そもそも、生理面は自律して機能している。
 それは、直に経験し続けている自分自身の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 備わっている知能で、感じ意識し識別し思考し、経験し学習し理解できるようになり、相応の振る舞いをし、相応の結果になる。
 そこまでは誰でも共通だが、経験や学習や理解の内容しだいで人生の理由は変わる。
 知らないことは想像もし、それゆえに勘違いもし思い込みもし、他に目を奪われもするし心まで奪われもし、肝心な自分を見失いさえする。
 以上のうちの、誰でも直に経験し続けていて共通することや普遍的なことが、当ブログのテーマです。
はじめに 更新2013/01/21
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「悟り」とは 2016/12/27
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カテゴリ : ◆無知の悟 「俺は、病気じゃない、異常でもない」

序. 今は……

 
 惑い迷うとき、そういうことからは離れ、独りで気持ちや考えの整理をする。
 自分の人生を左右することだから。
 他人がどうだとかではなく、あくまでも自分はどう感じているのか、自分はどう思うのか、自分はどうすべきなのかなどを重視する。

 生きていることは、どういうことなのか。それは、直に経験し続けていることでもある。学習能力もあり思考力も理解力もある。しかも、百年前後も生きる。そんなことを具体的に理解することも、超個人的なことだ。
 でも、生きていることがどういうことかは、誰にでも共通する。人工的には創れない普遍的な面は、猫や犬たちと共通することも少なくない。そういうことを理解することにもなる。

 なので、解明できそうなのに、できない場合なども、同じようなことをするようになったのだが……。


 2016年。久しぶりに写真を再開した。
 写真では進展も無く成果も無かったが、意外にも至福の時間を堪能できた。
 あの、具体的な理由を知りたい。
 あれは、具体的にはどういうことだったのだ……。

 一向に進展も無く成果も無い写真撮影に臨むだけに、「今日は駄目だろう」などという余計な考えは排除した。
 きっとあると期待して臨み続けた。
 峰が幾重も見える広大な空間の中で、独りで、自分の撮りたい自然現象になることに期待して過ごした。

 結局、余計な考えを排除しただけだった。
 それ以外は、何もしなかったに等しい。
 結果的にも、写真に関しては進展も無く成果も無かった。
 余計な考えを排除する練習だけをしていたようなものだった。

 なのに、なぜ、至上の贅沢な時間を過ごせているような精神状態になれたのだろう……。

 むしろ、至福の時間だけは堪能できたから、続けていたような気さえする。
 なのに、あの具体的な理由を、なぜ解明できないのだ……。


 具体的な理由を見い出せなかったり納得できない場合は、勘違いをしているからだったり、的外れなことを考えているからだったりする。
 精神的には、錯覚もあり、勘違いもあり、思い込みだってあるわけだから。
 実行できないことや嘘だって、考えるだけなら容易だ。なので、考えには無理も矛盾もありえる。
 目を奪われ、心まで奪われ、いわば洗脳されたとも知らずに翻弄されもするし、そうだとも知らずに有頂天にさえなる。

 否。そういう方に向かうことは、的外れか……。


 日常的には、何かに気を取られたりし、集中的な識別や思考や判断などをしがちだ。
 記憶に残っている情報にも、気持ちや考えは左右され、真剣になったり、集中できなかったりもする。

 その、気持ちを左右したり考えの基になる記憶は、随意に消すことはできないし塗り替えることもできない。
 勘違いや思い込みも記憶されていることなので、もちろん随意に消したり塗り替えたりすることはできない。

 だからこそ、思い出すまいとしたり、考えまいとしたりもする。わざと他のことを考えたり、気を逸らしたりもするわけであり、考えることは随意に行っている。
 随意に行っていることだから、目が覚めている状態で、考えることを止めてしまうこともできる。
 ただし、日常的には、気になることを意識しがちで、集中的な識別や思考が必要になりがちなので、集中の練習をしているようなものだ。
 それとは逆のこととも言える、目が覚めている状態で考えを止めることは、やったことすら無かったりする。
 やったことが無い場合は、少しは練習しないと、できるようになれない。
 でも、何も考えない状態になるだけだ。道具も要らず準備すら要らず学歴や資格や資金も要らない。
 単に考えを止める、その練習をするだけで、できるようになれる。
 もちろん、誰でもできるようになれる。

 何も考えない状態になれると、その時だけだが、記憶にあることや勘違いや思い込みなどとは無関係な状態になれる。
 つまり、消すことはできない記憶があっても、解明できず解決できない勘違いや思い込みがあっても、具体的な理由を解明できないことなどが頭の中にあっても、それらとは無関係な精神状態になることができる。

