そもそも、生理面は自律して機能している。
 それは、直に経験し続けている自分自身の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 備わっている知能で、感じ意識し識別し思考し、経験し学習し理解できるようになり、相応の振る舞いをし、相応の結果になる。
 そこまでは誰でも共通だが、経験や学習や理解の内容しだいで人生の理由は変わる。
 知らないことは想像もし、それゆえに勘違いもし思い込みもし、他に目を奪われもするし心まで奪われもし、肝心な自分を見失いさえする。
 以上のうちの、誰でも直に経験し続けていて共通することや普遍的なことが、当ブログのテーマです。
はじめに 更新2013/01/21
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客観的な考え方の特徴は


 前記事「主観的とは 客観的とは」で、客観的な考え方の特徴も分かったので簡単にふれたが……
 自分の記憶に有ることや考えを客観視したり客観的に検証したことによって、日常的に客観視客観的な考え方をしていたことも明らかになった。

 つまり、日常的に行っていて記憶にも残っていたことでも、客観的に検証したことも無く事実関係を整理したことも無かったことは、具体的なことは未理解だった。

 その未理解な状態の記憶に有ることや考えを、客観的に検証し文章化するほどに整理されて事実関係などが明らかになったから、相応のことは具体的に理解できた。
 理解できたことは識別や自覚などが可能になったので、更に詳しく整理することも可能になり、相応の説明も可能になっていった。


 そもそも、日常でも「知らない」とも言うし「知っている」とも言う。

 これは、知らないことなのか、知っていることなのか、そういう確認も行っていることを物語っている。
 相応の情報が自分の記憶に有るか否かを確認していることになる。

 この段階で内面を客観視していたことになる。
 もちろん、日常的に客観視していたことになる。

 つまり、客観的に確認したことも無く事実関係を未整理だったことは、具体的なことは未理解だった。
 こうして、客観的に内面的な事実関係を整理したからこそ、事実関係などが具体的に明らかになった。

 それが、考えに関することを客観視したり客観的に検証することの特徴だったのだ。


 記憶は、過去に接したことが、脳内に残ったものだ。
 現実は過ぎ去ってゆくので、記憶に残ったことは接触時の残像のようなものだ。
 知人の顔などを思い浮かべてみるだけで分かるが、記憶は実に曖昧だったりする。だからこそ、絵に描けない。
 わずか数キログラムの脳内に残るだけに、特徴の断片のようなものでしかない。
 気になって集中したことや観察したことや確かめたことや試したことほど詳しく記憶に残るが、その逆のことほど記憶に残らない。
 ちなみに、曖昧で描けなかったことも、繰り返し描くことによって、それだけ観察することになり、細部のことにも気づいて詳しく記憶に残るので、相応に描けるようにもなる。
 でも、記憶に残っていることは過去に経験した際のことなので、今も同じだとは限らない。
 他界した人のことも記憶に残っている。
 省み難いことだって記憶には残っている。

 つまり、過ぎ去った現実から切り取られたように脳内に残ったものが記憶であり、記憶自体が客観的な存在だったのだ。

 もともとそうだったわけだが、未整理だったうちは具体的には未理解だった。
 こうして客観的に事実関係を整理したことによって具体的に分かった。


「初めて見る物だ」と判断したり、「初めて会う人だ」と判断したりする場合は、相応の情報が記憶に無い場合か、または記憶に有るのだが思い出せない場合だ。
 つまり、対象の個体特有の具体的なことを識別できない場合だ。

 以前に会ったことがある人だが、名前などの個人特有のことは知らない。
 名前も知っているし家も知っているし家族も知っている人だ。
 後姿だけで分かる人もいる。
 声が聞えてきただけでも分かる人もいる。
 性格や考え方の傾向まで察することができる人もいる。
 それらの識別は、過去に接触があったことや、過去に接触があった際のことが記憶に残っていることの程度次第に因る。
 具体的な情報が記憶に有る物事ほど、具体的な識別ができるわけだから、記憶に残っていることを思い出して参考にしているからこそできる。

「できない」とも言うし、「少しはできる」とも言うし、「自信がある」とも言う。
「それは無理だろ」などと可能性の判断までする。
「それはやっちゃダメだ」などと是非の判断までもする。
 損得が伴うことなどは、結果まで予想する。
 それらも、記憶に残っていることを参考にして考えることができるからこそ言える。

 が、可否の判断や是非の判断や予想などは、的中するとは限らない。

 つまり、客観的な存在である記憶を参考にして考えること自体も、もともと客観的なことだといえる。


 目には見えない記憶を参考にして行われる思考上では、目には見えない関係や理由や法則や文法や約束やルールなどを理解することもできる。
 記憶内の関係する記憶を整理することができるからだ。
 その整理された記憶で構成された一連のことも記憶に残る。
 だから、思考上で、目的や目標を想定して計画を立てることも可能で、それを基に行動することもでき、相応の結果にすることもできる。

