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 生命生理は、自律して機能していて、生存の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 生きていること自体が絶妙にできていることを直に経験し続ける知能も備わっていて、相応の学習もでき、上達し、基本動作や日常会話などは熟練する。
 約束やルールや信頼や尊重や愛や幸福などの目には見えないことでも理解し合えるようになり、よって協力し合い信頼し合い尊重し合えるようにもなる。
 しかも、理解は、無料で、誰でも可能だ。むしろ、売買すると崩壊する。
 以上の、普遍的なことや誰にでも共通することが、当ブログのテーマです。
 でも、進化・自身が形成された経緯・自身の生命生理などは、通常は知らない。
 直に経験し続ける知能や学習力や理解力をさえ、具体的に理解するとは限らない。
 知らないことだからこそ、想像もする。自分のことでも、勘違いし思い込みもする。
 自分以外のことに目を奪われると、自分を見失う。心まで奪われると、自分の人生も見失う。つまり、そういう状態に陥っていることに気づけなくさえなる。
 普遍的ではなく、共通でもなく、異なることほど、理解し合うことは困難になる。
 私利私欲を貪り、相殺して蝕み合い、競争で優劣を決め、転嫁し暴力で片づける。
 非理解、非協力、非信頼、非尊重、そういう非知的なことは、むしろ避けたい。
 いずれも、マスメディアが発達した現代では歴然としていることなんですから。
はじめに 更新2013/01/21
目次:無知の悟「俺は、異常ではなかったんだ、病気でもない」
主観的とは 客観的とは  客観的な考え方の特徴は  主観的な考え方の特徴は
「心を開く」とは 「心眼を開く」とは   「悟り」とは 2016/12/27
アルバム「普遍に臨む」  アルバム「趣味の園芸」  アルバム「その他」
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カテゴリ : 創作下書き 仮題「凉香と理於の本当の気持ち」

書き手用の「章立て兼あらすじ」

 

 たくさんの応援アクセス、ありがとうございます。

 当地、夏は雨不足でしたが、今度は必要以上に雨が降るようになりました。
 でも、すっかり秋です。これが何よりです。
 ところが、昨日7日と今日8日は真夏に逆戻りです。

 
 
 
 自分が、どういうことをしようとしているのか……
 やろうとしていることは、自分にとってはどういうことなのか……
 ああいうことではないし、こういうことでもないし、こういうことなのだ……
 といった把握でも、自分が臨んでいることが明らかになってくる。
 要は、自分は初めてのことにトライするだけに、出来ないかもしれないという先入観などの、雑念や邪念が邪魔になる。
 それを、解消したり解決することによって、自分がやろうとしていることが明確になってゆく。

 自分がやろうとしていることは、かつてのように、指図されたことをやることではない。指図されたことをやることでしか生きられない不満を癒すために、そうして得た給料をほとんど費やしていたが、そういうことでもない。
 あれから得た自分の知識や考えを基に自分で努力をして、その成果を出すことに臨んでいる。
 
 
 かつては、結果的に自分が困る道を選択していた。そうであることをすら知らなかった。
 自分が困る道を選択していたことに、せっかく気づいたのに、新たな勘違いをした。そうであることにも、三年間も気づけなかった。
 勘違いや思い込みに過ぎないことにも気づけなかったからこそ、死んだほうが増したと思い詰めた。
 だから、心の整理を、余儀なくされた。
 よって、生命生理は自律して機能していることに気づき、考えには無理や矛盾もあることに気づいただけに、一転して、そんな愚かなことで死ぬわけにはいかないと思うようになり、生きるために心の整理は必須になった。
 でも、自分の精神面に関することを理解するほどに、理解したことは記憶に残るだけに何時でも何処でも想起できるようになり、相応の識別や自覚が可能になるだけに、更に詳しくもなり、相応の自己管理が可能になっていった。
 が、整理して解明したり理解したことは、自分が考えて躊躇したり行ったりしていることで相応の感情も伴う自分の精神面に関することだった。成人なら十分に経験済みなことでもあり、最も多く記憶に溜まっているはずのことだった。そんなことを未理解だったのは、日常会話で理解力を発揮していることをすら未理解だったからだった。よって、記憶に溜まっていることを整理しただけで解明でき解決でき理解を深められることだったことも、今更のように知った。
 分かってみると、成人なら独自に精通していても不思議ではないほどの条件が整っていることだった。極めて個人的なことだった。そんなことをすら未理解だったがゆえに、悪循環に陥っていることにも気づけずに葛藤し、それらの解明を余儀なくされたんだということを、解明できたのは三十歳を過ぎてからだったっただけに、自分だけが理解しそびれていたような気さえした。
 すでに失格しているようなこともあって、自己管理ができるようになることで十分であるような気さえしていた。
 けれども、心の整理が相応に進んだことによって、学習能力や理解力などの可能性も明らかになった。相応の成果も欲しい気がした。
 今回の構想は、すでにあった。が、自分にとって重要だったことは、精神面を可能な限り具体的に理解することだった。それ以外の、まして事実でもないことを尤もらしく見せかk本当らしく工作することには、抵抗があった。
 抵抗がある類は抑制し、あくまでも自己管理を重視し、心の整理の最終段階として「他界に臨む心の準備」をするようになった。
 ところが、その条件も、自分は満たせないことが判明した。

 そこで、冥途への土産くらいは必要だと思い、抑制してきた成果に臨むことにした。が、これまでの自己管理重視にも反する。
 こんな、自分の心の中にある反するイメージとの関係も、解決する必要がある。
 よって、今回の創作は、意外にも心の整理の仕上げのようなことだと分かった。

 こんな自分の場合、創作とは、自分に課題などを課すようなことでもないようだ。
 指図されるまま言いなりになることでもないし、ましてや誰かの気に入られることをやることでもない。
 自分の知識や考えに基づいて自分で努力をすることであり、本来の自分をどれだけ育てることができるかでもある。

 そのために、現在の自分が、精神的に逸脱しはじめた中学生や小学生の頃まで可能な限り戻るわけだが……

 登場人物の二人は、まだ保護者を必要とする中学生で、理解や協力が必要なだけに、仲良くしたい。
 だからこそ、煽てたり脅したりして騙して言いなりに行動させようとすることは、嫌いだ。が、単に言いなりにならないだけで、大人は反抗だと決めつける。
 その言いなりになって、差別的なことをしたり、威張ったり、馬鹿にしたり、嫌がらせをしたり、そんなことを競い争ったり、逆上して口封じしたり、親子間でさえそうする、そんなことは嫌いだ。だからこそ、信頼を回復したい子供の気持ちを、大人は理解しようとすらしない。
 が、登場人物の二人は、大人の理解を得られないだけに、いつのまにか不都合なことを隠し、言い訳や嘘を吐いてでも上辺を繕うようになっていた。
 でも、共感するものがあった二人が、ついに会話する。
 会話したことによって、精神的悪循環に陥っていたことに気づき、共通の問題を解明し解決する。

