そもそも、生理面は自律して機能している。
 それは、直に経験し続けている自分自身の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 備わっている知能で、感じ意識し識別し思考し、経験し学習し理解できるようになり、相応の振る舞いをし、相応の結果になる。
 そこまでは誰でも共通だが、経験や学習や理解の内容しだいで人生の理由は変わる。
 知らないことは想像もし、それゆえに勘違いもし思い込みもし、他に目を奪われもするし心まで奪われもし、肝心な自分を見失いさえする。
 以上のうちの、誰でも直に経験し続けていて共通することや普遍的なことが、当ブログのテーマです。
はじめに 更新2013/01/21
主観的とは 客観的とは  客観的な考え方の特徴は  主観的な考え方の特徴は
「心を開く」とは 「心眼を開く」とは
「悟り」とは 2016/12/27
アルバム「普遍に臨む」  アルバム「趣味の園芸」  アルバム「その他」
Copyright (C) 2012 心を開く 心眼を開く All Rights Reserved.
カテゴリ : 趣味の写真「普遍に臨む」

冬モードへの意識の切り替え

 
 悪天候続きだったからだろうか……。

 例年になく野良仕事が忙しかったことは事実だ。

 写真は目に見えることなのに、目に見える成果が今年は無かったからか……。

 いずれにしても、すでに2回も除雪機を使い、すっかり冬景色になってしまった。
 それどころか、最低気温がマイナス11度近くまで下がっていた。

 とっくに、冬モードへの意識の切り替えをしていなければならないのに、一向に始める気にならない。


 というより、考えが行き詰まり、その考えに無理や矛盾があることに気づくとき……。
 気づくことに期待して、息を殺すほど心を落ち着かせる。
 あのときの状態に似ている。
 そうするようになったのは、同じことを繰り返し経験したからにほかならないのだが……。
 もちろん、すっかり勘違いし深く思い込んでいることほど、そうであることに気づくのは難しい。

 否……、単なる怠けか!

 ま……、老化が進行していることも否めない。


 でも、こうして書き始めると、また、その気になる。
 いつも、そうだった。
 肝心な自分のことを勘違いし思い込んでいたに過ぎなかったことに気づき、肝心な自分のことはほとんど知らなかったことが判明した。
 的外れだとも知らずに満足さえしていたわけだから、そんな自分に絶望し、深く落ち込んだ。
 でも、生きるしかなかった。書くことで気持ちを整理することが必須になった。
 それでも、今だに、余計なことを気にすると焦る。
 妥協すると、もちろん的外れな方へ行ってしまう。

 いわば、思考パターンが本来の健康的な状態であることが大事であり、それを自分で維持管理できることが重要だった。
 意識の切り替えに好都合だと思って再開した写真では、写真自体は一向に進展しなかったが、意外にも心の浄化は進んでいた。
 あれも、精神面では、妥協しなかったし焦らなかったからだともいえる。
 写真を撮りに行っていたわけだが、精神面では余計な考えを排除して可能性に期待した。その練習を、行くたびに行っていたようなものだった。
 気象現象に関する具体的な知識が無いだけに、余計なことを考える。その余計な考えが排除されるほど、ただただ可能性に期待する。
 そんな精神状態になれるからこそ、写真は一向に進展しないのに、車の燃料費を気にしながら、暗いうちに起きて、撮影ポイントに足を運んでいたようなものだった。

 あ、あれを、まだ引きずっているのか……。
 今年の撮影は、紅葉で終わりにしたのに。

 それとも、写真が一向に進展しなかったことへの未練もあるのか?


 夏、写真に関しては一向に進展しなかっただけに、ヒントを得ようと思い、写真ブログを次々に覗くようになった。
 その先々で、圧倒された。
 こんな写真も撮れるのか。
 どうやってこういう写真は撮るのだろう。
 この人はプロのカメラマンなのか。
 などと思わされもした。
 つい、どんなレンズを使っているのだろうとも思い、使っているカメラは……、などとも思った。

 自分は、中古のデジイチが安かったことで、かつて諦めた写真を、今年たまたま再開した。
 入手したカメラは、使いこなせるはずもなく、人生最後の一眼レフだとも思い、使い倒す気でいたのだが……。
 10年ほど前に D200 で撮った画像も気になりはじめた。それが入っているハードディスクを引っ張り出して見てみた。
 D200 で撮った画像と、使用中のカメラの画像とは、透明感が違う。明らかに D200 の方が自分の好みだ。
 使い慣れてはきたが、使用中のカメラを自分はまだ使いこなせていない。
 否、未熟だからこそ、続けるためには機材との相性も重要なのだ。
 しかも、D200 は、10年ほど経った今では2万円も出せば買える。
 意外な成果があった以上、写真は止めるわけにはいかない。
 むしろ、来年こそ、撮れるものなら、心を浄化した理由までも写っているような画像を撮りたい。
 稀な気象現象という点でも、下手でも、フルサイズのカメラで撮っておきたい。

 そうこうしているうちに、秋の農繁期に入った。
 そして、悪天候の所為か、赤が冴えないまま今年の紅葉は終わり、今年の撮影も終わった。
 写真が一向に進展しなかったことも事実だ。


