生理面は、自律して機能していて、生存の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 生きていることが絶妙にできていることを直に経験し続ける知能も備わっていて、相応の学習もするわけだから、生きる理由を学習するようなものだ。
 記憶を参考に識別し思考し、学習し上達し熟練し、見えない約束やルールや法則なども理解でき、理解し合い協力し合い信頼し合い尊重し合えるようにもなる。
 生存や経験や学習や思考や理解、信頼や尊重や愛や幸福、それらは理解上成立する。しかも、誰でも理解可能で、無料だ。むしろ、売買すると崩壊する。
 以上の、普遍的なことや誰にでも共通することが、当ブログのテーマです。
 もちろん、進化や自身が形成された経緯や生命生理などは、通常は知らない。
 誰でも共通な知能や経験や学習や理解に関することも、理解するとは限らない。
 知らないことは想像もするし、自分のことでも勘違いし思い込みもする。目を奪われ心まで奪われ、自分を見失い人生も見失い、そうであることに気づけなくさえなる。
 よって、好みや価値観は百人百様になる。
 が、普遍的ではなく、共通でもなく、異なるほど、理解し合うことは難しくなる。
 私利私欲を貪り、相殺して蝕み合い、競争で優劣を決め、転嫁し暴力で片づける。
 非理解、非協力、非信頼、非尊重、そういう非知的なことは、むしろ避けたい。
 そうであることは、マスメディアが発達した現代では歴然としているわけですから。
はじめに 更新2013/01/21
目次:無知の悟「俺は、病気ではない、異常でもない」
主観的とは 客観的とは  客観的な考え方の特徴は  主観的な考え方の特徴は
「心を開く」とは 「心眼を開く」とは
「悟り」とは 2016/12/27
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カテゴリ : ◆自分を理解する。

猫だって学習する 3.猫もルールを学習している


 たくさんの応援アクセスに、感謝を申し上げます。

 8月7日撮影後、天候に恵まれず、撮影は無いまま現在に……。
 よって、趣味の写真「普遍に臨む」:朝焼け(日の出)・夕焼け(日の入り)の画像は、今回は掲載を休みます。



 居間のストーブの周りで、チビたちは過ごす。
 自分は台所で、チビたちのご飯を用意する。
 当時は、現在のようにペットフードは普及していなかった。
 地元の魚菜店から安価な鰯などを買ってきて、水煮し、それをくずして、同量くらいの人用のご飯を混ぜて、いわゆる猫マンマを用意する。
 大型スーパーの出店に押され気味になり、生き残っている地元の魚菜店も、調理済みの総菜を扱う量が増えたとか、生魚を買っても店で三枚におろしてもらう人が多くなったなどと言い、そのアラを貰えるようになった。
 増えはじめた養老施設などもお得意さんだという魚菜店だけに、鯛やハマチなどのアラだったりもした。


 猫と、気持ちや考えを伝え合えないものだろうか……。
 そう思い、ご飯をあげる時には、必ず「ごはんだよ」と言ってから、「『ごはん』と言うのはこれのことだよ」と言いながら、ご飯をあげてみることにした。

 それを繰り返すうちに、「ごはんだよ」と言うと、ストーブの傍に寝そべっていたチビは起き上がって座り、辺りをキョロキョロ見回すようになった。
「はい、ごはん。『ごはん』って言うのは、これのことだよ」
 食べることが先のチビたちは、人が言う言葉には関心は無い。
 目には見えないことでも伝え合える言葉の機能も、言葉を使わないチビたちは知らないのだ。
 でも、警戒心丸出しだったのが、こんなに馴れた。自分も、このことの方が大事だ。

 やがて、「ごはんだよ」と言うと、チビは明らかに寄って来るようになった。
 こういうことも学習するんだ。
 だったら、チビたちが一度に食べきる食事の量を把握し、決して残さない程度あげた方が効果があるはずだ。
 むしろ、お腹が空くくらいの方が分かりやすいはずだ。
 常に食べ物を与えておいたのでは、チビたちは、こういうことは学習する必要すら無くなるわけだから。