 そして、猫も犬も、基本的には同じなんだと気づく。
 猫も犬も、経験や興味に相応する情報が記憶が残り、それを基に、現在地からは見えない所まで出かけもするし、帰っても来る。
 近道をして野菜畑の中を通りもするし、駆けても行くし、走っても行くわけだから、相応の気持ちや考えもあることになる。
 子供を命懸けで大事にするし、仲良くもしたがる。自分ができないことをしてくれる飼い主とは、仲良くしたいし、一緒にいたいし、一緒に寝たがる。そうであるほど、飼い主に叱られたことも、学習してやらなくなる。飼い主の反応を、気にするようにもなるし、相応の学習だってする。
 それとは逆の、差別的なことをしたり、威張ったり、馬鹿にしたり、嫌がらせをしたり、虐待したりすることは、猫や犬でも嫌う。そういうことは仲良くすることとは逆のことなので、そういう相手とは仲良くもならない。
 猫も犬も、仲良くなるためにこそ知能を駆使している。

 やがて、誰にでも共通する非人工的な法則の存在に気づき、非人工的なことこそが優れていて尊いことを協力し合いながら理解し合い、確信や自信を得ながら信頼し合い尊重し合うようになる道を歩み始める。

 実際には、子供の頃には躾や教育の悪影響が大きくてできなかったことを、創作の中では、二人が独自の考えを大事にすることによって自由に随意に展開してゆき、理解し合い、よって協力し合い信頼し合い尊重し合う。
 それを、書いている自分がどれだけ好とし楽しみ堪能できるかでもある。
 
 
 ただ、油断すると、意欲を自分で萎えさせるようなことに気を取られたり、そうであることに気づけなくなったりする。
 先日も、ふと気づいたことが、このイメージも切り替えた方がいいと思っただけに、意外で大事なことだった。が、そもそも気づけなかったことであり、以外だったこともあってか、以後、思い出せない。
 客観的な把握でも相応のことが明らかになってゆくが、記憶は勝手に消したり書き換えたりすることはできないだけに、邪念を解消するようなことも意外なほど重要だ。
 むしろ、こんなことを書きながら、実は、書き癖をつけられるのではないかとも思ったり、創作意欲も萎えさせず維持し育てられるような気もしている。
 
 
 いよいよ、「総概要」を基に、「章立て兼あらすじ」を整理する。
 必要に応じて、「総概要」も再調整しながら、「章立て兼あらすじ」の再調整を重ねることになる。

 この「章立て兼あらすじ」が整うと、これを基に、下書きを書き出してゆくことになる。
 次に、下書きを創作作品として仕上げるわけだが、創作作品として仕上げる行程は、想像も及ばないことであることが明らかになってきた。そんなことを目標にしようものなら、下書きで挫折しかねない。
 なので、下書きを書き終えることが、今回の目標だ。
 先走ったことに思いを馳せることは、可能なことを台無しにしてしまう一因にもなる。それも、邪心にほかならない。
 そもそも、過信するからこそ挫折する……
 
 
 
 タイトル 「凉香と理於の本当の気持ち」
 テーマ  「精神面を理解して自己南里が可能になる精神的自立」
 
 

序 章 発想構想



「戻れるものなら、あの頃に戻りたい」
 そんな思いに駆られたことが、一度だけあった。
 もちろん、実際には戻れない。
 ならば、仮想の世界で、と思い立った。そのときの構想だった。
 
 

第一章(起) 精神的悪循環からの解脱


 登場人物の二人は、自分の考えや行っていることを未把握・未理解だったので、精神的悪循環に陥っていることにも気づけずにいた。
 でも、会話しはじめたことによって、五感では捉えることができない精神的悪循環に陥っていることにも気づく。気づいたが具体的なことは不明だからこそ、記憶に残っていることを整理し始め、精神的な悪循環に陥っていたことを解明し、解明できただけに悪循環から脱する。

   第1節 やっと話せた
    一年生のときから話したかったのに……
    あの時……応援してくれた?
    うん。応援した。大きな声では言えなかったけど……
    俺もやっと確かめることができた。確かめて好かった。
   第2節 本当の気持ちを言えなくなっている
    大人が逆上して口封じするから。
    でも大人の言いなりにはならなかった。なのに……
    信頼回復したいのに、大人は反抗だと独断する。
    理解は得られない。
    子供が自分の保護者を批判するには限界がある。
    批判視が不十分だったからか。堰を切ったかの批判視。
    批判視できるわけだから、大人がどうこうではなかった……
    自分で考えて行っていたことになる。
   第3節 自分で感じ考えて行っていたことなのに未把握だった
    自分の記憶に残っていたことを、整理してみた。
    信頼回復のためだったのに、大人は反抗だと決めつけた。
    子供が自分の保護者を批判するには限界があり……
    上辺だけで騙すことを批判不能になり、自信が無くなり……
    人目を気にし、上辺を繕い、不都合なことは隠し偽り……
    皆そうしていると相殺して、正当化までし……
    勉強する気は無いのに、進学することにした。
    自分が批判視していたことを、自分もやるようになった……
    しかも考えるだけで分かることだったのに未把握だった……
   第4節 自分で把握を困難にしていたのだった 難関突破
    上辺を繕い、不都合なことは隠し偽ることは……
     それは把握や改善を困難にすることだ
     理解力に背くことでもあったのだ
     五感では捉えることができない心の中に明りが射した
   第5節 精神的な悪循環に陥っていたなんて 悪循環解明
    悪循環に陥っていたことも知らなかった
    二度と陥らないために悪循環を具体的に解明
     批判視不能になり自信も無くなる。 他人の目を気にする
     本当の気持ちを言わなくなり、見た目を比較 子供劣等感
     相殺正当化、批判視不可無秩序
     上辺を繕う 不都合は隠し偽る 把握や改善を困難にする
     目に見えない内面でも思考上では理解でき改善もできる
    本当の気持ちを話すことでも理解は進む
    話せて好かった。確かめて好かった。もっと早くに

   第5節 もし大人の言いなりになっていた場合は
    未知・不能なことばかりで要保護者の子供は劣等感に苛まれ
    競争社会で不都合なことを隠し偽り上辺を繕うようになり
    されて嫌なことを仕返し合い 競い争い 地位や名誉 独裁
    暴力的に優越感を得るか 知的に優越感を得るか
    自分が考えて行っていることに関して無知だとは認め難く
    愚かで卑劣だとは認め難く逆上して口封じ 自ら実証
    悪魔の僕になりかけていたことに気づけなかったなんて
 
 

