そもそも、生理面は自律して機能している。
 それは、直に経験し続けている自分自身の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 備わっている知能で、感じ意識し識別し思考し、経験し学習し理解できるようになり、相応の振る舞いをし、相応の結果になる。
 そこまでは誰でも共通だが、経験や学習や理解の内容しだいで人生の理由は変わる。
 知らないことは想像もし、それゆえに勘違いもし思い込みもし、他に目を奪われもするし心まで奪われもし、肝心な自分を見失いさえする。
 以上のうちの、誰でも直に経験し続けていて共通することや普遍的なことが、当ブログのテーマです。
はじめに 更新2013/01/21
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カテゴリ : 草稿「おまえはボケてはいない」

Ⅱ. 何をしていたのか分からなくなった



 家は、安普請で古い。電話が、私にだった場合も、母は私の部屋の真下の台所から『電話』と伝える。
 その台所から、あの日は、母の嘆きが聞こえてきた。
「あぁ…ボケてしまったぁ…」
 その余韻までが私に聞こえよがしに響いていた。

 でも、母は呼んだわけではない……。
 母は本当にボケているわけでもない……。
 実際には、何かが起きているわけですらない。
 知能を構成している各機能に異常は見当たらない。
 平常どおりに機能している事実を指摘すると、それを自覚でき、結果的に想像や思い込みは止めるからだろう、平常に戻る。
 平常に戻らなかったことは、一度も無かった。
 毎回、一時的なことだった。

 放置しても、平常に戻るはずだ……。
 備わっている知能を活用するのではなく、自分で困ることを想像して思い込むなんて、馬鹿げているんだから。

 でも、母は、繰り返した。
 改善されたわけではなかった。
 悲観的な嘆きは、自棄的になり、あからさまになり、むしろ酷くなっているような気がした。
 母は、本当にボケれば悩みも苦も無くなるのだろうが、そのぶん余計に私が困ることは明らかだった。

 しかも、母が言うくらい目や耳が老化しているのなら、記憶力も想起力も衰退しているのだろう。
 記憶自体が曖昧なものであることは、何かを思い浮かべてみるだけで分かる。それが、衰退しているとなると、その記憶を参考にして行う思考力も理解力も衰退していることになる。
 ワープロ専用機が普及し、パソコンが普及して、それを使うようになったが、手書きは明らかに衰退している。
 幼い頃に経験し学習して十年も費やして思考などで活用できるようになった知能の構成器官や機能だけに、考えることが減少すれば活用しなくなるわけであり、各機能自体が衰退しかねない。
 各機能自体が衰退すれば、考えたくても考えられなくなり、本当にボケてしまいかねない。

 母の嘆きの後、静けさが長引くと、それも気になるようになった。


 居間に続く台所で、母は背を向けて肩を落して呆然と立っていた。
 本当にボケてしまったのかと思い、諦観や寂しさが脳裏をよぎった。
 が、直前に相応のことを考えていたからにほかならない……。

 居間から、恐る恐る私は声をかけた。
「どうした?」
 母は反応しなかった。
「返事くらいしろ」
「ボケてしまったぁ…」
 ……泣いたって、俺は騙されない。
「分別できているだろ。ボケてはいない」
「おまえは自分のことじゃないから、そんなことを言える……」
「おまえこそ、そんなことを言えるのも、その悔しさも、ボケていない証拠だろ。俺は勝手なことを言っているわけじゃない」
「……」
「会話だって成り立っているだろ。目には見えないことを、言葉でやり取りできているんだよ。俺が話したことを、おまえは自分の記憶にあることを参考に識別したり解析したり理解したりして、それに対する気持ちや考えを文章化して応答している。とても高度なことだ。そんなことが、現にできている。ボケているはずがない」
「……」

