そもそも、生理面は自律して機能している。
 それは、直に経験し続けている自分自身の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 備わっている知能で、感じ意識し識別し思考し、経験し学習し理解できるようになり、相応の振る舞いをし、相応の結果になる。
 そこまでは誰でも共通だが、経験や学習や理解の内容しだいで人生の理由は変わる。
 知らないことは想像もし、それゆえに勘違いもし思い込みもし、他に目を奪われもするし心まで奪われもし、肝心な自分を見失いさえする。
 以上のうちの、誰でも直に経験し続けていて共通することや普遍的なことが、当ブログのテーマです。
はじめに 更新2013/01/21
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呪文……

 
 なかなか、どうして……。
「こんなことじゃ駄目なんだ」と思わされることばかりだ。
 が、それだけ、無駄足は減少しつつある。

 気温が下がり、自分が期待している気象現象になる傾向も増した。
 もちろん、温もりが心地良くなり、よく眠れるようにもなったわけだが、にもかかわらず朝4時起床は当たり前になってきた。

 そろそろ、有効な情報収集をしたいものだ。
 が、自分が期待している気象状態には、なかなかなってくれない。

 だったら!
 朝焼け・日の出・サンライズだけではなく、
 夕焼け・日の入り・サンセットも撮ろう。
 これも、仕事が終わってからできるんだから。しかも、学歴も要らないし、資格も必要無いし、誰にでも許されていることでもある。
 というわけで、かつて写真をやった際に知った場所を、とりあえず夕景の撮影ポイントに決めた。
 ところが、すでに秋分の日の近くなので、日の出は真東近くから昇り、日の入りは真西近くに沈む。よって、この撮影ポイントでは、日の入りの位置が、すでに南に寄り過ぎていた。
 でも、今のところは、これ以上の撮影ポイントを知らない。

 むしろ、夕焼けも、そうそうあるものではない。
 今年は、特に少ないような気がする。

 だったら、とりあえず夜景でも撮ろう。
 夜景は、人為に因る光景だが、それゆえに毎夕でも撮れる。
 毎夕でも撮れるということは、暗い光景を撮る練習をするには、むしろ都合がよい。



20160919-夜景(拡大表示)

20160919-夜景



 翌夕(2016/09/20)。
 衛星画像上では、関西上空に台風16号がある。その雲が関東や東北まで覆っていて、夕焼けに重要な西の空も日本海の中央あたりまで広がっていた。
 窓の外の実際の空も、全体的に薄雲に覆われていた。
 今日は夕焼けは無理だろう。

 ところが、夕景も撮ろうと決めた翌日だけに、空が気になる。
 撮影ポイントまで行くには時間を要することもあって、行くのなら早めに決める必要があり、つい窓の外を見てしまう。
 そうこうしているうちに、日没前に撮影ポイントまで行く時間は無くなった。
 というわけで、安い箱の酒を呑み、テレビの大相撲を観はじめた。

 余計なことは考えずに、その日の相撲にいかに集中するかが大事なんですよ。
 つまり、一日一日が大事なんです。毎日が大事なんです。
 そうし続けた結果が、結果なんですから。

 確かに、相撲の解説者が言うとおりだ。
 自分の場合も、同じなのだ。
 気になり、窓の外を見た。
 空が赤く染まっていた。
 慌てて外に出た。
 なんと、空全体が赤く染まっていた。
「素晴らしい。めったに見ることができない見事な夕焼けだ。」
 車に積んであるカメラを取り出して、その場で撮るしかなかった。
 シャッターを押したときは、すでに夕焼けはピークを少し過ぎていたが、貴重な情報だけは収集できた。



20160920-夕焼け(拡大表示)

20160920-夕焼け



 知識不足に因り、撮影ポイントに行かなかったのが残念だ。
 否、しっかり反省すべきだ。
 知識が無い(必要な情報が無い)ことなのに、確かめることを怠り、勝手な想像を頼ったから駄目だったのだ。
 もちろん、必要な情報が無いことだからこそ、想像する。その性質上、外れている確率が高い。まさに、そのとおりだった。
 しかも、否定的で非行動的な想像だった。そんなものを頼ったから、めったに見ることができない好機を失ったのだ。

 日の出の撮影が、ほとんど無駄足のようなものだったから……。
 それは、言い訳でしかない。
 一見、無駄足のようでも、相応の情報を得ているからこそ無駄足は着実に減少しているんだから。
 経験上でも、行動的に確かめた事実こそが、良かれ悪しかれ、好結果に通じる確かな情報になる。
 行動して確かめないと、成果には通じない。