第二章(承) 理解力の蘇生・理性の復活


 精神面が悪循環に陥っていたことを知らなかったが、気づき、事実関係を整理したことで悪循環に陥っていたことを解明し、解明できたことでだすることもできた。その経験上、精神面の把握を重視する。
 そして、悪循環を解明した経験を基に、事実関係を整理できたことは理解できること自体を理解し、精神面をより具体的に理解することを重視する。

 日常会話で思考力や理解力を発揮しているのに、そうであることを具体的には理解していなかった。そんなことにも、会話をすることによって登場人物の二人は気づく。
 未理解だった理由・理解できた理由・未理解な場合と理解した場合の決定的な違い、そんなことも経験済みなのに、具体的には理解できていなかったことにも、気づく。
 そこで、経験済みで記憶に溜まっているのに、未整理で未理解だったことを、整理し始め、具体的に理解する。
 思考よりも優先的に機能している理解の法則や理性などの経験済みなのに未理解だったことも、思考上で捉え整理して具体的に理解する。
 具体的に理解することによって、相応のことが記憶に残り、自分の記憶に残ったことは何時でも何処でも想起可能になるだけに、相応の識別や自覚や活用などが随意に可能になる。いわば、理解力が蘇生されて本来の能力を発揮できるようになり、理性も復活して理に適った判断をするようになる。

   第1節 自分の精神面を未理解だったことが問題だった
    自分が考えて行っていることを未理解だった。
    だから悪循環に陥っていたことにも気づけなかった。
    もちろん悪循環に関することも未理解だった。
    でも、理解できた。だから悪循環から抜け出せた。
    しかも、考えるだけで分かることだった。
    嘘を見抜けることは重要だったのに未理解だった。
   第2節 精神面を具体的に理解することこそが重要なのだ
    発揮しているのに理解力の重要さも未理解だった
    日常会話で理解力を発揮するようになったのに未理解だった
     第1項 未理解だった理由・理解できた理由
      考えて整理できたことは理解でき納得もできる
      記憶に有っても考えないことは具体的なことは未理解
     第2項 未理解な場合と理解した場合の違い
      理解したことは記憶に残る
       記憶に残ったことは何時でも何処でも自覚できる
      考えず未整理で未理解なことは記憶にも残らない
       未理解なことは識別もできないし自覚もできない
     第3項 目には見えないが思考上では理解できる
      行動上の中枢こそが重要だから要理解
   第3節 独自に精通できる条件が整っている
    考えて行い結果に一喜一憂し記憶に溜まり独自に精通可能
    理解相応の自己管理が可能になるだけに相応の自信にもなる
    目には見えないことこそが優れている

   第4節 でも理解するとは限らず弱点もある
    目には見えない 思考上で整理しないと理解できない
    理解力の性質上、精神的悪循環に関しても未理解だった。
    日常会話で発揮している理解力を未理解だった。
    経験や学習や理解の内容は個人毎に異なる。
    精神面を未理解なほど、好みや価値観は百人百様になる。
   第5節 精神面を未理解で考慮できない躾や教育もありえる
    大人は精神的な悪循環に陥っている
    悪影響を未理解だと悪循環に陥りやすい
    親子の信頼関係が確かなら子供は自殺しない
     親子の信頼関係が未確立だkら子供は自殺する
    目を奪い心まで奪う人工的なことは二の次でいい
    悪魔の僕にはならない
 
 

第三章(転) 知能の基本能力の蘇生


 備わっている知能の能力上、誰でも独自に学習し日常会話ができるようになり理解力を発揮するようになる。それを知能の能力の基本とし、その基本をより具体的に理解することを重視する。
 経験済みで記憶に溜まっていることを整理して、非人工的なことで普遍的で誰にでも共通する知能の基本的な機能や能力や法則などを理解する。
 五感では捉えることができないが、思考上で理解できることであり、非人工的な理由や法則などこそが優れていて尊い。

   第1節 知能の構成器官を理解
    人工的には創れない知能が誰にでも備わっている
   第2節 誰でも共通な知能の能力の基本を理解
    独自に経験し学習し好奇心旺盛になる
    誰でも経験し学習し上達し熟練する。
    ここまで基本的には猫や犬も同じだ。
    人は、事実関係や因果関係や理由や法則などを理解できる。
   第3節 誰でも日常会話で理解力を発揮するようになる
    もともと目には見えない記憶を参考にしているだけに
    目には見えない関係や因果関係や理由なども理解できる
    理解したルールなどを基に行動 結果
   第4節 普遍的だから共通で理解し合うことが可能だ
    理解する以前から存在していて人工的には変えようも無い
    普遍的だから理解し合うと信頼し合え尊重し合える
    自分の子供の頃の気持ちを理解すると子供に理解のある親に
    本来は家族なら精通できる条件が整っている
    非人工的な存在こそが優れていて尊い。

   第5節 理解しようとしない大人は阻害していることも未理解
    煽て脅し逆上して強い口封じする大人は
     子供の精神面を理解しようとしない
     自分の精神面をも理解しようとしない
    精神面を未理解な躾や教育は子供の能力の発達を阻害する
    天使の僕を目指す
 
 

第四章(結) 知能がここまで進化した理由


 生存や生態の背景に在る進化などの自律していることで人工的には変えようが無く、普遍的なことを理解する。
 未理解だっただけで、非人工的なことで植物や野生動物にも共通で歴然としていることを理解する。

   第1節 生命生理は自律して機能している
   第2節 簡単には死なない機構も備わっている
   第4節 生きることを大事にするほど世代交代の確率も高い
   第5節 世代交代を重ねて種族を存続し進化も継続される
   第6節 遺伝し個体も成長し強化され
   第7節 知能も備わっている
   第8節 理解し協力し信頼し尊重するほど存続され継続される
   第9節 本来は人類規模で精通できる条件が整っている
    普遍的で誰にでも共通な理由や法則こそが優れている。
    もともと神様が用意してある約束がある。
     理解力もあり、理解するだけで……
    目には見えず物体でもない、理由や法則こそが優れている。

   第5節 なのに物欲を優先して破壊を止めない
    野生動物や植物よりも劣る
    猫や犬でさえ
 
 

終 章 冥途への土産


 はたして冥途の土産になり得るものか……


 

予想もできず思い通りになることでもない朝焼けや夕焼けに期待して臨む写真と、自分の知識や考えや努力次第の創作とでは、精神的エネルギーの使い方が全く異なる。
いつのまにか、趣味の写真は二の次に……
しかも、いよいよ秋の農繁期です。
画像は、しばらく使いまわしになります。




2019 夏の早朝の文明


 

カテゴリ : 創作下書き 仮題「凉香と理於の本当の気持ち」

書き手用の「総概要」

 

 たくさんの応援アクセス、ありがとうございます。

 当地、台風10号が温帯低気圧になって通過時は真夏の再来でしたが、その後は徐々に秋の気配を感じられるようになりました。
 雨が降ると、創作上でも助かります。
 りんご「つがる」が色づき始めました。稲も、豊作間違いなしのようです。
 8月27日朝、気温11.5℃。高温が続き過ぎたせいか、数日で急転。要暖房です。