「ボケたと思う理由は?」
「何をやっていたのか、なんにも分からなくなった……」
「そうか。でも、それだって、目には見えない自分の内面を、客観視できているからこそ言える。しかも、目には見えない事態を、客観的かつ的確に把握できていることになる。もちろん、俺には見えないし、俺は把握できないことを、おまえは把握して、それを言葉にして、俺に伝えている。すべては、高度な能力を発揮できている証拠だ」
 母は、振り向こうともしなかった。
「なんにも思い出せない……」
「……泣くな。泣けば解決することじゃないだろ。尤もらしく見せる必要も無い。映画やドラマじゃないんだから、演技も必要ない。それらは、余計なことで、障害にしかならない。精神面に関することを把握するには、冷静になることが必要なんだ」
「だんだん酷くなる……」
「だから、大げさに考えるのは止めろ。冷静になれ。だんだん酷くなることを分別できるのも、以前はそうではなかったことが記憶に残っているからだし、それと比較できているからだし、自分を客観視できているからだし、自分を客観的に把握できているからでもある。すべてが、高度な能力を発揮できているからこそなのだ」
「親を馬鹿にして……」
「馬鹿にしているわけじゃない。ボケているか否かは、知識が無いので判断できない。でも、高度な能力を発揮できていることは明らかだし、ボケているはずがない。だから、そう言っているだけだ」
「……」
「おまえには、美味しくないときも、そう言うだろ。少なくとも、美味しくないのに、美味しいと言ったことは無い」
「……」
「むしろ、美味しくないのに、美味しいと言うから、本当のことを見失うし、上達もしないわけだろ。それどころか、真に受けると、下手なのに、すっかりいい気になったりする。そうなると、聞く耳持たなくなるし、手もつけられなくなり、呆れるしかなくなる」
「……」
「おまえも、せっかく備わっている知能を使って、その知能を台無しにするようなことばかり考えている。わざわざ馬鹿げたことを考えて、勝手に自分で困っている。馬鹿げたことな場合は、『馬鹿タレ』と俺は言う」
「……」
「それでも、おまえは、馬鹿げたことだとは一向に悟らない。それどころ、自分で困ることをこうして繰り返す。そんなことは止めてほしいから『くそ婆』とも言う」
「……」
「『ああ、ボケて良かったなあ。本当に良かった』と御世辞を言われたいわけじゃないんだろ。『ああ、困った。どうしよう』などと言ったところで、解決することでもないだろ」
「……」
「誰でも、知らなかったことを憶えるし、できなかったこともできるようになる。でも、生後に習得したことを以ては、老化は止められないし、死は受け入れるしかない。生後に習得した内容しだいで、私利私欲を貪るようになる人もいるし、自殺をする人もいるし、殺し合いもするし、戦争までやる。つまり、せっかく備わっている知能を、誤った使い方をするようにもなるし、悪用さえするようにもなるし、そうしていることをすら理解できなくなったりもする。でも、そんな生き方をしたくてそうしているわけではないはずだ。おまえだって、ボケるだけでも、嫌なんだろ」
「……」
「だから、俺は止めさせようとする。実際には知能の高度な面も発揮できている。そのことを、何度も言った」
「……」
「でも、おまえは、ろくに聞いてもいないんだろ」
「……」
「これも、いつも言うことだ。分別できる知能を使って、わざわざ落ち込むようなことを考えるのは、馬鹿げている。止めろ」
「……」
 母はエプロンの端を持ち上げて涙を拭いた。
「今やっていたこと、なんにも思い出せないんだよ」
「だったら、悔しいのは当然だろ。それも、正常だからこそだ」
「……」
「むしろ、何をやっていたのか分からなくなったことを、客観的に把握できているからこそなのだ。知能の高度な面を発揮できているからこそなのだ。問題点を客観的に把握できているからこそ、問題にしているわけだし、困ってもいるし、思い出そうともしているし、思い出せないから悔しいんだろ。すべてが、ボケていない証拠なのだ」
「まだそんなことを……」
「おまえこそ、まだそんなことを……」
「……」
「同じ状況で、悔しくもなく、まったく平気だったり、むしろニコニコしているのなら、ボケたのかもしれないと俺も思う」
「……」
「そうではないだろ。そうなるのは、むしろ嫌なんだろ。ボケたくは、ないんだろ」
「……」
「思い出せないだけでも、悔しいんだろ」
「……」
「だったら、ボケていないのかもしれないとか、むしろ平常どおりなのかもしれないとか、そういう考え方をしろよ」
「……」
「悔しさや不安や危機感や恐怖感などは、状況を把握するうえでも生きてゆく上でも欠かせない重要なことなんだ」
「……」
「悔しさや不安や危機感や恐怖感などを感じる状況なのに、それを感じなかったとしたら、どうなる」
「……」
「実にアホらしいことでも、死んでしまう。自殺も平気だろうし、殺人も平気だろうし、自滅するんじゃないの」
「……」