「ごはんだよ」
 と言うと、チビたちは小急ぎに来るようになった。
 言葉の意味は分からなくても、「ごはんだよ」という人の発声の後に、ご飯を貰える。こんな事実関係を、チビは憶えたのだ。

 だったら、「ごはんだよ」と言いながら、その食器を箸で叩いて音も出しても、その事実関係をチビは憶えるのか、試してみた。
 それは、数回もしないうちに、反応するようになった。
 人の発声が、食器を叩く音に替わっただけだから、当然なのかもしれない。
 でも、「ごはんだよ」と言うのを、食器を叩く音に替えても、チビたちは反応する。
 やはり、食器を叩く音がした後で、ご飯をもらえる。この事実関係を、チビたちが憶えたからにほかならない。

 そういえば、畑の近くなどで鼠か何かを狙っている猫を見かけるが、鼠は見えていないのに、音だけで鼠の動きを察知して狙っているとしか思えなかったりする。


 いつのまにか、チビたちのご飯の準備をしている段階で、チビたちは気づいて明らかに待っている。
「ごはんだよ」と言ったり食器を叩いたりすると、そうするのを待っていたかのように一斉に寄ってくる。
 ということは、自分がチビたちのご飯の準備をはじめた際の振る舞いや音や匂いなどを基に、そろそろご飯をもらえることをチビたちは察知していることになる。
 すごい……。

 その後、ご飯の準備をしている段階で気づいたチビたちは傍に寄って来て待機するうようになった。
 しかも、落ち着かない。
 もうすぐご飯を貰えることを、完全に察知し予想している。

 あることが発生すると、その次にはどういうことが起きるのか。そんなことも、猫たちの記憶にも残っているのだろう。
 その記憶を参考にするから、あることが発生した段階で、その次にどういうことが起きるのかまでも、察知や予想できる。
 その察知や予想を基に、待機しているわけだから、察知や予想を基に相応の行動までしていることになる。
 そんなことまで、猫も学習するんだ。
 まさか、俺の勘違いじゃないよな……。

 傍に来て「早く食べたい」と言わんばかりに「ニャー」と言って催促するようになった。
 ご飯の準備を始めた段階で、そのもの音や匂いなどを基に、チビは自分が食べるご飯の準備を始めたことを察知し、そろそろごはんをもらえることを予想するからだ。
 チビの振る舞いに、クロは追従する。
 おっかあは、反応が遅く、まさに借りてきた猫のようでもあり、遠慮しているようにも見える。が、子供たちを見守っているのだろうか。


 ということは、チビが戸を開けるのを憶えたのも、人が戸を開けるのを繰り返し見ているうちに、戸が左の方に動くことや、戸が動くと出入りできるだけ開くことを憶えたからだ。
 その記憶を基に、チビも戸を動かして開けようとし、ガリガリ引っ掻くようになったのだ。
 そうしているうちに、爪が掛かって、戸が動いて少し開いた。
 その開いた隙間に、チビは右手を入れた。もちろん、力を発揮しやすくなり、更に開いた。
 そこに、強引に頭を入れて、もがきながら身体も押し込んで更にもがき、自分が出て行けるだけ戸が開いて、ついに出て行った。
 もちろん、自分で開けることができるんだということも体験した。それも記憶に残ったはずだ。
 だから、積極的に大胆な開け方をするようになった。後ろ足だけで立って、両手の爪を戸に引っ掛け、戸が接している柱に額を押し付けて開けることを憶えた。これなら、力も発揮できる。
 やる度に、上達した。やる度に、力加減やコツを憶えたからだ。
 チビは自分で簡単に戸を開けて出かけるようになった。