 こんなときは、いつも、呪文を紐解くかのように思いを巡らすことがある。


 生理面は、自律して機能している。
 もちろん、どこかの名医が創ったものではない。名医といえども随意にできることには限界があり、老化は止められず、死を余儀なくされるわけだから。

 各感覚器官や意識や記憶力などで構成されている知能も備わっていて、生理的には機能している。
 もちろん、どこかの天才が創ったものではない。天才と言えども随意にできることには限界があり、老化は止められず、死を余儀なくされるわけだから。

 むしろ、誕生当初は、知らないことや随意にはできないことばかりなので、それでは困ることを体験し続ける。
 気になることを意識する。意識したことは、相応の情報が記憶に残る。記憶にあることは、識別でき、以前はどうだったかを参考にすることも可能になる。
 生存上、やらざるを得ないからだと考えられるが、困った状態をなんとかしようと模索しはじめる。
 幼いとはいえ、試行や確認や取捨選択を繰り返すわけだから、思考や予想もするようになる。
 その内面で行う記憶を参考にした識別や思考や予想などの情報処理自体は、本人が経験し模索して学習するしかない。つまり、大人でも教えようが無いことを、赤ん坊の頃に独自に学習することになる。
 もちろん、本人がそうしたことに関しては、知らなかったことを憶えることができ、できなかったことも随意にできるようになれる。

 つまり、識別や思考ができるようになる以前に知能が備わっているからこそ、識別や思考ができるようになる。
 識別や思考ができるようになったことを基準に考えると、それ以前に超能力が備わっているからこそ、知らなかったことを憶えることができ、できなかったことも随意にできるようになれ、識別や思考もできるようになることになる。

 観察し確かめ試したことほど、相応の記憶も確かになり詳しくもなり、相応に上達もし、巧みにできるようにもなる。
 随意に動かせなかった手足なども、器用に動かせるようになってゆき、不自由で困る状態から、随意に抜け出せるようになる。
 そういう学習体験を基に、好奇心旺盛になる。
 片言で話し始め、上達もし、言葉も憶える。つまり、言葉で指した物事を意識し合うことが可能になる。
 自分はできないことを、大人にしてもらうことも容易にできるようになる。

 自発的な学習が本格的になり、語彙が増え文法を憶えるほど、高度な説明が可能になる。
 だからこそ、相手が話すことを、自分の記憶にあることを参考に識別し思考や予想もし、相応の気持ちや考えなどを文章化して応答できるようになる。
 もちろん、直に見知ることはできない気持ちや考えや記憶に残っていることなどを、会話を介して理解し合うことが可能になる。

 それは、記憶を参考にした識別や思考や予想などに基づいたことであり、その内面的に行う情報処理が条件反射的な速さで行えるほど熟練したからに他ならない。
 その要の内面的に行う情報処理も、それ自体は本人が識別や思考や予想をし確かめ取捨選択を重ねて習得するしかない。本人ができるようになるためには、本人が模索するしかないことであり、そうしはじめる幼い頃には誰も教えることができない。
 もちろん、幼い頃に独自に模索して習得したことになる。

 要は、知らなかったことを憶えることができ、詳しくもなれる。できなかったことも随意にできるようになれ、上達もでき、条件反射的な速さでできるほど熟練もできる。
 それは、独自に不具合の修正や改善や微調整などを行ったからこそでもあり、自浄能力も発揮できたからに他ならない。
 よって、やがて他界に臨む心の準備も、不可能なことではない。
 むしろ、知能の本質上、期待して臨めるほどの他界への確かなルートも見出せる能力なのかもしれない。
 もちろん、知能は備わっているだけに、その本質に関しては、誰もが直に経験し続けている。

 思えば、日の出の時刻の写真にトライしようとしたのは、日の出は誕生にも似ていて、若さを連想させるものでもあり、若さを取り戻せそうな気もし、自身の老化に負けまいとしたからだった。
 なのに、日の入りの時刻の写真も撮ろうと思ったわけだが、老化や死は随意に避けることはできないことであり、それに似た自然現象に接することで、他界に臨む心の準備もできそうな気がしたからだったような気がする。

 
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霧は……

 
 せっかく見つけた新たな撮影ポイントだったのに、ここまで、霧は登ってきたりする。
「山頂へ行け」と追い立てるように……。

 霧の上空では、久々に朝焼けしている。



下界では(拡大表示)



 急いで、山頂(標高700余m)へ向かった。
 距離、15㎞弱。ほとんど上り坂だ。
 推定所要時間は、30分。



山頂より-a(拡大表示)



 雲海の下と上とでは、まさに別世界だったのだ。

 もしかして、上空が晴れていると、下界で霧が発生するのか……。
 思えば、下界では、晴れていて期待した朝に限って、日の出が近くなると霧が発生した。
 下界では朝霧が発生したり、濃霧にまでなっていた日に限って、上空はこんなに晴れていたということか。
 あっちゃー。