「とにかく、ボケたかもしれないと思うのは止めろ。ボケてはいないことが明らかな事実を探せ」
「……」
「その、目の前に在るのはガスコンロだ。分かるだろ?」
 ガスコンロの方に母の首が少し動いた。
「それで、煮物をしたり魚を焼いたりしている。そうだろ?」
「……」
 母は、聞いている。考えてもいるのだ。
「そうやって、普段は、目の前に在るものを識別したり判断したりしている。そういう分別ができるだけで、平常どおりなのだ。そうであるだけで、異常かもしれないなどとは思いもしない」
「……」
「そこで、何回も鍋を焦がした。おまえは、火を点ければ、その場を離れるのが癖だからだ。しかも反省しない。俺が何度も言ったのに聞く耳持たない」
「……」
「このあいだ、ついに火災報知機まで鳴った」
「……」
「俺が消防団員だった頃に出動した火災原因の代表だ。いい加減なことばかりするおまえが、ボケたと言い始めたから、俺が入手して取り付けた火災報知器だ」
「……」
「いい加減過ぎると、大変なことになるぞ。そういう警報なんだよ。本来、火災報知機を取り付けるべきなのは、おまえなんだよ」
「……」
 母は聞いている。が、返す言葉が無いのだ。
「火災報知機が鳴ったことだって、憶えているだろ。思い出すことだってできただろ。それも、ボケていない証拠だ」
「……」
「おまえは、不都合なことは、言い訳をするし、隠し偽りもする。だから、また繰り返す。繰り返したくない人は、むしろ失敗したことを思い出して、繰り返さないために活用するんだよ。自分で火災報知機を付けたりする。おまえみたいに、何食わぬかを顔をしたりしないし、何様かのつもりになったりなんかしない」
「……」
「俺が何回も言っても、おまえは聞く耳持たなかったということなんだよ」
「……」

「ま……、俺も……、偉そうなことは言えないが……」
「……」
「おまえが、またやったら、こんなことを言おうなどとも考えていたが、実際に話し始めたら、予定していたことは思い出しもしない」
「……」
「このあいだは、説明することに夢中になって、その説明を、何のためにしていたのかを忘れた」
「そういうことも多くなった……」
「さっきも、そうなりかけた。でも、ボケではない。これは老化だ。説明することに気を取られるようになっただけ、今まで以上に他のことが二の次になってしまうようになっただけだ」
「……」
「そういえば、このあいだ、前を走っている車が、センターラインをはみ出しそうになったり、ガードレールにぶつかりそうになったり、それを繰り返していた。あれ、憶えているだろ?」
「うん……」
「車間距離を少し詰めて見たら、携帯で電話しながら運転していた。つまり、電話から聞こえる話しに気を取られても、目の前の見えているはずのことでさえ、あんなに疎かになるっていうことだ」
「……」
「消防署前の信号で止まっても、まだ電話していた。もし、あの電話の内容が、あのときよりも重大な内容だったら、事故を起こしていたかもしれない」
「……」
「俺は、気象情報を見るときは、近年は、ほとんど毎回だ。このテレビの前で、気象情報が始まるのを待つ。その間に、つい考え事をしてしまう。気づくと気象情報は終わっていて、目の前のテレビの画面を見ていたはずなのに肝心な気象情報は記憶にも残っていない」
「そういうことは、しょっちゅうある」
 母は、一瞬、視線を私に向けそうだった。
「だろ。それでも、ボケているとも思わないだろ?」
 母が、そわそわし始めた。
「ここまできたら、何かを思い出したのよ。それに気を取られたから、なんにも分からなくなった」
 と言うと、手を伸ばして包丁を取り出した。
「これを取りに来たのよ」
 そう言いいながら、私の前を通り、居間の窓側に行った。
「大根を漬けようとして、包丁を取りに行ったのよ」
 居間の南の窓の傍には、大根などがある。それを前に、母は座った。
「振り向いて居間を見れば分かったのに。的外れなことに気を取られて、肝心なことを忘れただけだ」
 エプロンの端で涙を拭く母は、笑いを堪えているかに見えた。
「台所まで行ったら、何かを思い出したのよ……。何んだっけ……。それを今度は忘れた」
 大根を切り始めた母。
「俺も、気象情報を見逃すと、そんなに大事なことを考えていたのかと思って思い出そうとしたりする。が、ほとんど思い出せない。気象情報を見逃したことに気を取られるから、今度は、他のことが意識されなくなるからだ」
「そうかもしれない」