 チビが開けるのを待っていたかのように出かけるクロとおっかあは、戸を開けることを憶えようとすらしない。
 だから、憶えない。

 また、猫は、鼠取りは人よりも巧いのだろうが、人が用意してあげるようなご飯は作れない。
 だから、ご飯は、作ってくれるのを待つしかない。
 そういうことなのだ。


 その後、チビたちのご飯の準備を始めたら、チビが待ちきれないとばかりにウロウロしはじめ、ついに飛び上がってシンクに上がった。
「ダメ。ダメだよ、チビ。こういうことは、しちゃダメ」
 触ることは許されるようになったものの、まだ抱っこをしたことは無かった。が、初めてチビを抱えて、床におろした。
 そして、恐る恐る、厳しい口調で「ダメ」と言い、その頭に軽く猫パンチをした。
「行儀良く待つ。そういうことも憶えなきゃ」

 翌日も、チビは飛び上ろうとした。
 が、飛び上がる前に厳しい口調で叱った。
「ダメ。飛び上っちゃダメ。やったら、お仕置きだよ」
「……」
 チビは、返事はしないし、言葉は通じないわけだし、早々には憶えないのかな……。
「これは全部、チビたちに上げるんだから。急かされて、手を抜くと、おいしくないんだよ」
「……」
「はい、お待たせ。ごはんだよ」

 チビが飛び上がろうとする都度、厳しい口調で戒めているうちに、シンクに飛び上がろうとはしなくなり、また座って待つようになった。
「今やってるから。行儀良くして、待ってろ」

 叱られたことも、やってはいけないこととして、ちゃんと学習するんだ。
 間違いない。

 思えば、チビたちの、お腹をさすったり、脇の下をさすったり、喉をさすったりすると、自分の手を噛んだりするが、まさに加減して軽く噛んでいる。
 猫パンチも、相手を殴るというよりは、相手の振る舞いを戒めているのではないかとさえ思える。
 チビとクロがジャレ合っているうちに、悲鳴を上げ、身構え、爪先立って毛を立てて背を丸めて敵対することもあるが、怪我をするほどのことはしていない。むしろ、直ぐに仲直りする。
 母猫は、子猫を首の後ろを噛んで運ぶことは知られている。が、子猫なのに怪我をすることは無いのだろう。むしろ、子猫を安全な場所に運ぶわけだから。
 仲良くしたいとか、嫌われるようなことはするまいとか、相応の加減もしていることになる。

 そもそも、親子でも子猫同士でも、モミモミもしているし、舐め合うし、ジャレ合う。
 でも、子猫同士でジャレ合っても、悲鳴を上げたり、反撃したりもする。親猫も、子猫に猫パンチをしたりする。
 でも、いじけることは無いし、敵対関係にもならない。
 結局、喉をゴロゴロさせてモミモミもするし、舐め合うし、仲良くジャレ合う。
 つまり、やってはいけないことも憶えて、慎むようになるから、仲良くできるのだろう。
 猫同士でも、仲良くするために必要なことや、仲良くするためにはやってはいけないことも、学習して、相応の振る舞いをしていることになる。
 もともと、親子間や子猫同士で、そんなことも学習しているのだ。


 もちろん、攻撃もするし、威嚇もするし、悲鳴も上げるし、警戒もするし、安眠もするし、尻尾をピーンと立てもするし、喉をゴロゴロさせるし、モミモミもやるし、親子でも子供同士でも楽しそうにジャレ合いもする。
 あれは、猫にも、嫌だとか、痛いとか、嬉しいとか、楽しいとか、そんな感情や気持ちや考えもあることの証なのだ。
 気持ちや考えもあるからこそ、相応の判断もし、相応の振る舞いをしていることになる。

 戸を開けることにしても、自分で必要なことは独自に学習して、自分でできるようになるわけだから。
 仲良くするために必要なことも学習して、相応の振る舞いをしているのだ。
 たぶん、間違いない。

 俺だって、チビたちのことを少しずつ知って、それなりのことをしているわけだから。
 つまり、俺の方が理解できていなかった……、ということになる。

 そもそも、要の考えや判断などは、内面で行うことだけに、目には見えないし、教えようも無いのに……。
 猫は、すごい……。


 ということは、警戒心を丸出しだった頃に、叱れば、当然にますます警戒して遠退いたはずだ。
 でも、いろんなことを知ったことによって安心できることが分かり、いわば信頼関係も確かになっていった。
 俺も、それは壊したくない。
 猫も、鼠は簡単には獲れないものなのだろう。
 野良だと、暖房も無いわけだし。
 しかも、自分で戸を開けて出て行けるようにもなった。
 もちろん、叱られたことは、自制したほうが得だ。だから、そうするようになったのだろう。