 でも、意識する対象を切り替え、行動して確かめたから、心のモヤモヤも晴れた。



山頂より-b(拡大表示)



 かつて、自分のことをすっかり一人前になったと勘違いして思い込んでいたに過ぎなかったことに気づき、実際には肝心な自分のことをほとんど知らなかったことが分かった。
 そんな自分に絶望したに等しかったあの日、泣き寝入りした際に見た夢までが精神状態を物語っていた。
 夢の中で目覚めたら、ぼんやりと明るいだけで濃霧の中にいるようだった。そして、まだ幼い自分だけが残され、他の誰もがどこかへ行ってしまったんだということに気づいた。
 あまりにも孤独で、実際に目が覚めた。

 その後、深く落ち込んでゆき、その理由の把握もできず改善もできないまま三年も経った。
 当時の精神状態は、見えない壁に直面しているようだと思った。

 三年後に、三年間も解明できず解決できなかった理由も明らかになり、解決できた。
 つまり、不本意だらけで自分の精神面に関することだったのに把握すらできず、自分の考えの無理や矛盾なのに解消できなかったがゆえに三年も経ったのだった。

 その後、写真を撮り始めた頃、霧が晴れて隠れていた木々が現れたのを見て、実態を把握し始めた頃は、この状態に似ていたと思った。
 自分が知らないだけで、実際には何もかもが存在していたのだから。


 そんな経験が脳裏に浮かんでは消えしたのも、今日こそはと期待して臨んだのに、霧が発生して濃霧に包まれてしまうからだった。

 また、あの三年間は、直そうとか、改善しようとか、解決しようとかはしていなかった。
 見知られれば精神異常者扱いされる(不利で都合だ)と思い、それゆえに隠そうとし、尤もらしく見せようとか、偽ろうとさえしていた。
 が、騙し欺く類のことだけに抵抗があり、結局、人と会わずに済む夜型の生活に変わり、自室から出ることさえ大儀になった。
 精神異常者扱いされるよりは、病気扱いされた方がいい。などと、自分が、わざわざ勘違いするようなことを考え、無理に思い込もうとさえしていた。
 つまり、受け入れ難いことなのに、受け入れざるをえないだろうとまで思っていた。
 もちろん、そんな実態をすら把握しようとしていなかった。直そうとか、改善しようとか、解決しようともしていなかった。
 だからこそ、三年間も解決も改善もできなかったのだ。やっと、そうだったことに気づいた。
 省みると、把握を困難にするようなことに囚われ、解決を困難にするようなことをさえしようとしていたことも判った。
 実態に対して、考えていた内容に無理があり矛盾さえしていた。
 そんなことさえ把握できなかったからこその三年間だったことを、ようやく把握し始めた。

 上辺を繕う必要すら無い。
 まして、競い争うことに囚われている人たちとは、理解し合えない。
 他人を、気にしている場合じゃない。
 自分が、彼らに対しては悪いことをしたわけでもないんだから。
 むしろ、尤もらしく見せかけ優れたことであるかのように見せかけているに過ぎないことを見抜けず、そんなことに惑わされ目を奪われ心まで奪われたからこそ、肝心な自分のことをほとんど知らないまま見失い、自分のことを勘違いし思い込んだことになるんだから。

 人と会うのを避けたのも事実を出るのが大儀になったのも、理に適っていた。それゆえに、自分を省みれるようになったわけだから。
 あえて、他人を気にしなくても済む努力をしたことによって、更に自分のことを省みやすくなった。
 考えて、自分の記憶にあることを整理するだけで、自分のことを具体的に理解できることも分かった。
 自分のことを具体的に理解するほど、心の中の霧は晴れていった。


 そんな経験もあったからこそ、せっかく見つけた新たな撮影ポイントにも拘らず諦めて、意識を山頂に切り替えた。
 それを、行動して確かめた。だからこそ相応のことが判り、心のモヤモヤも晴れた。
 いわば、知らなかったことを憶えることが、基本だから。


 展望台の北側の支障木も、許可無しでも問題にならないであろう範囲は処理した。
 山頂は、あきらかに紅葉が始まっている。
 下界は、稲が黄金色になり始めている。
 りんご「つがる」も、すっかり赤くなった。

 空気が澄み渡るこれからこそが、たぶん、朝焼けや日の出の撮影には格好の季節でもあるのだ。

 自分は、まだヘマばっかりで右往左往しているのに……。
 情報収集の段階なので、距離3㎞余の撮影ポイントだったこともあって、毎朝のように行っていたが……。
 山頂まで登るとなると、燃料代も馬鹿にならない。
 精神面の理解に的を絞った生活をしてきただけに、絵に描いたような貧乏暮らしなのだ。
 確かな気象情報を早く得ないと……。