 それでも、呼吸器系だとか消化器系だとか循環器系だなどと言われる生理面は、自律して機能している。
 つまり、記憶にあることや考えとはほぼ無関係に、もともと絶妙な構造や秩序に基づいて生理面は成り立っている。
 そうであることによって、生きていること自体が成り立っている。
 そうだからこそ、未学習の赤ん坊でも生きていられ、いろんな動物も植物も生きていられる。
 生後に習得する知識や考えとは比較にならないほど、生理面が優れていることは歴然としている。
 むしろ、記憶にあることや考えに対しては、生理面は絶対的な存在だ。

 そんな生理面だけを体験している状態になったからだったのか……。

 が……、「これだ」と納得できる理由ではない。

 至福の時間を堪能していただけに、あのときは、こんなことは考る必要がなかった。
 あのときの記憶を想い出しながら、その理由を探しているからなのだろうか……、納得できる理由は、いっこうに解明できない。




当時の撮影画像より


 もしかしたら、あの広大な空間の中にいたこと自体に、理由があったのか……。

 大自然の広大な空間の中にいただけに、いわば他界へのルートとか他界への扉とでも言えるようなものを見つけられはしないだろうかとも、幾度も思った。
 それは、自分の人生の、まさに最期の課題だ。
 それを見出せていれば、期待して積極的に他界に臨むことが可能になる。
 それを見い出せることは、相応に心の浄化が進んだ証だとも考えられ、備わっている知能を健康的に発揮できた証だとも考えられる。
 人生の内容が、最期のための心の準備に通じていてこそ、生きたに値するものだったとも考えられる。

 心の準備もできないまま死ぬ、その辛さをかつて経験した。
 その日のうちに気持ちが一転し、眠るとそのまま死んでしまいそうな気がして目が冴えてしまい、しばらくは眠れなかった。
 生きるしかなかったが、その最期の心の準備をするためでもあった。
 猫が死んでも、その時の気持ちを教えてほしいと思った。
 せめて、楽しかったのか幸せだったかだけでも教えてほしかった。
 猫が他界へ向かうたびに、言葉では何も話し合えなかったことを惜しんだ。

 その、最期の課題も、いまだに解決はできていない。




当時の撮影画像より



 でも、
 幸福も……。
 愛も……。
 
 

幸福も……。



 進化や、身体が形成されることや、産まれることや、生理的には自律して機能していることが、先にある。
 知能も備わっているので、後に、経験し学習し相応のことは随意にできるようになる。
 生きていること自体が理解し尽せないほど絶妙な存在だからこそ、いろんな動物と仲良くしたくなるし、植物とさえ仲良くしたくなる。

 現代の礎である進化の機構も、世代交代をして生き続ける生殖機構も、現代人の思考力や理解力は到底及ばない次元で形成されたことでもあり、理解することすら容易ではない。
 名医と言えども、生後に習得したことを以て治療できることに限度があり、死を余儀なくされる。
 天才と言えども、生後に理解できることには限度があり、死を余儀なくされる。
 むしろ、生後に習得する性質上、その内容は限られ偏りもし、勘違いや思い込みもあり、考えには無理や矛盾なども生じるだけに、生活がままならなかったり、健康管理もままならなかったりする。
 精神面がそうでも、生きていること自体は自律して機能しているわけであり、絶妙な構造や秩序に基づいて成り立っていることになり、生後に習得することに対しては絶対的な存在であることは歴然としている。

 むしろ、学習の性質上、生後に習得する知識は、限られ偏りもする。
 直に経験し続けることであり歴然としている自身のことをさえ、理解するとは限らない。
 生理面は自律して機能していて普遍的な存在で尊いことであり、知能も備わっているので誰でも直に経験し続けていて歴然としていても、そうであることを未理解だと尊ぶこともできない。
 未理解だと、自分のことをさえ勘違いし思い込みもする。
 勘違いや思い込みもある考えには無理や矛盾もあり、生理面に悪影響さえ及ぼす。
 生後に習得した内容しだいでは、自殺もし、殺人もし、戦争までする。

 つまり、尊さを理解できてこそ、尊ぶこともできる。

 既に、尊いことは存在している。
 それを、生後に理解できるか否かや、すでに理解できているか否かに左右される。

 具体的に理解するほど、具体的に尊ぶことも可能になる。
 尊いことに知能を発揮してこそ、知能を有意義に発揮していることにもなる。
 日常でも、普遍的で共通なことが根拠や理由であるときや、より具体的に理解したことに関しては、心も揺るぎなくなる。
 誰でも直に経験し続けていることである産まれる機会に恵まれたことや生きていること自体の巧妙さを、具体的に理解するほど、具体的な説明も可能になり、具体的に尊べるようになる。
 そうであってこそ、幸福であり得る。

