない。
 むしろ、本人が理解し自覚し改善できてこそ、自分で精神面の管理が可能になる。よって、「これでこそ精神的な自立なのだ」と納得することもできる。

 やっぱり、心の整理は、もう必要が無いのか……
 むしろ、創作的なことやろうとも思った。知り得たことの成果を出したいような気がしたりもする。
 だから、準備した心の整理の計画を、開こうとも思わないのだろうか。
 これだけ雪が降れば、今年の野良仕事は、もうできないのに……
 
 
 でも、お迎えが来る前に、相応のことは済ませておきたい……
 死が、いかに受け入れ難いことか、それはすでに思い知らされている。
 死を受け入れ難いのは、相応の知能がすでに備わっているからだということも分かっている。
 すでに備わっていて感覚器官や意識や記憶力などで構成されている知能自体は、生後に学習し理解したことを以っては通常は変えられない。
 それぞれ独特の性質や条件をがあるもので構成されていることによって、情報処理も学習も可能になるが、その基になる法則的なことや基本的なことも変えようがない。
 経験や学習上、感性や知性や自尊心や理性も形成され、生存を保護する(生存を危うくするような行動はできない)ように機能する。これも、考えよりも優先的に機能する。
 つまり、根拠も理由も無い想像はし放題だが、損しそうなことは躊躇したり、危険なことや他を侵害しかねない行動はできなかったりする。
 会話でさえ、部分的に知らないだけで滞る。根拠や理由が曖昧だったり、辻褄が合わないと、納得できない。
 強行は、不可能ではない。が、知識も技術も未習得なことは、好結果にできない。それどころか、大変な展開になりがちだ。そんなことだけでも知っていれば強行はできないし、そんなことをすらしらないと強行してしまうわけだから。
 ただ、知らなかったことを憶えることができ、相応のことは随意にできるようになれる。会話でさえ、根拠も理由もあって辻褄が合っていると納得する。確かなことを憶えたことや詳しく憶えたことに関しては、自覚することもでき、相応の認否や可否や是非の判断もできるようになるからこそ、誤りやミスは減少し、着実に好結果にすることが可能になる。

 やがて死ぬことも、早くから分かっていた。その死を避ける術も知識も、まだ無いことも分かっていた。
 が、そんな歴然としていることをすら、かつては具体的に理解していなかったし、自覚し難かった。むしろ、的外れなことばかりしていたが、そうであることにも気づけなかった。だからこそ、死んだほうがましだと思ったことになり、そんなことをしていたのでは生きているに値しないことを思い知らされたことになり、そういうことでは死が辛くなるんだということを思い知らされたようなものだったのだ。
 結局、死ねなかった。そこで、やっと、考えには間違いがあることに気づき、生存上は無理や矛盾があることさえも考えてしまうことに気づいた。そして、具体的なことを知らないから想像したに過ぎず、根拠も理由も無い想像に過ぎなかったことが分かったことによって葛藤が解消した。
 要は、自分が考えていることをすら未理解で把握できなかったからだと分かり、しかも現に把握でき、把握できたことによって解決できた。そういう経緯上、精神面の軌道修正が実現していた。
 そもそも、肝心な自分に関することを知らなかったからこそ、不安だった(自信が無かった)。なのに、上辺だけ尤もらしく見せかけ偽装していたに過ぎないのに、独り善がってさえいた。ところが、勘違いや思い込みや先入観などは根拠も理由も無いことが明らかになり、そんな勘違いをしていた自分の情報処理に関することを理解することになり、更に自分に関する根拠も理由もあることを理解することになり自信も得て、根拠も理由も無い上辺だけの見せ掛けや本来は必要ないことに惑わされることは激減した。
 根拠や理由や納得などに導かれるように、本来必要なことに的が絞られていったことになるが、人生の終わりに通じる用意は、まだできていない。

 かつては、いつのまにか、そうすべきだとか、こうあるべきだとか、理想論なイメージを抱いていて、それに基づいたことまでしていた。
 自分では気づかないうちに、感性・知性・自尊心・理性などが形成され、少なくとも想像よりは優先的に機能するが、経験や学習上おのずから理想論的なことも形成されるのかもしれない。
 根拠も理由も無い勘違いや思い込みや先入観に過ぎなかっただけに、それらを破壊するように、根拠や理由のあることを理解してきたが、まだ、その理想論的なことは見出せていない。
 もちろん、死に通じる一貫したものでなければ……
 日常的に、的外れなことをしているのではないかという思いが付き纏うが、人生の最後に通じる用意がまだだったからかもしれない。