 ということは、信頼関係がしっかりするほど、それを壊すまいとするし、嫌われまいともすることになり、叱られたことは自制するようにもなるのだろうか。
 ん……、むしろ信頼関係がしっかりしていれば、良くないことをした時に、叱って教えてくれる人をこそ、一層、信頼するようになるということなのか……。


 チビは、自分で戸を開けることも憶えた。
 人が話す言葉は理解できなくても、音や匂いなどを基に、次にどういうことが起こるのかを察知したり予想したりして、相応の行動もするようになった。
 どういうことをすれば、嫌われるとか叱られるとかも憶え、相応の自制もできるようになった。
 つまり、一連のことが記憶に残り、それを基に、次に起きることを察知したり予想し、相応の行動もできるようになる。
 これを応用できることで、猫が必要で憶えそうなことって……、何かないかなあ……。


 でも、猫も学習していることは、すでに実証されている。
 そうであることを、むしろ自分が未理解だったりする。
 猫はせっかく学習しているのに、そうであることを自分が理解できていないと、むしろ自分が勘違いしたり誤解したりさえする。
 こっちのほうが問題なのか……。


 とりあえず話しかけていれば、やがては、猫とも気持ちも通じるのかもしれない。
 むしろ、叱ると、相応の学習をするわけだから、気持ちは通じているようなものだ。
 自分こそ、人同士では言葉で伝え合うだけに、それに慣れ過ぎてしまっているのかもしれない。それは、ある。

 でも、いつかは、人が話す言葉も、チビたちは分かってくれるような気がして、話しかけるのは当たり前になっていった。


「なあ……、おっかさん。チビとクロは家で面倒みるから、おっかあは野良に戻ってよ。……な。皆を面倒みることはできないんだ。おっかあは、野良で子育てまでしていたんだから、大丈夫だろ。自立って、すごいことなんだよ」
 ということで、おっかあを集落の外れまで連れて行って、そこに放した。
 雪が最も多い時期だったが、猫は帰ってこれない距離ではないと思えた。
 でも、おっかあは、帰ってくることは無かった。
 猫も、いろんなことが分かっているんだ……。
 しかも、自立して子育てまでするわけだから……。


 猫も、いろんなことを少なからず分かっていて、それなりの行動をして生活していることは、間違いない。
 猫は、人のような言葉を話せないだけなのだ。
 猫の唇は、言葉を話すようにはできていない。言葉を話せるような調整が可能な声帯も、猫には無いのだ。
 だから、記憶や気持ちや考えはあっても、それを言葉にして伝え合い分かり合う文化も無い。

 むしろ、人は、言葉を憶えるからこそ、間違いや勘違いに基づいたことも口にするし、事実が伴わない口先だけの言い訳も言えるわけだし、事実とは違うことを事実だと思わせるための嘘も言うようになる。
 事実を知られまいともするし、わざわざ困難にさえするし、否認し強情も張るし、相手の口封じさえする。

 そんなことはできない猫たちの方が、よっぽど分かりやすい。
 分かってくるからこそ、仲良くもなれる。
 初めは警戒心丸出しだったチビたちも、仲良くするに足ることを少なからず知ったからこそ、こんなに馴れたことになる。

 猫は、言葉を使って伝え合うことも分かり合うことも無いが、誰も教えなくても、必要なことは独自に学習する。
 もちろん、必要無いことは学習しない。
 言葉で伝え合うことも分かり合うことも無いだけに、唆されることも無いし命令されることも無い。
 だから、言い訳や嘘は憶える必要すら無い。
 いじけることも無いし、すねることも無いし、泣いて自分に都合良くすることも無いし、否認して強情まで張ることも無いし、ヒステリックになることも無いし、自棄的になることも無いし、相手の所為にすることも無いし、逆上することも無いし、自分勝手の象徴として暴力的に口封じすることも無い。