 
 
 
 備わっている知能の本質は変えようが無く、変えようが無い法則もある。
 考えたが、躊躇して実行できないことだったりもする。強行したものの、後ろめたかったり、つい隠し偽ったり、悪しき結果になったり、相応の心理や感情も生じる。
 つまり、目には見えないが、考えよりも優先的に機能している法則などがある。

 これらは、自分が理解する以前から備わっている精神機構(知能)の能力や機能や本質などに基づいて生じる。
 この精神機構(知能)の能力や機能や本質などに基づいた法則的なことが、さまざまなシーンで生じる。

 知られれば不都合だと思うことは知られまいと上辺を繕ったり隠し偽ることは可能だが、理解する以前から存在している知能(精神機構)の能力や機能や本質など自体を変えることはできない。

 でも、自分が考えて、自分が行い、それゆえに結果に一喜一憂し、自分の記憶に溜まってゆくことであり、これは本人だけが直に知り得ることでもある。その事実関係や因果関係や理由などを思考上で整理することも、日常会話ができる程度の思考力や理解力があれば可能だ。
 整理すればこそ、事実関係や因果関係や理由などを具体的に理解することもでき、理解したことは記憶にも残る。
 記憶に残ったことは、何時でも何処でも想起可能になるので、知識相応の識別や自覚も可能で、改善なども可能になる。
 そういう経験青基に、未理解だったことを理解する工程をも理解することができ、未理解な場合と理解した場合の相違も解り、理解力を活用できるようにもなる。
 これも、精神機構(知能)の能力や機能や本質などに基づいた法則的なことであり、未理解でも機能している。

 これらの、理解する以前から存在している知能(精神機構)の能力や機能や本質や法則などを、理解することが、当創作のテーマだ。
 
 
 テーマは決まったので、ストーリーの概要である「あらすじ」の整理を予定通りに始めた。

 ストーリー上では、当初は、登場人物の二人(中学三年生)はテーマに該当することには気づいていない。
 つまり、自分が考えて行っていることであり、後ろめたさなども経験済みで、記憶にも溜まっている。が、それらの事実関係や因果関係や理由などを整理したことも無く考えたことすら無いので、それらの事実関係や因果関係や理由などを分かっていない。

 でも、知能が備わっていれば誰でも経験はしている。相応のことが記憶にも残っている。しかも、目には見えが、考えよりも優先して心理に作用する。
 内容しだいでは、悔やんだり、パニックに陥ったり、絶望したり、望まない結果も生じる。
 つまり、目には見えないが考えよりも優先的に機能している。
 それらの存在に、中学三年生の二人は気づき、未把握であるがゆえに把握しようと、その事実関係を整理しはじめ、具体的に解明し理解してゆく。

 その根拠である知能の基本的な能力や機能も理解する。
 それらの基本的なことは日常会話で発揮するようになるだけに誰でも共通であり、言葉は話せない猫や犬なども基本的なことは共通であることをも理解する。

 そんな知能が形成された進化にまで思いを馳せる。

 これが、当創作のストーリーになる。
 
 
 ところが、創作初体験の自分は、創作に臨む精神姿勢を整える必要があったり、余計なことは解消する必要があったりで、スムーズには先に進めない。
 実際にやり始めたことによって、集中するための自分の精神環境の整備が重要だということが日に日に解ってきた。

 当テーマは、目には見えないことだ。が、創作上では、目に見えるかのように文章を構成する。これは、初心者の自分の場合は、あくまでも最終的な理想論だ。長年、進展させっれなかったことであり、今回も下書きを終えられるかも不明なんだから。
 当創作では、書き手である自分が、目には見えないテーマをいかに具体的に捉えることができているかに左右されることは間違いない。なので、こっちを重視する必要がある。これでさえ、雑念を解消しないと進展できないわけだから。
 雨不足の今夏は、雨が降ってくれても、助かる……

 ストーリーは、登場人物の二人が模索し解明してゆくわけであり、自分が行った精神整理が基になるだけに、この点は楽だ。
 ところが、一進一退を繰り返すばかりで、予定していた「あらすじ」が一向に進まない。
 というわけで、更に大まかな全体の把握が必要になった。
 そこで、「あらすじ」と並行して当「総概要」を整理しはじめた。

 つまり、創作作品内の因果律や展開は、不本意だったことに気づいて未把握だったことを把握し、その理由や因果関係や法則などを理解し、理解する以前から存在する知能や能力の基本的なことを理解して、進化上形成されたことを理解するに至る。
 その書き手としては、展開を把握している方がやりやすい。むしろ、展開の要になる法則や因果関係を具体的に把握できているほど、創作は容易になる。そういうことだと考えられた。
 というわけで、予定していた「あらすじ」を整理する前に、まず「総概要」の整理を優先した。

 初めてのことを実際に始めてみると、自分の未熟さが明らかになってゆく。でも、未熟さゆえに、こうした方が好い、ということにも思いつく。思いついたことを、懲りずに解決してゆくしかない。
 目には見えない創作意欲も、育てなければならない。油断して創作意欲を萎えさせるわけにはいかない。

 行ったことが無い目的地を目指して初めて出かけ、早々に迷っているようなものだ、と思ったことが幾度か思った。
 迷いなどは、逐次解消必須だ。懲りずに迷いから脱して徐々に目的地に向かって進み続けないと、目的地には到達できない。
 道順も、繰り返し行った道ほど詳しく記憶に残り、やがては実際に行かなくても記憶にあることだけを基に道順を教えることが可能になるわけだから。
 長年できなかったことを、いよいよ行うからでもあるが、様々なことを行わないと進展できない。なので、自分の場合は、必要に応じて様々なことを行うことが重要なのだと考えた方がいいようだ。

 まだまだ、迷いもし、修正や再調整は要することは明らかだ。
 予定外のことでも、面倒くさがらずに、やる。
 その結果、創作上のイメージが整理され、各章ごとの内容が因果律に基づいて要約されて、道が開けてゆくような感じさえした。
 なので、「総概要」はほぼ決定とした。

 当創作の書き手用の「総概要」は以下のようになる。

 

第一章(起) 精神的悪循環からの解脱



 登場人物の二人は
 自分が考えて行っていることであり、相応のことは記憶に溜まっていることなのに、それらに関する具体的な事実関係や因果関係や理由などは未把握だった。
 そうだったがゆえに、日常会話で理解力を発揮していることも未把握で、考えて行っている内容が理解力に背いていることにも気づけず、精神的な悪循環に陥っていたことにも気づけずにいた。