 もちろん、普遍的で共通なことなので、誰でも理解できる。
 誰でも直に経験し続けていることを、事実に基づいて整理して理解するだけなので、学歴や資格も要らない。売り買いできるものでもないので、資金も必要無い。貧乏暮らしだとか障碍者だとかも気にする必要すら無い。
 むしろ、他のことに目を奪われ心まで奪われてしまうからこそ、直に経験し続けている尊いことを見失う。

 絶妙にできていて、名医や天才といえども理解し尽せない。そういうことに関して、理解を深めるわけだから、深まり続けることはあっても、尽きることは無い。
 しかも、誰にでも共通することだけに、世代を超えて理解を深め続けることも可能だ。
 破綻や崩壊とは逆に、普遍的な根拠や理由に基づいたことが世代を超えて確立され強固になる方に進む。
 まさに真の幸福であることが実証され続ける。


愛も……。



 産まれる機会に恵まれて、生きていられる。
 その基礎である生理面(生きていること自体)は、絶妙な構造や秩序に基づいて自律して機能している。
 そうであることは、備わっている知能で経験し続ける。理解することもできるようになる。具体的に理解するほど具体的な根拠や理由基に尊べるようになり大切にする。
 本来は、より理解し合い信頼し合い尊重し合う異性同士の子供が産まれるようにできている。
 生理面は絶妙にできていることを、確かめ合う。
 名医と言えども創ることはできない、子供が産まれる。
 天才と言えでも創れない、知能も備わって産まれる。

 産まれる機会に恵まれて生きていられること自体の絶妙さや尊さに関しては、どんなに理解し合い絆を深め合っても、尽きることはない。
 名医や天才といえども、理解には限度があるから、対処も限られ、死を余儀なくされるわけだから。
 精神的には的外れなことに夢中になりもするので、生後に習得したことを以ては、生活がままならなかったり、健康管理がままならなかったりもする。

 進化に関しても、祖先に関しても、自分が生きていること自体に関しても、備わっている知能では理解し尽せない。
 でも、生きていること自体の絶妙さは、共通なだけに、世代を超えて理解を深め合うこともでき、受け継がれもする。
 普遍的な根拠や理由に基づいたことを尊んでこそ、真の愛なのだ。

 誰でも直に経験し続けていることを、事実に基づいて整理して理解するだけなのに、そうするとは限らないので、理解するとも限らない。
 まして、他に目を奪われ心まで奪われると、見失ってしまう。
 結局、上辺だけを尤もらしく繕い、本当らしく見せかけ、優れているかのように競い争い、私利私欲を貪る。
 疑われ非難され軽蔑され攻撃され、破綻し崩壊する。
 幸福や愛とは、逆のことを行っているんだということをすら分かっていなかったりする。


 が……、自分の若い頃の裏返しのようなものだ。
 今更、こういうことに気づいても、遅い。若い頃に、戻ることもできない。
 むしろ、目に見えないスピードで老化は進み、すでに自覚するよりも先に進んでいる。

 でも、普遍的な根拠や理由に基づいたことは、共通でもある。
 人の捉え方や使う言葉が違うだけだったりもするのだ……。
 勘違いや思い込みには関係なく、生きていること自体は絶妙にできているんだということを理解することが重要であることは間違いない。


 かつて、勘違いや思い込みを解明して解放された時も……。

 当時は、必然的に心の整理を余儀なくされた。
 その延長線上にある、今は、ごく当たり前のように心の整理をするようになったわけだが……。
 現在に至る突破口を見い出し、軌道修正ができたことを実感しただけに、遅れ馳せであることも自覚し、先を急いだ。
 当時のことを具体的な整理をしようと思いついても、つい後回しにしてきた。
 いかに無知で愚かだったかを思い知らされた内容だからでもあった。
 そうであることを改善することも、そのために具体的に理解することも、個人的に必要なことだからでもあった。
 不都合なことは知られまいとする一面もあった。

 でも、無知で愚かそのものだったが、望んでそうなったわけではない。悪意があったわけでもない。
「俺は病気ではない。異常でもない」
 あの時は、そう気づいただけだったが、気づけたからこそ具体的に裏付けられた。

 後回しにするほど、これからは、困難になる。
 後回しにし続けていた、あの頃の自分を、理解して救おう……。
 記憶に残っていることを、ただ想い出して整理するだけでできることなんだから。
 苦行や荒行は必要ない。修行すら必要無いことなんだから。
 記憶の中の、あの頃の自分に、会いに行こう。
 
 

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kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

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