 人は、騙しもするし嘘も吐くからこそ、それゆえの争いにもなる。
 嘘を吐けない猫は、そんな理由で争うことは無い。
 むしろ、直ぐに事実を認めて、自制するようになり、仲良くする。

 雄猫同士は、暴力的に決着をつけるわけだが……。
 人は、徴兵して国民を最前線に行かせて見知らぬ同士で殺し合いをさせる。
 もちろん、そんな首謀者同士に殺し合いをさせるとか、そんな首謀者を処刑してしまえば、国民が最前線で見知らぬ同士と殺し合いをする必要も無くなる。
 けれども、人は、嫌だとすら言えない。
 むしろ、尤もらしく見せかけ、本当らしく工作し、優れたことであるかのように祭り上げ捏造さえする。
 歴史上でも、見知らぬ同士で殺し合いをすることを選択し、戦争に加担し助長さえしてきたわけだから。


 
カテゴリ : 趣味の写真「普遍に臨む」

ちょっと一休み


 たくさんの応援アクセスに、感謝を申し上げます。

 カテゴリ:「自分を理解する」は、今回は休みます。

 台風5号。貧乏暮らしなので心配だった。が、雨天に変わったので、久しぶりにゆっくり寝ることができました。
 今回は、カテゴリ:趣味の写真「普遍を撮る」:朝焼け(日の出)・夕焼け(日の入り)のみです。



 今年は趣味の写真は二年目だが、今夏で満一年になる。
 まだそんな程度だけに、今年一番の見事な朝焼けも撮り逃がした。
 昨年も、同様に安易な想像を頼ったばっかりに最も見事だった夕焼けを撮り逃がした。

 知識が無いがゆえに、想像を頼り、事実確認をしなかった。
 その性質上、外れている確率の方が高い。
 そうであることが実証されたようなものだった。

 大いに反省し、こういうことも学習する必要がある。
 知能は備わっていて、経験でき、学習でき、上達もでき、熟練もするし、会話上でさえ目には見えない理由なども理解できるようにもなるわけだから。
 観察したり確かめたり試したりしたことほど、確かで詳しいことが記憶に残る。詳しく知ったことほど、認否や可否や是非などの判断も的確にできるようになるし、その理由を具体的に説明することもできるようにもなる。もちろん、応用や活用も可能になる。


 撮影するようになったことによって、判ったこともある。

 当地では見事な朝焼けや夕焼けは、年に一度、有るか無いかだ。
 そのくらい稀な気象現象だということが分かってきた。
 よって、撮り逃がした場合も、その気象情報は貴重なだけに確保してある。

 一般的な朝焼けや夕焼けでさえ、頻繁にあるわけではない。
 そうだったことも分かってきた。

 衛星画像では晴れているように見えても、現地では、雲は俄かに発生するし、いつの間にか消えたりもする。
 平地近くに発生する朝霧も、高い山から見ると見事な雲海なのだが、日が昇るにつれて消える。
 標高七百メートルの撮影ポイントが、俄かに発生した霧や靄に包まれてしまったこともあったし、雨に変わったこともあった。

 実際には、朝焼けや夕焼けにはならない朝夕の方が多い。
 つまり、こっちの方が普通なのだ。
 そう思い、朝焼けや夕焼けにはならない、つまり普通の朝夕も、撮影するようになった。

 撮影に出かけることすら無い、雨の日もある。
 近年の雨は、豪雨になる。先日の雨で、撮影ポイントに向かう途中で二か所も土砂崩れがあった。
 でも、雨の朝夕も風情はある……とも思った。
 が、やっと買ったカメラだ。
 早起きしたり仕事の後に撮るだけの価値も、いまのところは見出せていない。

 そんな中で、朝焼けや夕焼けにならない天候こそが普通であり、その普通であることに癒されていたことに、気づいた。
 撮影には不向きだが、精神的には余裕があるからだった。