 でも、やっと会話できた。
 そんなこともあって、本当の気持ちを言えなくなっていることが二人の話題になる。
 本当の気持ちを言えなくなったことことにもやっと気づいただけに、そうなった具体的な理由も未把握だったことから、そうなった経緯や理由などを捉えようと、記憶内の相応のことを整理しはじめる。
 後ろめたかったり、強がってでも隠し偽らざるを得なかったり、積極的にもなれなかったことなどが、記憶に残っていた。
 なのに、後ろめたかった具体的な理由や、強がってでも隠し偽ってしまう具体的な事実関係や因果関係や理由なども、分かっていない。などといったことをイメージ上で捉え始め、話す。
 整理しながら話すことによって、しだいに具体的に捉えてゆく。

 つまり、自分が考えて行っていることであり、不本意だったりもし、記憶に残っていることなのに、その事実関係や因果関係や理由などは分かっていない。
 自分が考えて行っていることの事実関係や因果関係や理由などは分からないまま、そういうことをしていた。
 むしろ、自分が考えて行っていることの事実関係や因果関係や理由などを分かっていないからこそ、後ろめたいことや不本意なことでもやってしまう。
 そうであることをすら、分かっていなかった。
 などといったこともイメージ上で捉え、その事実関係や因果関係や理由などを具体的に捉えようと、思考上で記憶に残っている事実関係を整理しはじめ、もともと発揮すべきだったことに思考力や理解力も発揮しはじめる。

 そして、考えて行っていることの事実関係や因果関係や理由などを捉えたことによって、気づき難くもある悪循環に陥っていたことを具体的に解明する。
 つまり、後ろめたかったり、強がってでも隠し偽らざるを得なかったり、積極的になれなかったりした。
 しかも、自分が考えて行っていたことだった。記憶にも残っていた。それどころか、後ろめたかったり、二の足を踏んだり、自分の考えよりも優先して機能していた。それに逆らうようなことを、考えて行っていた。
 なのに、その事実関係や因果関係や理由などを未把握だった。自分が考えて行っていることや、抵抗が生じることや、それらの理由などを、未把握だった。精神的な悪循環に陥っていたが、そうであることにも気づけなかった。
 その、事実関係を未把握だったがゆえに陥っていることにも気づけなかった悪循環を、記憶に残っていることを整理して、事実関係や因果関係や理由などを解明する。

 解明できただけに、悪循環から抜け出する。
 
 
 この段階では、「未理解だったことを理解する」ということは、こういうことなんだということまでは、まだ理解できていない。
 が、この章で経験した、思考力や理解力を発揮したからこそ精神的悪循環を解明できた事実関係や日常会話などを、次章では客観的に捉えて整理して、「未理解だったことを理解する」ということはこういうことなんだということを具体的に理解する。
 
 

第二章(承) 理解力蘇生・理性復活



 第一章では、精神的悪循環を解明し解決している。
 その第一章で理解力を発揮して解決できた経験などを基に、「未理解だったことを理解する」とはどういうことかとか、未理解な場合と理解した場合の違いや、理解する以前から存在する「理解自体に関する法則的なこと」を、第二章では理解する。

 日常会話上でも、理解し、理解し合いもする。つまり、「未理解だったことを理解する理解とはどういうことか」に関しても、誰でも日常会話上で経験済みで、相応のことが記憶にも残っている。
 それらも参考にして、思考上で整理して、その事実関係や因果関係や法則を具体的に解明して、関連したことで構成されている知識として理解してゆく。
 理解自体に関することを理解したことによって、理解相応の関連したことで構成された知識が記憶に残る。
 記憶に残ったことは何時でも何処でも想起でき、想起した知識を基に識別や自覚や思考や再検証や理解を深めることなども可能になる。つまり、理解して記憶に残っている理解の法則(理解力)を、何時でも何処でも活用できるようにもなる。
 そうなったことを基に「未理解な場合と、理解した場合の、違い」をも理解する。

 五感では捉えることができず、思考上で整理しないと捉えることができないが、思考上で整理すると事実関係や因果関係や理由などの関連したことで構成されていることを理解できる。
 そんな、理解自体に関することも未把握だった。が、未理解だったことを、思考上で整理できた場合は、事実関係や因果関係や理由などの関連したことで構成されていることとして理解できる。そんな、未理解だったことを理解する工程を具体的に理解した場合も、理解したことは記憶に残るだけに、記憶は随意に想起できるだけに何時でも何処にいても理解に関することを自覚できるようになり、よって理解力を随意に発揮することも可能になり、理解力が蘇生されてゆく。

 本人は未理解でも、人工的なものではない法則は存在していて、誰に対しても適用されている。
 そんなことを知らなかった当初は、理解力に背くようなことを考えて行っていた。が、考えよりも優先的に心理に作用する法則的な存在に気づき、それを捉えて順応し、具体的に理解して活用するようになる。

 そんな、五感では捉えることができず、思考上で整理することによって捉えることができることを重視するようになった二人は、それ以外の五感で捉えることができる人工的なことを、異質もののとして大別するようになる。
 特に、尤もらしく見せかけ本当らしく工作し優れたことであるかのように祭り上げて、目を奪い惑わして心まで奪い勘違いさせたり思い込ませたりしていることは、知能を誤用したり悪用していると考えられるだけに、二人は敬遠する。
 いわば、以前は人為的なことに目を奪われ心まで奪われそうだった二人は、理解自体に関することを理解したことによって理解力が蘇生されたこともあって、非人工的で普遍的な法則などを重視するようになり、意識改革なり軌道修正が決定的となる。
 
 
 つまり、自分が考えていることや行っていることに関することを理解するだけに、理解したことは自覚も容易になり、自制も可能になり、実際には精神面の自己管理が可能になる。この第二章で可能になったことを、その理由でもある学習の法則や知能自体に関することを第三章では具体的に捉えることで決定的にすることで、精神面の自己管理が可能になる。
 
 

第三章(転) 知能の基本能力の蘇生



 この章では、知る以前から存在していて、しかも人工的には創れないものであり、理解し尽すことも容易ではない、そういうものこそ優れていることを重視し、優れていることを具体的に理解して、その知識を基に人知よりも優れている存在を尊ぶ。
 人工的には創れない物事に基づいて生じる法則は、いわば「神様が用意してくれた約束」のようなものである。それを理解した人の精神世界に開かれて明らかになってゆくのは未来や未知への道ようなものでもある。
 二人は、躾や教育そっちのけで、誰でも直に経験していることを重視し理解する道へと歩んでゆく。

 すでに備わっている知能自体の、構成や各構成要素の性質や特徴などを、経験上の事実や因果関係を基に整理して理解する。

 知らなかったことを憶えたり上達した理由でもある、学習や上達の法則などの知能の機能や能力に関することを、経験済みで記憶に残っていることを基に事実関係や因果関係や理由などを整理して理解する。
 よって、誰でも日常会話で発揮するようになる知能の基本的な機能や能力を理解する。
 そして、普遍的な根拠と理由に基づいた確信や自信が確立することを体験する。