「あ、そうだったのか。分かった。包丁を取りに行ったが、他のことを思い出したので、包丁を取りに来たことを忘れたわけだよな?」
「うん」
「しかも、どうしても思い出せない。なので、今度は、ボケたのかもしれないと思ったわけだ?」
「……」
「ところが、ボケたかどうかに関する知識は、おまえにも無いし、俺にも無い。だから、ボケたかどうかは判断できない。つまり、ボケたのかもしれないと想像することしかできない。でも、ボケたとなると、心配になるし、特別気になる。当然に、他のことは考えられなくなるし、疎かになる。そういうことだ」
「……」
「でも、逆に、現実的なことを気にしたり考えたりすると、想像していたことはどうでもよくなる。実際に起きていることでもないからだ。だから、毎回、一時的なことだし、いつも平常に戻る。実際にはボケているわけではないからだ」
「……」
「つまり、せっかく備わっている知能で、わざわざ『ボケたのではないか』と想像して思い込んで、自分で困っている」
「……」
「馬鹿げているだろ」
「……」
「いいかげんに、憶えろよ」
「……」
 あえて「馬鹿タレが」と言うつもりだったのだが、その気は失せていた。
 母が「ボケてしまった」と言って落ち込むようになって以来、その事実関係を把握しようとした私は、普遍的なことや基本的なことは共通であるだけに、自分が未理解だった点を理解できたからだった。


 母も、日常会話もできるわけだから、相応の理解力も発揮している。客観視できることも、明らかだ。
 自分が想像し思い込んでいるに過ぎないんだということを理解できれば、解決するはずだ……。

 なのに、止めるどころか、繰り返す。
 俺が言ったことも、ほとんど聞いていないのだ……。

 ただ、誰でも、知能を構成している各感覚や意識や記憶や識別や思考などは、平常どおりに機能しているか否かを日常的にチェックしているような状態にある。
 これだけでも、独自に確認し自覚できるようになってくれれば、繰り返さなくなるはずなのだが……。

 今回の経験を基に、何かに気を取られると他のことは疎かになる、ということくらいは憶えてほしいものだ……。

 想像するにしても、ボケてはいないかもしれないとか、むしろ平常どおりなのかもしれないとか、備わっている知能の能力はどれだけのものなのだろうとか、そういうことに思いを巡らせれば、相応の事実に辿り着くのだが……。






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カテゴリ : 草稿「おまえはボケてはいない」

Ⅰ. 「あぁ…ボケてしまったぁ…」


 一見、ボケたかにも見えるが……。
 各感覚や意識や感情などは平常どおりに機能していることが実証されていた。
 識別や思考や客観視も会話もでき、知能の高度な面も発揮できていた。
 ※ 編集上、主要な根拠や理由に相当する部分の文字色を緑色にしてあります。
初回投稿:2012/03/29
再編集 更新:2016/05/01
※ 投稿後も推敲を重ねて、創作作品として仕上げてゆきます。