 ということは、必要なのだ。
 人には、それぞれに専用の知能が備わっている。俺の知能は、俺の人生専用なのだ。
 この身体は、俺が造ったものではないが、どんな名医でも造れないのだ。この知能も、俺が造ったものではないが、どんな天才でも造れないのだ。
 ところが、年々、情報処理が困難になってゆくことも明らかだ。
 でも、これまでそうだったように、心の整理をするだけでも、根拠も理由も無い勘違いや思い込みがあれば修正されるし、必要なこともおのずから明らかになるはずだ。
 たぶん、心の整理は今度が最後になる……
 やるとなると、大整理になる。
 あっ、そんなことが予想されるので、実は大義だった。
 でも、その大儀を、済ませることにもなる。
 やっぱり、やろう。
 
 
 人と言う動物は、家畜と称して動物をわざわざ育てて殺して食べ、弱肉強食の頂点に立つ。他人の臓器を移植をしてまで生きるようになった。無差別殺人もある。国の首脳たちは政界平和を考えているかと思えば、核兵器の開発や領空侵犯や領海侵犯や戦争までやる。つまり、不都合なことは隠し偽り、尤もらしく見映え良く偽装するが、挙句の果てには逆上し力に物を言わせようとする。
 そうしてまでも、自分だけは生きていたい死にたくない、という思いがある。言い換えると、そんなに死は受け入れ難いことを物語っている。
 が、それらは、死を、わざわざ辛くすることでしかない。そうであることを知らないのなら、それさえも死を辛くする。

 受け入れ難く辛さを感じるのは、相応の知能が備わっているからだ。にもかかわらず、相応の解決や理解や用意などができていないからでもある。
 思えば、幼い頃に、「死ぬってどういうことだろう」とか「死ねばどうなるんだろう」などと考えたことがあった。あんなに早くから、やがて死ぬことは知っていた。
 なのに、その答えを得ないまま、かつては的外れな生き方をしていた。死が辛くなるようなことをしているとも知らずに。

 日常でも、備わっている知能を、事前に発揮すれば失敗や損も少なくすることができる。が、衝動買いをして事後に知能を発揮するようだと、後悔することに知能を使うことになる。
 そんなことに懲りて、事実関係を理解して繰り返さなくなれば、失敗は成功の基になるのだが……
 人には高度な情報処理能力が備わっているだけに、惜しみもし、後悔もし、絶望もし、生きているに値するのかを考えもし、想像上パニックに陥りもするし、死んだほうがましだと思い込みもするし、強引に自分を殺してしまったりもする。

 通常でさえ、生後に経験し学習することだけに、詳しくなれることは稀だ。しかも、生存上は的外れなことだったりする。むしろ、知っていることは限られ、健康管理もままならない。
 物事を確かめるよりも、安易な想像をしがちで、的外れな勘違いもし、根拠も理由も無い思い込みもする。その性質上、そうだということをすら、かつては未理解だったどころか、自己満足をし、独り善がってさえいた。

 いずれにしても、誰も老化を止められず、当然に死を余儀なくされる。
 どんなことをして必死で生きようと、死を免れることはできない。
 最後の審判も、誰も避けることはできない。

 死刑台で、己がしたことを、思い知らされるか。生涯を費やして蓄えたものを、全てを失うしかないことを思い知らされ、惜しみ悔やみ絶望して息絶えるか。それとも、死を、抵抗なく受け入れられるか。それらは、備わっている知能を、人生の中で、どういうことに使っていたかに因る。
 かつては、的外れなことに知能を使い、肝心な用意を疎かにしていた。そうなんだということを自覚することもできなかった。つまり、死が辛くなるようなことにばかり知能を使っていたからこそ、死を受け入れ難かった。
 精神状態は、精神面に関することを自分でどれだけ理解しているかにも左右される。
 十分な知能が備わっていて数十年も生きていながら、的外れなことに気を奪われ、肝心な一生を台無しにした状態で死ぬとなると、当然に惜しく悔しい。
 最後の審判は、自ら下すことを余儀なくされる。

 早めに葬るべきなのは、死を辛くするような考えや思い込みや先入観などだったのだ。そういう面では、恵まれていた。
 そもそも、数百の排卵中、受精に恵まれた卵子だけが兄弟姉妹として産まれる。その産まれる機会に恵まれた者だけが、生き物と言われるものを直に体験し、物事の存在なども知ることができる。
 知能も備わっているので、経験でき学習でき熟練もし具体的なことを理解できるようにもなる。
 つまり、自分の意思以前に、産まれる機会に恵まれ、生理面が自律して機能していることによって生きていられ、高度な知能まで備わっている。生涯費やしても設計できないし、こういうものが欲しいと発案することすら難しいほど高度な知能が備わっている。
 生きていること自体が、失うにはあまりにも惜しいことばかりで構成されているのだ。
 だからこそ、一般動物でも、必死に守ろうとするし生きようともするのだろう。