 昨年も、なかなか朝焼けや夕焼けにはならなかった。
 しかも、知識が無いがゆえに安易な想像を頼ったばっかりに、最も見事な夕焼けを撮り逃がした。かろうじて記録的には撮り、気象情報も確保した。
 安易な想像は止めて、知識が無いんだから出かけて行って事実を確かめることにした。
 撮影ポイントでも、雑念を排除して、朝焼けや夕焼けになることに期待して待ち続けるようになった。
 結果的に、一時的とはいえ人間関係を離れて、山の中で独りになり、自分の雑念も排除して、朝焼けや夕焼けになることに期待して待ち続けるようになった。
 一向に朝焼けも夕焼けも撮れなかったが、それでも懲りずに出かけるようになった。
 山に登るだけに車の燃料代も馬鹿にならないと思いながらも、出かけるようになった。
 何故かと思ったら、実は山では至福の時間を過ごせるからだったことに気づいた。

 だったら、その理由も具体的に把握しようと思った。
 思えば、撮影ポイントでは、勝手な想像や余計な雑念を排除し、朝焼けなり夕焼けになることに期待して待ち続ける。
 つまり、それ以外のことは考えない。だから、気づくこともなかったことになる。

 でも、勝手な想像や邪念を排除し、考えることをすら止めると、記憶にある勘違いや思い込みからも離れることになる。
 だから、目の前に開けている大自然の壮大さを実感していた。

 ちなみに、通常は、速やかな識別や思考や判断が必要なだけに、集中的な情報処理の練習を日常的に行っているようなものだ。
 それとは逆の何も考えないことは、かつての自分は未経験だったし未知だった。
 未知だっただけに、何も考えない状態になれるものか否かは、相応の練習をした上で確かめるしかなかった。
 集中することには慣れていて、何も考えないことは未知だっただけに、つい考えてしまい、それが気になったものだった。
 何も考えない状態になる際は、慣れてしまっていることでもある考えること自体が余計なことでしかなくなる。
 何も考えない状態になれた際には、本来はできることなのに、自分が未知だったことを、初体験することになる。
 何も考えない状態になれると、実は集中とは比較にならないほど簡単なことだったことも分かる。
 なによりも、考えることを止めるだけに、自分の知識や考えとは無関係に、自身の生理面が自律して機能していることだけを体験している状態になる。
 つまり、考えを止めるだけに、考えの参考にしている記憶に残っていることや勘違いや思い込みや固定概念や邪念などからも一時的に離れることになることになるだけに、それら以前から存在している物事を率直に感じやすくなる。
 精神的な集中とは逆のことだとも言える、この何も考えないことも、繰り返すほど容易にできるようになる。
 更に、考えることを止めることは気にしなくても、知識や考えを超越している普遍的な物事を意識したり実感することが容易になる。
 よって、その事実関係を理解しやすくもなる。つまり、備わっている知能では具体的なことを理解することすら容易ではないほど優れていることをも、意識したり実感することはできる。ということを理解できるようになる。


 撮影に臨んでいた際も、余計なことを考えない状態になるほど、自身も生命生理が絶妙な秩序に基づいて自律して機能している生き物であることを実感していた。
 むしろ、考えることを止めることは重視しなくなっていて、考えを超越している物事を意識したり実感できるようになっていた。

 こんなことを実感できるのも、すでに備わっている知能も絶妙にできているからこそだ。
 が、通常は実感までだ。
 すでに存在する物事や自身の自律して機能している生命生理などは、五感では捉えることができないだけに、思考上で事実や事実関係に基づいた整理をして理解するしかない。
 けれども、その具体的なことを理解するとなると、実験などが必要になるわけであり、備わっている知能で思考するだけでは容易にはできない。
 現に、呼吸器系だとか消化器系だとか循環器系などと言われ、それらは自身のことでもあるのだが、生理に関する具体的なことは自分はほとんど知らない。
 だからこそ、絶妙な秩序に基づいて自律して機能しているんだということが分かる。
 そのくらい、自律して機能していることの方が優れている。という程度は理解できるし、直に経験し続けている自身のことだけに実感することもできる。
 不適切な飲食をすると、嘔吐したり下痢をし、簡単には死なないようにまでできている。怪我をしても、やがて止血し、傷は治癒する。骨が折れても、やがて治癒する。

