そもそも、生理面は自律して機能している。
 それは、直に経験し続けている自分自身の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 備わっている知能で、感じ意識し識別し思考し、経験し学習し理解できるようになり、相応の振る舞いをし、相応の結果になる。
 そこまでは誰でも共通だが、経験や学習や理解の内容しだいで人生の理由は変わる。
 知らないことは想像もし、それゆえに勘違いもし思い込みもし、他に目を奪われもするし心まで奪われもし、肝心な自分を見失いさえする。
 以上のうちの、誰でも直に経験し続けていて共通することや普遍的なことが、当ブログのテーマです。
はじめに 更新2013/01/21
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カテゴリ : 趣味の写真「普遍に臨む」

今月は雨が多過ぎる

 
 4日。
「今夕こそは」と思い期待したのだが、久しぶりに見事な快晴になり、夕焼けは無し。



20161004-夕



 5日。
 台風18号通過後に期待した。
 あの、撮影ポイントからの撮影を逃した、めったに見ることができないほど見事な夕焼けは、台風16号がらみだったから。
 ところが、期待は外れた。

 ときどき不完全な朝焼けや夕焼けにはなる。それは撮れている。
 が、期待しているような気象条件にはなかなかなってくれない。
 撮り逃した、あの夕焼けが、いかに貴重だったかを思い知らされるばかりだ。

 10月に入ってから、雨が多過ぎる。
 天候の急変が多く、それゆえの雨だ。
 平野の上空に雲が湧き出して、レースのカーテンのように雨が降りはじめたりする。
 高気圧に覆われているはずなのに、午後には雲に覆われてしまうことも多くなった。

 気象予報では、午後から翌日にかけて高気圧に覆われて晴れる予想だった日。
 野良仕事を早めに切り上げて、スタンバイ完了。
 ところが、これからという頃に雲が空を覆い始め、日没近くから本格的な雨になった。

 11日。
 早朝、家を出ると、薄雲の間から星が幾つも見えていた。
 ところが、山頂に着いたときには、頭上は雨雲に覆われていた。
 今回の撮影目的上、雨は撮りたくないし、避けたい。
 山頂は、かなり寒くもなった。
 早々に下山。
 里から見上げると、雲の上では朝焼けしているらしい。


 12日。
 日没は早くなり、野良仕事を早めに切り上げて出向かないと、撮影ポイントでの撮影には間に合わなくなってきた。
 ところが、頭上の少ない雲から俄かに雨のカーテンが。



20161012-夕



 夕焼けも無し。日本海の上に雲があるんだろう。



20161012-夕


 帰宅後、衛星画像を見ると、日本海の西側半分は雲が無い。ということは、夕焼けになるはずなのに……。
 天気図や衛星画像からは、気象状態は、なかなか読めない。
 期待できるような気象状態にも、一向になってくれない。

 具体的なことを知っていることほど、部分的な可否や是非の判断もできるし、具体的に肯定することも否定することもできる。
 知らないことは、具体的な識別や判断はできない。そこで、つい想像する。つまり、知らないのに、事実確認をしないで、想像する。
 そんな想像だけに、外れの方が多い。失敗の重要の要因だ。
 自分で出向いて、事実はどうなのかを確かめるしかない。

 確認した事実に基づいた推理や予想は必要だ。
 日差しが弱くなるなどの季節的な理由で、朝焼けや夕焼けは難しくなっているのだろうか。
 朝焼けや夕焼けよりは、快晴の方が多くなった気がする。
 快晴の早朝も、コントラストが明確な風景写真が撮れることが分かった。
 紅葉も、変化が目に見えほど進むようになった。
 予定外だが、撮影の練習にはなる。

 じらされ過ぎると、目移りもする。
 こんなに期待して臨んでいる俺を、おまえは嫌っているのならしかたないが……。
 迷惑なのなら、俺は片思いを貫く……。
 目的外のことで、紛らわせたり間に合わせたりしたのでは、肝心な目的を達成できないわけだから。
 農繁期が終わる直後までは、撮影ポイントには行くことも可能なはずだが……。
 10日ほど前、岩木山も八甲田山も初冠雪(平年より早め)だった。
 早目にタイヤ交換をしておくつもりだが、雪が積もってしまうと、撮影ポイントには行けなくなる。

 でも、雪は解ける。
 俺も、まだ死にそうもない。


 ま……、急ぐことでもない。
 競っているわけじゃないんだから。
 そもそも、野良仕事に支障が無い早朝と夕方の自由時間の有効活用なのだ。
 しかも、めったに見ることができないほど見事な夕焼けを撮り逃したし、格好の気象条件にはなかなかならないし、情報収集も遅れがちで、撮影技術的にも失敗が多い。
 競争は論外だ。

 誰かを負かすことでもなく、誰かに勝つことでもない。
 そもそも、自分の人生上の基本テーマは、すでに備わっている知能が本来はどういう能力なのかに関して理解を深めることだ。
 経験でき学習でき上達でき熟練でき理解できるようになることが、知能の基本的な能力だからでもある。
 知能の基本的な能力がそうであることは、誰もが日常会話がそこまで達することによって実証されている。
 もちろん、その程度が限界だとは考え難い。


 かつては、知らなかったことを憶えたんだということをすら未理解だった。つまり、理解力をすら十分に発揮していなかった。
 むしろ、物事を確かめず、安易な想像をしがちで、それゆえに勘違いし苦悩した。
 そんな事実関係が解ったことで解決したわけだが、自分が意識し記憶を参考にして識別し考えて行っている内容に無理も矛盾もあった。つまり、そうであることをすら把握できなかったがゆえに解決できなかった。それゆえの、勘違いや苦悩だった。
 当時も、会話上で納得できなかったり納得したりし、理解力を日常的に発揮していた。そうだったにもかかわらず、そうであることをも未理解だった。
 つまり、肝心な自分の精神面(情報処理)に関することをほとんど未理解だった。だからこそ、想像し勘違いし思い込み、それゆえに困窮し苦悩した。