 ならばと、今年購入した中古のカメラ3台+レンズ5本をすべてヤフオクに出品した。
 なんと、総額では、入手時の総額に近い値で売れた。
 思えば、かつてD200を手放した時も購入価格とほぼ同額で売れた。
 どういうこと?。

 早速、Nikon D750 を入手することに決定。
 D750用のレンズは、主に朝焼けや夕焼けを撮る都合上、できるだけ明るいレンズを欲しかった。
 でも、今年使ったカメラは、いずれも同じメーカー製で、手振れ補正機能がボディ内蔵だった。手振れ補正は有効だった。
 かつて使ったD200は、レンズ側に手振れ補正機能が必要だった。が、ほとんど単焦点レンズばかり使用していたので三脚は必須だった。
 もちろん、絵に描いたような貧乏暮らしの予算上、フルサイズ用のレンズとなると、複数は無理だ。
 というわけで、レンズは、AF-S NIKKOR 16-35mm f4G ED VR 手振れ補正機能付きに狙いを定めた。

 なんと、その狙ったレンズ AF-S NIKKOR 16-35mm f4G ED VR が、フィルター付き、ほぼ新品、保証期間中で保証書付き、なのに他よりも安価、即決、出品されたのは前夜だった。
 即、落札。

 数日後、Nikon D750、開封済み未使用品(レンズキットからレンズを抜き、キャッシュバックキャンペーンに応募済みのもの)を、落札。
 D750 は、今年使ったカメラをヤフオクに出品して得た総額よりも、800円高かった。

 到着した D750 のリコール問題の確認をした結果、いずれにも該当しなかった。



20161123 D750到着当日の動作確認画像より


 予算的には、レンズの分は新たな出費になった。
 その分は、サブ機にしようと思っていたパソコンなどを、ヤフオクに出品して補うことにした。
 数年前から始めた、パソコンの修理再生の勉強上、再生したパソコンを66台ヤフオクに出品したが、黒字にすること自体が容易ではなかったので止めることにした。
 そして、再生67台目は、自分用のサブ機として残しておこうと思っていた。
 が、それは余分なものであり、むしろカメラの方を優先した。

 カメラは、完全に入れ替わった。
 もちろん、この先の冬場は、使わない。
 来年こそはと思う期待が、そうさせた。
 ということは、今年の撮影は終わったのに、カメラは来年用のものを用意したから、まだ気持ちを切り替えられないのか。

 その心は、自分の目にも見えないし、写真にも撮れない。


 これまでもそうだったが、こうして書くと、意識の切り替えができない理由であろうと思われることが次々と判り、具体的な真因は捉えられなくても、意識の切り替えは進む。


 雪に埋もれる冬場に自分が臨むことも、目に見える被写体を撮る写真とは違う……。
 むしろ、目には見えないが紛れもなく存在するものを、文章化することで、目に見えるがごとく明らかにすることに臨む。

 目には見えないが、紛れもなく存在するものには、意味や理由や法則などもある。
 それらは、紛れもなく存在するが、五感を駆使しても捉えることはできない。
 でも、記憶に残っていることを、事実関係に基づいて整理すると、捉えることができる。
 つまり、記憶に残っていることを、事実関係に基づいて整理できる思考力や理解力を発揮することによって捉えることができる。
 その記憶に残っていることや思考力や理解力も、内面的なものなので目には見えないが、紛れもなく存在する。
 だからこそ、それに基づいた相応の振る舞いもし、相応の結果にもなるし、それゆえに結果に一喜一憂もする。

 複数の写真ブログを覗いても、それぞれに個性がある。
 つまり、写真には、その撮影者の考えや気持ちや心も写っていることになる。
 もちろん、撮影者は、そうであるか否かに一喜一憂する。
 ただ、それを、他者が具体的に捉えるのは難しいだけだ。

 言葉で具体的に話すことが無い犬や猫も、いろんなものを見分け聞き分け嗅ぎ分けて相応の行動をしている。
 現在地からは見えない所を目指しもするし、スキップに似た駆け方もするし、近道もするし、帰っても来る。
 犬は尻尾を振るし、猫は尻尾をピーンと立てる。
 さまざまな反応や振る舞いを見せるが、それらは、相応の気持ちや考えがあることや、相応の学習をしていることを、如実に物語っている。
 もちろん、人も、まだ言葉を話せない頃は同様だ。
 ただ、それらの内面的なことは、目には見えない。
 でも、目に見える事実を整理したり、記憶なしには識別できないし相応の感情や気持ちも生じないし相応の行動もしないなどと整理すると、目には見えないことも思考上には浮かび上がってくる。
 自分の精神面も、基本的には同じ構造であることを理解できていると、目には見えないことの方が重要で尊いものとして観てくる。
 かつて、考えに無理や矛盾があって苦悩した場合でさえ、本来は高度な知能を誤用していた状態にあったからであり、知能の尊さを理解できていないからでもあった。