 むしろ、経験し学習し理解する性質上、個人の知識や考えは、限られている。
 しかも、個人的な好みや価値観に左右されるので、直に経験し続けている自分のことを知らなかったりもするわけであり、知ることや習得することは偏りもする。
 更に、知らないことは想像しがちで、それゆえに的外れな勘違いもするし思い込みもする。
 そんな考えを断つことによって、考えの基になる記憶にあることや勘違いや思い込みからも離れることになる。
 よって、それら以前から存在する物事の方が遥かに優れていることを実感しやすくなり、普遍的なことこそがもともと歴然としているんだということをも実感しやすくなる。
 そんな、自分の知識や考えを超越している普遍的な物事を実感している状態だったがゆえに、至福の時間を過ごせていた。
 それゆえに、朝焼けや夕焼けの撮影はできなくても、懲りずに出かけるようになったのだ。
 そう考えられた。
 が、昨年も再三考えたが、他にも理由があるような気がしていた。


 そして、今年になって、朝焼けや夕焼けにならない朝夕の方が多いことが普通なのだと気づいた。
 もちろん、普通の朝夕には、望んでいる朝焼けや夕焼けは撮影できないだけに、精神的には余裕がある。
 しかも、この普通であることに、いわば癒されていたことにも気づいた。

 思えば、昨年も、そうだった。
 考えることを止めるくらい冷静になれないと体験できないことだけに、まず精神的に余裕が無いとできないことでもある。
 むしろ、精神的に余裕がある状態でこそ、考えることをすら止めてしまうくらい冷静になれるわけであり、勘違いや思い込みもある自分の知識や考えを超越した存在である普遍的な物事を実感しやすかったことになる。
 もちろん、普通であることに安堵していたことも、その理由の一つだったと考えらる。

 いずれも自分が実感していたことや考えていたことなどなのだが、後で省みて思考上で確認して整理しないと理解できないこともある。
 省みもせず、考えてもみないことは、理解するには至らないわけだから、直に経験し続けている自分のことであっても未知なことこそが圧倒的に多い。

 そう考えると、まだ他にも体験的に実感できることがあるのに、自分が知らないだけなのかもしれない。


 ということは、朝焼けや夕焼けを撮ることは、特別な物事を求めることだからだったのか……。
 寝ていれば見れないが、早起きすれば、誰でも、いつかは朝焼けは見れる。
 夕焼けも、仕事の後で待っていれば、誰でも、いつかは見ることができる。
 そのつもりだったのだが、特別なものを求めていたのか……。

 たしかに、昨年は写真では成果が無かったこともあって、今年は焦りもあった。
 夏至の頃には、夏至の頃ならではの画像を撮ろうと、格好の撮影ポイントも見つけただけに、忙しくさえあった。
 入梅とはいえ、好天が続いたので、寝不足気味だったし、余裕は無かった。
 八月に入ると、絵になるような朝焼けになり、待っていたものが撮れ始め、欲望が駆り立てられた。
 待ち続けた好機だったのだが、経験が乏しいだけに撮影技術的には慌てるばかりで、今更のように試行錯誤を要した。
 めったに見れない朝焼けも夕焼けも撮り逃がしているだけに、今後、相応の朝焼けや夕焼けになることにまで期待した。
 また寝不足になり、予定していた記事には集中できなかった。
 しかも、何かを疎かにしているような気もしていた。なのに、それに関しては考えてみもしなかった。

 いつも、こうして書いてみると、相応に考え、省みもするだけに、いろんなことが分かってくる。
 やはり、稀なことや特別なことを求める方に迷い込みかけていた。
 でも、朝焼けや夕焼けにはならない普通の朝夕にこそ、精神的には安定していたことになり、余裕もあり、普通であることに精神的には癒され、そうであることに気づくこともできた。
 そう考えられる。