 その困窮や苦悩の要因だったのが、自分の想像や勘違いや思い込みや考えの無理や矛盾だっただけに、把握でき、具体的に理解するほど、苦悩は解消されていった。
 解決したことによって、やっと、そうだったことを納得できた。

 つまり、自分が意識し記憶にあることを参考に識別し思考しているわけであり、その無理や矛盾ゆえに自分が困った。
 だから、それらに関しては容易に理解できる条件も整っていたことになる。
 にもかかわらず、未理解だったことが要因だったのだ。
 知能を十分に発揮できていなかったどころか、誤用や悪用さえしつつあったからこその苦悩だった。

 知能上の、想像や勘違いや思い込みや考えの無理や矛盾などが整理され理解できたことによって解決できた。
 つまり、知らなかったことを、知った。
 その経験上、どうして知らなかったことを憶えられたのかも解りやすくなった。
 よって、学習の法則や因果律や基本的なことも解るようになった。
 更に、備わっている知能自体に関する各器官の機能や特長や関係や構成も解るようになった。
 つまり、やっと健康的に知能を発揮できるようにりはじめた。
 もちろん、経験でき学習でき上達でき熟練でき理解できるようになる程度で限界だとは考え難い。


 必然的に、想像や勘違いや思い込みや考えの無理や矛盾の浄化や、知能に関することを経験を基に理解することが、自分の人生上の基本テーマになった。
 想像や勘違いや思い込みが減少し、考えから無理や矛盾が減少すると、知能を健康的に発揮できるようになる。
 よって、生きていることはどういうことかをも把握しやすくなる。
 単に生きていたに過ぎなかった自分が、自分が生きていることを人生として捉えはじめたのは、あの後からだった。


 その理解済みなことを、体験的に再確認できることだとも考えたので、写真を始めた。
 競争とは無縁どころか、理解力をすら十分に発揮できていない自分の無知や愚かさを、生きているうちに可能な限り救済したい。
 写真も、その一環にほかならない。

 極めて個人的なことに臨んでいる点でも、撮影現場でも、人間関係は無いと言っても過言ではない世界に臨んでいる。
 誰かと競い争うこととは、むしろ、全く逆のことに臨んでいる。
 普遍的なことや基本的なことは共通で、そういうことを理解することに臨んでいるだけに、他に目を奪われ心を奪われ誰かと競うようになると見失うことでもある。

 自分の勘違いや思い込みや考えの無理や矛盾を整理し把握するためには、より明確な事実や根拠や理由が必要になる。
 よって、想像や勘違いや思い込みがあり好みや価値観が個人毎に千差万別になる人間関係よりは、それ以前から存在している普遍的なことの方が重要になる。
 普遍的なことは、多くの生物にも共通する。
 普遍的なことの基本面も、誰にでも共通だ。
 想像や勘違いや思い込みや考え以前から存在する普遍的なことこそが、想像や勘違いや思い込みによる苦悩を解決してくれ救ってくれる。
 勘違いや思い込みもあり考えには無理や矛盾さえある人という生き物の好みや価値観や考えなどよりは、普遍的なことや共通なことのほうが重要で尊いことは言うまでもない。


 こうして記事にして気づいたのだが、意外にも、自分の人生上の基本テーマの方は把握が容易になっている。
 写真の方は一向に進展しないので、全く予想外だったが、自分の人生上の基本テーマの方では明らかに浄化が進んでいたのだ。


 思えば……、
 現地では、相応の経験をしていた。

 自分を客観的に捉える時間を確保できるからこそ、撮影ポイントに出向いていたのだ。
 寝床が暖かくて好く眠れるようになったのだが、眠くても起きるようになり、夜道を上って山頂を目指す。
 眼下の夜景も見はするが、果てしない天空の下で独りで期待し、望む気象現象になることを待つ。
 野良仕事を早めに切り上げては、果てしない天空の下に自分を解放しつつ、事実の展開に臨む。
 果てしない天空の下では、工作的な考えは通用しない。少なくとも人為的ではない、普遍的なことを、臨み待つ。
 良かれ悪しかれ普遍的な事実を少しでも知ろう理解しようとする。
 当然に、自分の邪念は全く不要になる。
 むしろ、夜景も、私利私欲や無理や矛盾が絶えない人間関係も、下界の出来事でしかないようにさえ思える。
 もちろん、学歴も要らず、資格も要らず、もともと誰にでも許されていることに臨んでいる。

 当初は、「今日は駄目だろう」と想像で片づけることは禁止だったからでもあったが、燃料費も馬鹿にならないという思いを無視するかのように、朝は暗いうちに出向くようになった。
「出向いて事実を確かめるしかない」とも思っていたが、思えば、現地では広大な空間の中に身を置くことになる。
 もちろん、普遍的なことに臨むだけに、関与は不能だし、有効な知識も無いし、知ろうとし待つしかないわけだから、邪心は無用になる。
 だから、精神面が浄化されるのだろう。
 そういう効果に感づきはじめたから、出向かずにはいられなくったのだ。
 もちろん、期待通りにならない日ばかりだったのに、悔やんだことは無かったし本気で残念だと思ったことも無かった。
 当初の目的であり、基本である学習に関する理解を深めるためには、最低限の写真技術的なものを習得したいのだが、そのことをすら忘れがちだった。

 

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 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
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