 父が他界し、一周忌も秋に済んだ、あの年の冬からだった。
 自棄的に嘆き、落ち込んでしまうようになった、母。
「あぁ…ボケてしまったぁ…」

 たしかに、ボケたかに見えるが……。
 突然ボケることって、ありえるのか……。

「ボケた人が、自分がボケたことを分別できると思うか?」
「……」
「ボケたことを自分で分別できなくなったのだったら、ボケたのかもしれないと俺も思う」
「……」
「分別できるんだから、ボケてはいないだろ?」
「……」
「しかも、ボケたかどうかは、医者でも知識に基づいた検査をしないと判断できないはずだ」
「……」
「医者のような知識は、お前には無いよな」
「……」
「医者のような検査をしたわけでもないんだろ」
「……」
「なのに、おまえは『ボケた』って言う」
「……」
「知ったか振りは、いいかげんにしろ。誰にも信用されなくなるぞ」
「……」
 不機嫌な表情になった母。
 それは、ボケていない証だ。
「せっかく分別できる知能が備わっているんだから、まともな分別をしろよ」
「……」
 母の表情は気まずそうにさえ見えた。
「馬鹿か。おまえは」
 捨て台詞で母を叱咤して、私は切り上げた。

 くそ婆。
 これが実態じゃないか。
 普段も勝手に何様かのつもりでいるだけだ。
 いい加減なことばかりして、上辺だけを尤もらしく見せかけているに過ぎない。
 都合が悪くなると、どこかが具合悪いと言う。
 老いたことをいいことに、ボケたことにして、都合が悪いことを誤魔化そうとしているのだとしたら、むしろ知能犯だ。

 私には理解が無い母でもあった。
 私の心の中では、腹癒せが必要だった。




「あぁ…、ボケてしまったぁ…」
 またか……。

 ボケているとは考えられない点を、私は指摘した。
 母は、平常に戻った。
 思ったとおりだ。
 ボケているわけではない……。
「馬鹿タレが」

 おまえの裏側も日常的に見ている俺は、おまえにだけは騙されない。

 産んで育ててくれたこと自体は掛け替えがないが、それを台無しにするようなことばかり、おまえはしてきたのだ。
 俺は、自分を取り戻すだけでも相応の苦難を強いられた。が、その結果、予想もしなかった充実した生き方に替わったことも事実だが……。
 おまえは、何食わぬ顔で人生をやり過ごそうとばかりする。もちろん、おまえは、備わっている知能の高度な面を、ろくに使わないまま失うことになるのだ。

 心の中だけでは、空転するばかりだった。
 癒されなかったのは、不安もあったからだった。そのことに、ようやく私は気づいた。


 ボケたのか否かを判断する専門知識は、中学でもろくに勉強しないで肉体労働ばかりしてきた私にはあるはずが無かった。
 でも、役立つかもしれないと思い当たることはあった。

 かつて、三年間の葛藤を余儀なくされた際に、「俺は、病気ではない、異常でもない」と思ったことで好転し始めた。
 その根拠は、自分の知能を構成している各感覚や意識や記憶や識別や思考などは平常どおりに機能していたことだった。
 それは、直ちに確認できることでもあった。自覚することを以て、平常どおりに機能していることを確認した。それで、「俺は、病気ではない、異常でもない、間違いない」と確信した。
 必然的に、そんなことに詳しくなった。
 知能を構成している各器官が平常どおりに機能しているか否かなら、誰でも、日常的にチャックしているような状態になる。しかも、意識し識別や思考や理解や予想などで活用するようになることでもある。
 直に確認したり直に活用できるのは本人だけだが、知能を構成している各器官は、人工的なものではなく、普遍的な存在であり、誰でも共通で、その基本的な機能も誰でも共通である。