 邪念を排除し、考えることをすら止めることによってできる、考えを超越している普遍的なことを実感することも大事なのだが……。
 その理由や事実関係などを具体的に理解するほど、応用や活用も可能になるわけであり、理解することも必要なのだ。
 不明だったことや曖昧だったことも、こうして思考上で整理することによって記憶に残り、再確認が容易になり、より具体的に理解することもでき、応用や活用も可能になるわけだから。
 こういうことができる雨天も悪くは無い。


 もちろん、朝焼けや夕焼けは稀で特別ではあるが、気象現象は自然現象であり、人工的なものではない。
 誰にとっても普遍的な存在でもある。

 つまり、人が、重要ではないことだからこそ尤もらしく見せかけるために工作したものではない。後ろめたいからこそ本当らしく見せかけるために工作したものでもない。競い争ってまで優れたことであるかのように捏造したものでもない。
 それらを以て、勘違いさせ思い込ませて他人の目を奪い、精神面の弱点を利用して心まで奪って翻弄し、私利私欲を貪る、そういう類のものでもない。
 そうだとは知らず、そんなものに、目を奪われると自分を見失うわけであり、心まで奪われると人生を見失い、翻弄される。
 そんなことを真似ようものなら、反省し難く自分でも認め難いからこそ強情を張らざるをえなくなり、相殺し、転嫁し、暴力的に片づけ、やがて絶望するための努力をしているようなものだ。

 読経は眠気がするだけだし、それでも「お布施が足りない」と言われた人もいる。
 そんな世界には、逝きたくもない。

 そういう世界に迷い込まないためにも、一時的とはいえ、そんな人間関係を離れた。
 山中で独りで、普遍的な自然現象に期待して待った。

 朝焼けや夕焼けは、自然現象であり、人工的には創れないものであり、人知を超越していて、普遍的な存在だ。
 それを以て勘違いさせたり思い込ませたりすることも無く、それを以て他を翻弄するわけでもないし、それを以て私利私欲を貪るわけでもない。
 自然現象は、誇張するわけでもないし主張もしないし、隠し偽ることもなく逃げ隠れもしない。
 そうであることまでもが、歴然としている。
 早起きすれば、誰でもいつかは見ることができる。
 仕事の後で待てば、誰でもいつかは見ることができる。


 そもそも、自分は、普遍的なことを理解することに臨んでいる。

 とはいえ、五感では捉えることができないことでもある。
 でも、目の前には無いことでも話題にすることができるし、会話を以て理解し合うこともできる。
 目には見えない理由や法則やルールなども、思考上では捉えることができるので理解することができる。
 つまり、普遍的なことは、日常会話ができるようになれば理解は可能になるわけであり、学歴や資格は不要だし、資金も要らないし、いわば路上生活をしながらでも理解でき、誰でも理解できる状態にあることでもある。
 つまり、理解しようとして相応の思考努力をしたことだけ理解できる。

 普段でも、考えてみもしないことは、理解はできないわけだから。
 そうであることも、考えてみてこそ理解できる。


 最近は、普遍的なことや関係することを理解し続けるだけで、他界に臨む最後の心の準備も整うような気さえしはじめている。
 撮影に臨んでいても、広大な空間の中に他界へのルートや他界への扉を見い出せるのではないかとさえ思う。
 日の出や日の入りの際には、光の柱のようなものや光の玉のようなものなども現れたりする。
 やがて、臨むことを余儀なくされる他界は、少なくとも撮影に臨んでいるような世界であってほしいと思う。

 もちろん、勘違いや思い込みもある自分の考えを、正しいと過信することは禁物だ。
 かつて、自分が無知で愚かだったことを具体的に理解し自認した。ところが、無知で愚かでいいはずがないこともあってか、自分に関することは次々に具体的に理解しはじめた。
 誰でも、知能が備わっていて、詳しくもなり、上達し、理解できるようにもなる。その可能性の限界も、誰も計り知ることはできない。

 要は、自分は人生の中で、どういうことに臨み、どのレベルを目指すかなのだ。





20170804-朝焼け






20170803-朝焼け


 
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プロフィール

kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

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