 人為的なことに満ちた下界を離れて、山頂から仰ぐ世界は、普遍的な存在ばかりであり、まさに天国に近い。
 普遍的なことに関する相応の情報も得るには格好の環境でもある。

 思えば、子供の頃に遠足で登った時に、聞いた。
 昔、この山で、仏教のある宗派が修業を行っていたのだと。

 
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新たな撮影ポイント

 
 
新ポイント(拡大表示)


 さすがに、快晴は……、味気ない……。
 こんなにクリアな心も、ありえない。
 むしろ、心も、蔭りや曇りがあってこそ存在感が増す。
 知らなかったことを憶える性質上、間違ったことも憶えたりするわけだから。
 それゆえに、修正や微調整などをする。だから、詳しくもなるし上達もする。
 過ちを未経験だから、過ちも犯してしまう。過ちを経験してこそ、それを慎めるようにもなれる。
 違和感を感じたり不本意だったりもする。だから、本来はどうなのかも解明できる。
 影があるから、その実体も明らかになり、光の存在も明らかになるように。

 でも……。
 クリアな世界も、いい。
 自分の心には払拭し切れない蔭りや曇りがすでにあるから……。



新ポイント(拡大表示)


 新たな撮影ポイントは、朝霧(雲海)の上あたりだった。

 この後、下山したら、下界は濃霧だった。



 日の出の前は、眠い。
 でも、眠っていては見れない。そんな世界(気象現象)がある。
 むしろ、早起きするだけで見れる。早起きは三文の得どころじゃあない。
 日の出と共に起床したであろう太古の人たちにとっては、こんな世界(気象現象)は日常の一環だったのではないのだろうか。
 かつてもそうだったが、日の出前に目覚めるようになり、寝ている場合じゃないと思うようになってきた。

「今日は駄目だろう」は、ご法度だ。
 気象現象だけに、行ってみないと分からない。
 出向いてこそ、相応の情報も得られる。
 むしろ、曇天の朝も、雨天の朝も、確かめてみたい気がする。

 まだ暗いうちに、衛星画像で雲の様子を確認する。
 東の空に雲が少なければ、今日こそはと期待して出かける。
 まだ暗い撮影ポイントで、スタンバイする。
 が、日の出の頃になると朝霧が発生し、何も見えなくなってしまう。
 それが繰り返され、気にし始めた。

 思えば、かつては、標高700m余りの山頂から撮影していた。
 その山頂から見ると、下界で発生する朝霧は雲海になる。
 つまり、朝霧(雲海)の上は晴れている。

 ということは、現在の撮影ポイントは、朝霧が発生する標高だから霧に包まれてしまうのだ。
 現在の撮影ポイントを、Webで確認したところ、標高175m余りだった。

 撮影ポイントが、現在地よりも標高が高い所、つまり朝霧(雲海)よりも高い位置ならいいのだ。

 でも、山頂は、先日、登ってみたら、幹の直径が10㎝を超える栗の木や杉が……。
 山頂は、本来は展望台だ。
 かつては、役所でも支障木の処理などの手入れをしていた。
 鋏で処理できる小木ばかりだったので、自分も勝手に処理していた。
 が、自分は写真を諦め、小木の手入れもしなくなって久しい。
 役所でも、支障木の処理をしなかった。
 道路も、穴だらけになっていて、補修されていない。
 本来は展望台なので、眺望を案内する案内板もあり、テーブル型の立派なものだった。その案内板も撤去されていて、コンクリートの基礎だけが残っていた。
 自分の生活上、チェーンソーは必需品なので、支障木を倒すことは容易だ。
 が、杉もある。そこは、展望台の敷地外だ。なので、許可が必要だ。
 役所でも処理しなかったことを考えると、許可は取れないかもしれない。
 それは、確認したわけではなく、想像に過ぎないのだが、そんなことにかまっているよりも、走り回って、新たに撮影ポイントを見つけた。ところが、そこは朝霧に包まれる標高だった。
 格好だと思う日に限って、朝霧に包まれ、濃霧になり、何も見えなくなってしまう。
 なんとかしないと……。
 朝霧(雲海)よりも標高が高い撮影ポイントを見つけたいものだ。
 台風10号が通過した先月末日にも、撮影ポイントで、そんなことを思っていた。

 というわけで、探し、新たな撮影ポイントを発見。
 帰宅後、Webで確認したところ、標高237m余りだった。
 いままでの撮影ポイントよりは、標高が50m余り高い。
 翌日、その土地の所有者の許可も得た。


 
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kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

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