 その見ている側の、中枢である内面的な心を、あたかも目に見えるくらいに明らかにしたいものだと思う。
 可能なら、考えの無理や矛盾までもが一目瞭然になるくらいまで明らかにし、解決を容易にしたいものだと思う。
 少なくとも無知と愚かさを思い知らされた自分の心をそういう風に捉えられるようになりたいわけだが、これこそが、自分の人生上のメインテーマでもある。


 そもそも、本当に大事なものは、目には見えない。
 本当に大事なものこそ、お金では買えない。
 
 

そもそも、本当に大事なものは、目には見えない。



 大事なことか否かの価値判断をしているのは、心だ。だから、心こそが最も大事なものなのだ。が、心も、目には見えない。
 心には、勘違いや思い込みもある。が、それも目には見えないがゆえに、解決が難しかったりもする。

 産まれる機会に恵まれて生きていることを体験できていること自体が、どれだけの価値があるのかに関しても、個人毎に理解している内容が異なるだけに価値観にも相違がある。
 直に経験し続けている自分自身に関することなのに、その価値を知らないだけだったりもする。
 そもそも、自分の身体が形成された頃のことは知りもしないわけだから。
 産まれた時のことも知らない。
 この身体の生理は、自分の意思に因るものでもなく、自律して機能していることになるので、絶妙な秩序に基づいて機能していることになるが、その具体的なことはほとんど知らない。
 備わっている知能で、意識し記憶を参考に識別し思考し理解し予想もして、相応の振る舞いをし、相応の結果になるだけに一喜一憂する。が、その情報処理中枢である心は、内面的なことなので、五感を駆使しても捉えることはできない。
 でも、そんな知能が備わっているがゆえに、経験でき、学習でき、上達でき、記憶を参考に条件反射的な速さで情報処理を行うようになり、記憶にあることを整理できる思考上では目には見えない意味や理由や法則や普遍性なども理解できるようになる。
 つまり、自分の意思の及ばない次元で産まれる機会に恵まれ、自分が未理解でも生理面は絶妙な秩序に基づいて自律して機能していることによって生きていられることなどを、思考上で理解できるようになる。
 この絶妙さや尊さは、誰もが直に経験し続けていることでもあり、経験していることを基に事実関係を整理するだけで理解でき納得できることであることも理解できるようになる。
 単に目に見えることよりも、記憶を参考にして識別できることや思考上で理解できることの方が能力的にも優れていることも理解できる。
 理解する以前から絶妙にできているんだということを、より具体的に理解し合えてこそ、より信頼し合え、生きていること自体を尊重し合える。

 ただし、記憶を参考にした思考上で理解できるようになることは内面で行われるであり、五感を駆使しても捉えることはできないことだけに、具体的なことは理解しそびれたりもする。
 知らないことは、自覚できないし、識別すらできないので、尊ぶことなど論外だ。
 道順も所在地も知らない所は、目指すことすらできないし、到達はできないわけだから。
 見えるものに、目を奪われ心まで奪われがちでもある。しかも、錯覚もし、勘違いもし、思い込みもする。
 行き着いたところが、生きているに値しないところだったりしても不思議ではない。


本当に大事なものこそ、お金では買えない。



 本人が模索し試行を重ねたことは随意にできるようになるし上達もする。が、本人がそうしなことは、そうならない。
 親友、恋、理解し合うこと、信頼し合うこと、理解し合え信頼し合える恋人、尊重し合うこと、理解し合え信頼し合える尊重し合える人生の伴侶、愛。それらは、そもそも何処でも売っていないわけだから。
 むしろ、売り買いしたら、それらは崩壊し成立しなくなる性質のものでもある。
 それらは、誰にでもすでに与えられている能力上で理解できることであり、理解することに因って成立するものだからだ。
 つまり、それらは、無料であり、むしろ誰でも得られるようにできていて、もともと学歴や資格や資金も要らないことでもある。

 言うまでもなく、誰にでも与えられていて、誰でも直に経験し続けることだが、目には見えないことであり、思考上で理解することによって明らかになり成立することだけに、理解するか否かに左右される。
 むしろ、未理解なまま見失ってしまったりする。
 他者が、尤もらしく、いかにも優れたものであるかのように見せかけているに過ぎず、私利私欲を貪ろうとしているのに、そうであることを見抜けず、目を奪われ、心を奪われ、翻弄されるほど、大事なものは見失い、誰でも直に経験し続けている肝心な自分をさえ見失ってしまう。
 やがて絶望することなのだとは知らずに、的外れなことにでさえ満足してしまったりもするわけだから。

 

コメントの投稿

非公開コメント

応援アクセス、ありがとうございます。
応援アクセスに、とても励まされております。
好みや価値観は千差万別ですが、
それゆえの好刺激も戴いております。
FC2アクセスランキングのみ参加中です。
拍手ボタン等は非表示中です。
よろしくお願いします。

こちらからのお礼の応援アクセスは、
冬期間は随時&随意に致します。
プロフィール

kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
リンク
アクセスランキング
応援アクセス、ありがとうございます。
クリックは不要です。

[ジャンルランキング]
心と身体
386位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
メンタルヘルス
65位
アクセスランキングを見る>>
カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
検索フォーム
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
QRコード
QR