 となると、思考上で可能なことは、客観的云々どころか、現実から独立しているくらいだったのだ。


 結果や行動を左右しているのは、内面の気持ちや考えであり、その重要性も記憶に有る。
 その気持ちや考えが、信頼できるか尊重できるかは生存を左右するほど重要なことだったりする。
 それも、裏付けになる過去の事実に左右されることであり、過去の接触の程度や記憶に内容に左右される。
 他者の実際の振る舞いを基に、その内面の気持ちや考えを察しもする。それにしても、相応の情報が記憶にあればこそだ。
 情報不足でも、妥協も可能だし、独断も可能だ。が、裏付けになる根拠や理由が無い場合は、「買被り」や「打算」だったりもする。
 結局、信頼や尊重には反することだったりさえする。

 思考は、客観的どころか、むしろ現実離れするくらいの性質があることになる。

 事実確認をしないで、頭の中だけでできる想像は、し放題だ。
 事実確認の重要性を見失うと、想像に過ぎないんだ、ということを自覚できなくなることもある。
 想像に過ぎないことなのに、現実や事実であるかのように勘違いしたり思い込んだりさえもする。
 妄想と化すると暴走さえする。

 つまり、記憶を参考に考える(想像なども含む)こと自体が、もともと客観的なことだからこそ、現実や事実と切り離されてしまうこともあるのだ。


 しかも、客観視とはどういうことで、客観的とはどういうことなのかも、もともとは未理解なので、未理解なうちは具体的に識別できないので自覚もできない。

 自分が考えていることや、その考えを基に行っていることや、その結果など、識別や思考が中心になっていることも、具体的に理解していないと、それらに関係することも識別できないために自覚できず自分で管理することもできない。

 自分自身のことや、日常的に使っている知能のことや、知能上で自分が識別し考えていることや、その考えを基に行っていることや、その結果など、具体的に理解していないまま、考えや想像が独り歩きをすると、心身が分離した状態にさえなる。
 勘違いや思い込みや妥協や打算や買被りなどを基に行動してしまうこともある。

 考えていることにリスクが伴う場合は、自覚できるからこそ緊張したり興奮したりもするが、そうであるにもかかわらず強行もする。

 考えや想像が独り歩きしているような結果だからこそ、実際には的外れだったり、損をしたり、事故になったり、勘違いや思い込みゆえに自身を殺すことさえする。

 それでも、未整理だと、自覚もできないので、改善できず、繰り返す。


 が、人は、反省もする。

 本人が未理解だろうが具体的に理解していようが、もともと、記憶を参考にして考え、その考えを基に行動し、相応の結果になる。
 躊躇する場合は、情報が不足しているか、考えに無理があるからだ。
 結果が不本意な場合は、考えに問題があったことを物語っている。
 しかも、識別や思考は、意識上で記憶を参考にして行っていることだけに、それらを客観的に検証することも可能で、むしろ日常的にも行っていることだからこそ、必要に応じて考えを検証する。

 というより、客観視客観的と言われることの特徴を、日常的に実用したり活用しているといっても過言ではない。
 そもそも、具体的なことは未理解な段階でも、客観的に捉え考えること自体は可能だ。だからこそ、類推や予想までも行うわけであり、誰もが実用し活用するようにもなる。
 それは、知能の高度な面を発揮することだと考えられ、備わっているその能力を誰もが実用し活用するようになるのだと考えられる。

 客観視すれば事実関係を整理することもでき、勘違いや思い込みなどの修正や改善もでき、整理したことは具体的に理解することもでき、更に詳しくもなれる。
 そうするほど、誤りやミスも減少する。

 この場合の事実関係の整理は、理解する対象に関係する記憶を整理することでもある。
 理解できた段階で、整理され関係することで構成された一連のことが記憶に残る。
 記憶に残ったことは、識別でき自覚が可能になるので、更に詳しくもなれるし、説明できるようになるし、着実に好結果を出せるようにもなる。


 自分自身のことや、日常的に使っている知能のことや、知能上で自分が考えていることや、その考えを基に行っていることや、その結果など、具体的に理解した場合は、それらに基づいた自己管理が可能になるので、心身一体の状態になる。

 経験し学習し、理解できるようになる頃には、その準備も整っていることになる。


 これらは、目には見えない内面的なことだが、内面的なことでも客観視でき客観的に整理して考えることができるからこそ、具体的に理解することもできる。

 明らかになってゆくこと自体から、客観視といわれる捉え方や客観的な考え方には、もともと自分の考えをも広く深く具体的に理解することができる性質があることも理解できる。

 これらが、客観視客観的な考え方の特徴だといえる。

 だからこそ、主観的と言われる考え方と、客観的と言われる考え方とでは、明らかに違うことを区別する必要があり、相応の言葉が必要になり、現存しているのだとも考えられる。

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