 誰でも(猫なども)共通な、知能の構成と知能の基本的な能力を理解する。

 本人が未理解でも、筋肉や骨は、運動して負荷をかけると強化する性質がある。日常的な運動をすることによって、相応の筋力などが維持されている。だから、最低限の負荷をかけないと、衰弱する。
 誕生当初は、筋肉や骨も未熟だ。が、寝返りができるようになり、這うことができるようになり、座り、掴まって立ち、ヨチヨチと二足歩行をし、走るようになり、運動相応に骨や筋肉も強化されてゆく。
 同時に、相応の学習もしている。

 それ以前に、本人は未理解でも、つまり生命生理は自律して機能していることを具体的に理解する。

 自分が考えていることや行っていることに関することであり、思考力や理解力は日常で発揮するようになり、それが結果を左右するからこそ結果に一喜一憂し、それらが自分の記憶に溜まってゆく。
 そういう性質上、これらに関しては、本来は精通していても不思議ではない条件が整っていることになる。

 誰でも共通な知能自体や基本的な能力を、二人は具体的に理解し合い信頼し合い尊重し合う。
 子育ての際には、精神面の保護すべきことが明確になる。
 子供は親を選ぶことはできないが、精神的には自分の親よりは増しな親になれるようにできている。
 生存上の基礎や、日常会話で理解力を発揮するようになる精神面の基本に関しては、普遍的で共通なことでもあり、理解し合うことも可能であり、世代を超えて精通できても不思議ではない条件は整っている。
 そんな、知る以前から存在している法則的なことを、二人は理解し合う。
 
 

第四章(結) 知能が備わっている理由



 自分が知る以前に誕生していて、自身の内臓は見たことすら無いのに生命生理は絶妙な秩序に基づいて自律して機能していることになり、自分の理解力を超越している高度な精神機構(知能)もすでに備わっている。
 そんな、自身が誕生するに至った(現在の成体の)背景である進化に思いを馳せる。

 世代交代を重ねて種族としては生き続け、よって進化の可能性も継続される。
 動物に限らず植物でも進化上共通する。そんなことを理解する。

 進化上の未来に思いを馳せる。
 進化上形成された知能を、誤用し悪用さえしていることに気づくことさえできず、むしろ慢心したり有頂天になったりする人類は、あまりにも不完全で、進化の途上にあることは間違いない。

 

悪天候と高温続きで、撮影に出向かなくなった……
そして、撮影とは逆とも言える創作に初めて臨み……
いつのまにか、趣味の写真は二の次に……




2019 夏の早朝の文明


 

カテゴリ : 創作下書き 仮題「凉香と理於の本当の気持ち」

テーマ

 

 たくさんの応援アクセス、ありがとうございます。

 当地、高温続きとはいえ、日照不足も心配になるくらい曇りが多く、気温も35℃に達したことは無かったのだが……
 8月4日 朝から好天で最高気温36.5℃。アッヂィ。
 8月5日 朝の気温20℃。日中は35℃。
 8月6日 朝の気温24℃。日中、幾度見ても35℃。グラグラしていた臼歯(虫歯)が抜け、スッキリ。
 8月7日 朝の気温20℃。朝のうちに、ジャガイモ掘り。土は乾いていたので、ゴム手袋をして手掘り。最高気温34℃弱。
 8月8日 朝5時頃一時雨。最高気温38℃。深夜でも28℃。台風8号崩れの影響か。
 8月9日 最高気温32℃。雨が欲しい。
 8月10日 午前中30℃以下。秋の気配も……

 
 
 
 創作では、テーマを直に書くことは無いのかもしれない。
 書き手が想定した物事やイメージやテーマが、読み手のイメージ上に浮かび上がるように、書き手は文章を構成する。それが創作作品の魅力なのだ、とも考えられる。

 とはいうものの、実際にどうやるのか具体的なことは知らない。
 自分は、創作は未経験だ。

 個人的な精神整理上では、模索し、文章化することを以て事実関係を整理して、無理や矛盾を解明して解決してきた。
 こんな経緯上、体験談的な下書きは幾つかある。
 でも、読み手のイメージ上に、書き手が想定したイメージが浮かび上がるように、書き手が文章を構成する文章とは、いわば逆だ。

 創作としては、温めてきたものも当品のみだ。
 が、当品も構想だけで、具体的な進展はなかった。
 個人的な精神整理が必須で優先だっただけに、模索や確かめることが重要で、事実や根拠や理由を重視したからだった。
 口先だけの言い訳や、事実とは異なることを事実だと勘違いさせたり思い込ませたりする嘘や、生存上は重要ではないことを尤もらしく見せかけたことや、本当らしく工作することに終始し投資し競い争いさえすることなどは、敬遠せざるをえなかったからでもあった。

 精神整理は進んだが、創作は二の次になっていた。
 でも、精神整理は進んだ本来の自分の中枢は、学習力や思考力や理解力だ。
 この証とも言えるもの、成果とも言えるようなもの、これがまだ無い。
 
 
 こんな自分が、テーマが浮かび上がるように構成した文章を書くとなると、まず自分のイメージ上でテーマを見失うわけにはいかない。
 当創作のテーマは、理由や法則や因果関係や基本的なことであり、物体としては存在しないので、五感では捉えることはできない。が、思考上で整理することによって、理解できる。
 こんなテーマの性質上、書き手である自分のイメージ上では、可能な限り具体的に明確にしておくことも必要だ。

 自信は無い。道に例えるなら、早々に迷っているということだ。
 創作は、今回が初体験になる。下書きを書上げたことすら無く、あらすじを整えたことも無いんだから。
 むしろ、不安なのだ。
 だから、避けてきたような感じさえする。
 ただ、こんなことを書きながらでも、気持ちや考えは整理され、やる気にもなる。

 創作だけに、拡声器で「お願いします」と言いながら頭を下げて回れば、できることとは違う。
 有権者を買収して、先生と言われる立場に立つことでもない。
 自分の不正を、投票した有権者の所為にするような、常軌を逸したことを目指すのでもない。
 そんなこととは、縁を切るくらいでないと、自分の場合は達成できない。
 こんなことも、明確に捉えて、迷いを解消しないと、自分の場合は達成できない。

 他に対しては許されないことだが、自分に対しては、煽てるようなことや脅すようなことも活用した方が進展するのかもしれないとさえ思える。
 否、そんなことをするから、肝心なことを見失う。そんなことは慎むべきなのだろう。
 自分が謙虚に丁寧に準備を積み重ねたぶんだけは進展する。
 思い上がりの類は、一切禁止だ。