 母の知能を構成している各器官の状態を、母の言動や振る舞いを基に察することなら私でもできた。


 母は、かなり以前から眼鏡を使用するようになった。
 十年ほど前には、視野が狭くなったことに気づいたわけだから、平常はどうだったかを憶えていたからだったことになる。早く気づけたからこそ、網膜剥離の緊急手術を行い、成功した。
 母の視覚は、機能していた。

 母は、だいぶ前から聞こえ辛くなったと言っていたが、本来はどのていど聞こえていたかを憶えていたからだということになる。
 余計なことを考えていると聞こえなかったり、聞こうとしないと聞こえなかったりするので、私は確認を兼ねて小声で話しかけることが多かったが、母は応答した。
 特に、人の言葉は、どんなことを言っているのかを聞き取ろうと解析した場合に理解もできる。その他の人が話していることは、雑音の類でしかなく、記憶にも残らない。
 聞こえないと言うよりは、振る舞いから察して、母は勝手な考えや判断で片づけてしまうことも多々あった。
 母の聴覚も、機能していた。

 母は、匂いを云々したことは、少なかった。
 若い頃に蓄膿症の手術をしたと言ったことがあった。
 でも、戴いた線香の香りの違いも母は分かっていた。大発生し始めたカメムシも、匂いで存在に気づくこともでき、その臭さを嫌っていた。
 母の嗅覚も、機能していた。

 上辺を繕うだけの母は、台所の掃除もいい加減だ。薄暗くなっても照明も点けず、味見をしないで、いい加減な料理を作る。食べる際に、塩っぱ過ぎたとか、味が薄過ぎたなどと言う。
 母の味覚も、機能していた。

 手も器用に使えた。
 二足で歩くこともできた。
 母の触覚も、機能していた。


 知能を構成している各器官や知能の機能は、誰でも直に経験し続けていて、意識し識別し思考し理解もし活用しているだけに、普段どうなのかも記憶に残っているし、平常どおりでなかったり異常がある場合は本人は気付く。
 つまり、記憶に残っていることと、現在の状態とが、一致していれば平常どおりで、相違しているだけで平常とは違うことに気づくし、異常があれば困りもするので当然に気付く。
 猫でも、どこかが痒くなると、そこを掻く。
 知能を構成している各器官に関しては、日常生活で活用するようにもなるだけに、平常どおりに機能しているか否か(異常が無いか)を、日常的に無意識にチェックしているような状態になる。
 眠くなっただけでも気づくし、なかなか眠れなくても疑問視する。

 そういう点も、母の精神面が平常どおりに機能していることは、母の言動や振る舞いが物語っていた。


 会話ができたわけだから、相手が話したことを、自分の記憶にあることを参考に識別や解析を行い、知らない部分があれば必要に応じて尋ね、辻褄が合わないと納得できなかったり不信感を抱いたりし、辻褄が合っていると納得し理解して、相応の自分の気持ちや考えを文章化して話すこともできたし、相応の行動もしていた。
 それらは、記憶力も識別力も思考力も理解力も予想力も発揮していたことをも物語っていた。

 それらのことからは、突然ボケるとも考えられなくなった。


 でも、そういうことは知らないからこそ、母は「ボケた」と言って落ち込み、それを繰り返す。
 そんな母が理解できることも、限られている。

 知能の構成している各器官が平常どおりに機能しているか否かなら、誰でも日常的に無意識にチェックしているような状態にある。
 知能の構成要素は、誰でも共通でもある。
 これらなら、指摘も容易だ。
 指摘されれば、母でも自覚できるはずだ。


 母がボケたと言い出すと、母の平常どおりに機能している点を、私は指摘するようになった。
 母は、平常どおりに機能している点を自覚するのだろう、平常に戻った。

 母は、本当にボケているわけではない……。
 むしろ、俺が言葉で指摘したことを、母は理解できたから、自身の平常どおりに機能している点も自覚できたはずだ。
 馬鹿げたことであることも、そのうちに理解するだろう……。






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Author:kisuke(喜助)
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 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
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