 数十年も直に経験し使い続けたのに、かつては、この知能のことをほとんど未理解だった。
 生後に経験し学習し、意思や考えや好みや価値観などが形成されるが、単に強情だったり我儘だったりもするわけだから、それらを駆使したところで、産まれてくることは不可能だ。

 と言うことは、死ぬときに悔やまなくてもいい、そんな生き方を見出すことができたら、それこそが至福なのかも知れない。
 それを、お迎えが来る前に、確かめなきゃ。
 
 
 そろそろ始めるか。
 雪で行動が制限される冬場にこそ、こんなことに集中できる。
 もたもたしているうちに、また春になってしまうぞ。
 降り積もる雪のように積み重ねようか。
 むしろ、降り積もる雪に埋もれながら、春に芽が出ることに期待するのもいい。

 いずれにしても、自分のペースで行こう。
 俺専用の人生なのだから。大事にするか、粗末にするか。それは、俺しだいだし、俺に任されている。
 人生とはいかなるものかを堪能することも、もともと誰にでも許されているんだから。
 
 
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嵌ってしまうのか!

 
 すっかり筆不精気味だが……
 農繁期中の雨の所為で、野良仕事に必要以上に神経を使っていたからだろう……

 個人に、知能は一つしかない。同時に複数のことは考えられない。
 身体も、個人には一つしかない。高度なことほど同時に複数やることはできない。
 つまり、個人的には、高度なことほど、限られたことしか考えられないし限られた行動しかできない。

 思えば、今使っているブログの背景画などを撮影していた頃……
 前日から確認し準備をしておくのだが、朝、暗いうちにネットで気象情報を再確認し、多少は雲があるようでも、日の出の写真が撮れそうだと、暗いうちに地元の山の山頂に登った。
 暗いうちから早朝までの間にできることだった。繰り返し行くたびに、それまでは知らなかったことが次々に分かった。だから、嵌ったのだ。
 が、撮った画像の整理は欠かせない。寝不足も、他に影響する。
 身体は一つしかない。
 だから、写真は諦めた。
 気象情報などに詳しくなれば、着実にいい写真が増える、そうことが分かりかけた程度だったから諦めることもできた。未練も断ち切るために、カメラもレンズも処分した。
 結局、他のことに嵌ることにしたようなものだったのだ。

 仕事などで、成果を出すことを考えると、相応のことが分かってくるので、おのずからそういう方に向かってゆく。つまり、嵌るからだ。
 若い頃、初めて就職したときは、もともとは初めて経験する仕事でもあった。当然に、進歩や向上が目に見えた。だから、自分の技術を磨くことに嵌ったのだ。
 成果をあげられるようになり、尊重され信頼もされ優遇もされたからでもあった。

 が、肝心な個人的な面が疎かになっていた。
 そんな自分に、絶望した。

 仕事以外では、物事を確かめもせず、想像ばかりし、不都合なことを隠し、都合良く偽る。と、露呈しないように更に尤もらしく偽装するしかなくなったりもした。
 結局、上辺だけや見せ掛けだけで騙し欺く方へと向かってしまう。もちろん、破綻した。つまり、そういうことには、嵌れないのだ。というより、そもそも上辺や見せ掛けだけだったので、肝心なことが欠けていて成立していなかった。

 馬鹿なことを考えた場合も、そう思えてくるし、心配になり、苦になり、そういう方に向かってしまう。
 損した分は、取り戻したい。負けた悔しさは、仕返して思い知らせてやりたくもなる。
 そういうことは、自制が利かないと、まさに嵌ってしまう。依存症気味にさえなる。

 いずれにしても、集中力が限られたことに発揮されるからだ。
 つまり、限られた世界に嵌ってしまうのだ。
 だから、簡単には切り替えられなくなる。
 そうであることを知らないと、むしろ抜け出そうとも思わない。
 だからこそ、とんでもないことにさえ集中力が発揮されてしまう。
 想像の内容しだいでは、不安が心配になり、強がったところで実際には苦になり、自制が利かないがゆえに危機感を感じてパニックに陥る。集中力を発揮して嵌ってしまうんだということを知らず、自制できなかったからこそだった。