 創作なんだから、非現実の仮想の世界であり、作品中や内容上では規制は無いに等しいのかもしれない。
 文明や文化だって、変化している。
 自分が子供だった頃、自動車は珍しく、国道は舗装ではなく砂利道だった。
 子供の頃に、農業用の水冷の低速回転の発動機が普及し始め、高速回転型に移行し、空冷エンジンや2サイクルエンジンが普及するようになった。
 そもそも、一世代でできることは、高が知れているわけだから。
 計り知れないほどの世代交代を重ねて進化したからこそ、現代のような身体や生態になったのだろう。
 むしろ、生後に知り得たことを以ては、健康管理もままならず、死を余儀なくされる。
 進化や生命生理などの自律していることに比べると、非現実的な仮想の世界を創作するだけなら、小さいことは気にする必要が無いのかもしれない。

 勘違いや思い込みもあり、生存上は的外れなことに夢中になったりもする。尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作もするし、騙し欺きもする。
 男女関係でも、親しいとは限らないし、殺しもし、死体損壊や死体遺棄さえしたりする。
 家庭内の親子でさえ、尊重し合えず、信頼し合えず、理解し合えず、競い争い、殺し合いまでする。
 刑罰や死刑や法律が必要だと分かっているはずなのに、自分でも認め難いことをしている。だから反省できない。すべて相手の所為にする。そして暴力的に片づけてしまう。
 国の指導者なら世界平和に貢献できる立場にあるのに、国民に殺し合いをさせる戦争を始めたりする。
 歴史上に、わざわざ汚名を刻むようなことをする。
 暴力的なことは後ろめたいからなのか、経済的なことで制裁したり、経済的なことで競い争おうとする。
 核兵器廃絶どころか、一気に大量殺人を行うための核兵器の開発が止まらない。
 平和に向かえば、核兵器は要らなくなるのに。
 太古から進化を重ねた結果であろう生命生理は、絶妙な秩序に基づいて自律して機能していて、誰でも直に経験し続けていて、この尊さや優れていることは歴然としている。それを守るべく進化したはずの知能で、社会秩序を維持できない。
 そんなことに比べると、創作はそもそも非現実だ。気楽に臨んだ方がいいのかもしれない。

 警戒心丸出しだった猫でも、俺を信用するようになり、痛いのを我慢してでも自分ではできないことを俺にやってもらうほど人を信頼するようになった。こういうことは尊重したい。
 皆、好い子なんだ。
 それを、狂わす。そんなことは慎みたい。
 
 
 嫌なのに、嫌だと言わなくなるどころか、言いなりになる。一転する。要は、ここだ。
 中卒後、上辺だけ大人振り、工事現場で日雇いで働いた。
 でも、工事があってこそ、ビルも完成する。
 創作とはいえ、完成までは、工事現場と同じなのだ。
 自分が創作を行う場合は、工事の段取りに当たることも自分で習得しないと、完成はできない。やり始めたことによって、こんなことに気づいているんだから。
 創作作品上には直接現れることはない、背景にあるものも、創作上は重要になってくる。

 あ! 余計なことに気を取られず、いかに自分のペースでやるかだ。これだ。大事なことは。
 ということは、いかに自分のペースでやることに集中できるようになるかであり、この段取りを自分でどれだけできるかも重要だ。
 創作の外側でしかないこんなことを書き出しても、やろうとしていることが具体的になり、やる気にもなるわけだから。

 応援と受け止めることができ、励みになっているのは、当ブログのアクセスだけだ。
 ブログの更新は欠かせない。
 ほかの記事を書く余裕は無くなるから、ブログ上では創作のネタ丸出しでもかまわない。
 ブログ上では、下書きを書き上げるまではネタ丸出しでも、創作作品として仕上げる段階で、読み手のイメージ上にテーマが浮かび上がるように文章を構成する調整ができれば間にあうはずだ。

 テーマの性質上、資料収集などは行わない。
 え……、テーマ!
 あ! テーマを見失っていた!
 今回のタイトルは、テーマだった……
 暑さの所為か!
 否。何かに気を取られると、他のことはすっかり忘れる。こんな歳になったことこと自体を忘れていた。
 ここに来たのは、何をするためだったっけ、などと肝心な目的を忘れることが珍しくなくなった。こんな齢になったこと自体をすら、忘れるようになったなんて。
 かなりしっかりしないと、自分の場合は下書きを書上げるだけでも容易ではないということか……

 他界に臨む頃は、冥途への土産などは忘れてしまうのかな……

 否、否、テーマだ、テーマ。
 
 
 ゲームやスポーツなどのルールも、物体としては存在しない。なので、五感では捉えることはできない。
 観戦しているだけで、そのルールを理解できる、そんなゲームやスポーツだとも限らない。
 ルールを知らないゲームやスポーツと、ルールを知っているそれとでは、観戦でも大差がある。
 ルールを知らないまま、参加しようものなら、揉め事になるだけだ。ルールを知っているはずのプロのスポーツ選手でさえ、乱闘になったり退場させられたりする。監督やコーチに問題があっても、その選手やチーム出場や参加に影響したりするわけだから。
 物事が成り立っているのは、相応の秩序があるからだ。秩序が崩壊すると、成立も崩壊する。

 当創作でも、主人公が、知らず自覚できないがゆえに、無理や矛盾がある方に向かう。
 が、積極的にはなれず、むしろ違和感を感じている。
 そうだったことに気づき、確かめ、事実関係を整理して無理や矛盾を解明してゆき、方向転換をして、根拠も理由もある因果関係や法則や基本を理解して自信も確立してゆく。

 尋ねたり調べたり確かめたりしながら、初めて行く目的地に到達するのに似ている。
 繰り返すほど詳しくなり、やがては実際に行かなくても記憶に残っている道順を教えることもできるようになる。

 ゲームやスポーツのルールも、五感で捉えることができない。知りたい場合は、尋ねたりルールブックを調べたりする。
 基本的な構成や各ポジション別に許されていることなどを、思考上で整理するほどルールを理解できる。
 それでも不明な部分あった場合は、誰かに尋ねたり確かめたりして、詳しくもなる。
 思考上で整理して理解し詳しくもなるだけに、それらは記憶に残る。
 だからこそ、記憶に残っているルールに基づいて、ゲームやスポーツに興じることもできるようになる。

 つまり、思考上で整理して理解し・理解したことに基づいたことが可能になり・相応の結果になる

 この、五感では捉えることができない内面的なことである、情報処理を中心に因果関係で連なっている基本的なこと自体も、整理すると理解することができ、理解した場合は相応のことも可能になる。
 よって、ここまでを、情報処理を中心に因果関係で連なっている基本的なことと考えられる。
 この基本的なことが、当創作のテーマだ。
 
 
 内面的な情報処理を中心に因果関係で連なっている基本的なことの要は、思考上で整理して理解することだ。

 日常会話で思考力や理解力を発揮していても、考えないことは、事実関係や因果関係に基づいた整理はされないので、未理解なままだ。
 思考上で事実関係や因果関係などに基づいた整理ができたことは、理解でき納得したりする。