 経験上、そんなことも知ったが、自分に関することを、知っているか否か、より具体的に理解しているかは、極めて重要なのだ。この身体は、自分が造ったものでもないし、自分のアイデアを基に造られたものでもないのだから。知能はすでに備わっていて、生後に経験し学習し理解するしかないのだから。
 理解するためには、構成要素や事実関係などを確認し検証する必要があるが、むしろ、確かめ始めると、もともと見ただけで分かることだったり、少し考えただけで分かることも少なくなかった。
 そんなことをすら知らなかったのも、確認せずに安易な想像を頼ったからだった。

 つまり、考える内容を変えると、そっちに向かう。
 期待できるような目標があれば、他のことなんかどうでもよくなる。
 うん。
 そろそろ考える内容を変えなきゃ。
 
 
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ついに冬です

 
 当地は、昨日は大雪で、ついに除雪機を出動させました。

 今日も雪です。

 この雪は、もう春までは消えることがなさそうです。
 
 
 昨日は、地震も!

 またか! と思うくらい当地でも揺れました。

 が、大事には至らなかったようで、ホッとしています。
 
 
 農繁期が終わったことで気が緩んだのか……
 なかなか調子は出ませんが、そろそろ調子を取り戻そうかと……
 
 
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また雨か!

 
 昨日は、積雪30センチ前後で大雪でした。

 で、今日は、また雨。
 
 
 ま……、記事を書いたり更新したり、その感覚を取り戻すために活用させてもらいましょう。
 
 
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また雪景色か!

 
 1週間ほどの間に、3度の雪景色だ。

 例年は、10月下旬には初雪がちらつく。
 11月上旬頃には一旦雪景色になるが、消える。
 そして、12月から本格的な雪景色になる。

 が、今年は、初雪が遅れて、11月下旬だった。
 そのせいか、最近1週間ほどの間に3度の雪景色だ。
 
 
 思えば……
 今春の雪解けが、半月以上も遅れた。
 夏の暑さは、9月まで続いた。
 そして、初雪は遅れて、11月下旬。
 半月以上も、ずれている感じだ……

 どういうことを物語っているのだろうか……
 
 
 この冬は、どうなるんだろ……
 
 
 
カテゴリ : 未分類

雨か……

 
 昨日の朝は、真っ白だった雪景色。
 今朝は、また雨続きだった頃と同じ状態に戻りました。
 
 
 一昨日、積もった雪を除けて、美味しくなったであろう自家用の野菜の収穫を終えました。

 まだ、後片付けなどがあるからかなあ……
 今日は休んだのに、ただボーっとしています。
 聞こえるままに、雨音を聞いて……

 やっぱり、もう歳なのかなあ……

 でも、お迎えが来る前に、心の整理だけは済ませておきたいよなあ……
 
 
カテゴリ : 未分類

もう12月か!

 
 11月は、雨ばっかりでした。
 が、すっかり遅れた雪景色が昨日で2度目です。

◆当ブログへの11月のアクセス数

 ユニークアクセス合計 1,087   トータルアクセス合計 1,600

 11月は、足跡を辿るのが精一杯で、記事に目を通すことは限られてしまいました。
 あしからず。
 そうだったにもかかわらず、たくさんのご来訪、ありがとうございます。
 おかげさまで、閉鎖せずに、12月・冬場に継続させることができました。


 
 雨天続きで野良仕事が遅れたので、まだ少し先になりますが、気になる記事は拝読させていただきます。
 ブログを見ただけでも、好みや価値観が個人毎に千差万別であることが分かりますが、だからこそ新鮮な刺激もあります。

 冬場には、ブログ更新を頑張る予定です。
 よろしく。
 
 
 思えば、秋の農繁期は雨天ばっかりだったが、それゆえにブログの更新が可能な時間はあったんだよな……
 でも、雨天続きで野良仕事が遅れるのが気になって、他のことには集中できなかった……
 それは言い訳で、実はサボっていたのかな……

 あ! もう歳なのか?
 このくらいのことは出来る、そう憶えている。が、実際には、もう出来なくなっている。
 そんな記憶は要らないし、消すなり書き換えるなりしたいが、それもできない……
 
 
応援アクセス、ありがとうございます。
応援アクセスに、とても励まされております。
好みや価値観は百人百様ですが、
それゆえの好刺激も戴いております。
相互応援アクセスだけでも歓迎します。
こちらからのお礼の応援アクセスは、
夏期間は随時&随意に致します。
よろしくお願いします。
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プロフィール

kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

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