 何かを理解した際、その理解したことを基に、未理解だったことを理解する因果関係や理由を理解することもできる。未理解な場合と、理解できた場合の、違いや理由も具体的に明らかになる。
 理解自体に関しても、具体的に理解するほど具体的なことが記憶に残るだけに、記憶に残っていることを基に自覚できるようになり、活用なども可能になるので、相応の結果にもなる。

 この、内面的な情報処理の要である未理解だったことを思考上で整理して理解する行程が、テーマ中のテーマになる。
 
 
 当テーマは、人工的なルールや規則などではなく、人が理解する以前から存在している理由や因果関係や法則の類でもある。

 無理や矛盾があると内容しだいでは葛藤が生じたりするように、本人が望まないことも生じる。
 その具体的な因果関係や理由などを本人が未理解でも、違和感を感じたり、不本意だったりもする。
 つまり、知識や考えよりも優先して因果関係や法則は心理上では機能している。

 情報処理を中枢とする因果関係は基本的なことだけに、会話ができるようになれば誰でも繰り返し経験していることでもある。

 だからこそ、そうであることに気づくこともでき、確かめて因果関係などを整理すると解明や理解もできる。

 でも、そういう性質であるがゆえに、そういうことに本人は気づかなかったり未理解だったりする。
 この未理解な面が、逆説的なテーマの裏付けになる。
 
 
 日常会話ができるだけの思考力や理解力があっても、考えもしないことは、事実関係や因果関係に基づいた整理はされないので、未理解なままだ。
 思考上で事実関係や因果関係などに基づいた整理ができたことは、理解でき納得したりする。

 そうであること自体も、思考上で整理した場合は理解できる。
 つまり、そうであることも、考えもしない場合は未理解なままだ。

 こういう性質上、誰でも繰り返し経験している情報処理を中枢にして因果関係で連なっている基本的なことであっても、考えたことが無い場合は未理解だったりする。

 理解する以前から存在していて機能していて、人工的なものではない法則的なことや基本的なことは、人工的には変えようが無い。
 それでも、未理解だったりする。

 つまり、すでに存在しているどころか、繰り返し経験していて、学習力も思考力も理解力もある。
 が、単に、考えず、思考上で整理したことが無いだけに、未理解なだけだ。ということもある。
 こんなことの理由や、この法則的なことも、整理することによって明らかになる。が、明らかになる以前から存在し機能しているわけであり、未理解なだけだったりする。

 未理解だと、不具合や問題が生じる。よって、気づき、確かめ、解明し理解して解決してゆく。
 
 
 次回は、「あらすじ」を整理しようか。
 あらすじは、因果律が重要なので、たぶん時間を要する。が、そうであるだけに、あらすじの整理ができれば、下書きの準備が整う。
 迷走的な下準備だが、整うほど、やる気にもなる。

 

悪天候と高温続きで、撮影に出向かなくなった……
初めての創作に臨み、すっかり写真は二の次に……




2019 夏の早朝の文明


 


カテゴリ : 創作下書き 仮題「凉香と理於の本当の気持ち」

 

 たくさんの応援アクセス、ありがとうございます。

 当地は、雨不足に、高温続きで、大変な夏です。

 
 
 
「戻れるものなら、あの頃に戻りたい」
 そう思ったことが、一度だけあった。
 あの頃に、自分を見失い、上辺だけ大人振るようになり、人生が狂い始めた。あの前は、大人が煽てたり脅したりして子供を騙して言いなりにさせようとしていることを見抜けるようになっていたわけだから。
 そうだったことが、解ったからだった。

 大人の嘘を見抜いていたあの頃なら、事実関係を把握できていたようなものだった。が、無理や矛盾がある方に向かいはじめた。あの頃なら、深入りしていないので、気づきやすくもあり、無理や矛盾の解明も容易で、改善もしやすかったはずだ。
 あの頃、確かめたかったのに、言い出せないままになったこともあった。

 彼女の家に電話し、彼女の現在の電話番号を尋ねた。
 電話に出た彼女の母親が、電話番号を教えてくれた。局番は、彼女が就職すると言っていた、都会だった。「結婚したので、今は松本です」とも教えてくれた。
 彼女に電話をかけることはできなくなった。
 そもそも、自分は、勘違いや思い込みが基だった生き方に挫折し、無理や矛盾だらけだった生き方は破綻し、信頼関係では失格している。

 あの頃、確かめたかったのに、言い出せないまま、独断的に処理して意に反する方に向かった。あれも問題だった。
 人生をやり直すためには、確認して事実関係を整理する必要がある。精神的に、あの頃に戻る必要がある。
 戻りたい。

 数日後。
 意を決して電話した。
「はい。松本です」
 電話から聞こえてきたのは女の子の声で幼稚園児くらいの子だと感じた。
 お母さん、元気? と口から出そうになったが、「ごめんね。間違いました」と言って電話を切った。
 戻れるはずがない。

 でも、狂い始めたあの頃まで戻るくらいの精神整理ができてこそ、人生をやり直せる。
 子供の頃には大人の嘘を見抜いていたわけだから。だからこそ、信頼関係を回復したくて問い詰めもした。それが受け入れられないから、言いなりにはなるまいとした。なのに、反抗だと決めつけたのも大人たちだった。
 そんな大人たちに反感を感じていたにもかかわらず、同じように上辺だけ大人振る大人に自分もなっていた。
 人生をやり直すためには、分岐点だったあの頃の精神状態まで戻ることは必須だ。

 大人の理解を得られなかった幼い頃の自分の本心を、十年以上経た今の自分なら理解してやれる。
 もともと、自分こそが自分の無二の理解者でありえる。
 理解して救うなり自分で育て直すなりすることこそが、人生をやり直すことだ。
 自分で育て直すことができてこそ、精神的にも本来の大人になれる。
 が、自分の愚かさや卑劣さを認めることは容易ではなく、あの頃に独自に戻ることは容易ではない。

 そうだ。仮想の少年と少女に戻ってもらおう。
 認め難いほどの愚かなことや卑劣なことはしていない、中学三年生の同級生なら、不本意なことをしはじめていることに気づきやすい。気づいて、その事実関係や因果関係を整理しはじめ、理由などを解明して改善してゆく。
 そして、話し合うことによっても、事実関係や因果関係が整理され理解できることに気づき、それを重視する。
 そして、自己理解こそを重視し、それ以前の大人の嘘を見抜けるようになった頃の精神状態まで戻る。よって、自己理解こそが子育てをする際に子供の精神面の理解を左右する重要だったことを理解し、大人はそれを妨げているようなものであることを知る。
 更に、誰にも共通することを理解し合い、お互いの考えに基づいた生き方をしてゆく。
 仮想上でだったら、遠慮のない具体的なことも可能なはずだ。

 凉香 創作上は母子家庭が都合がいい
 理於 創作上は三世代家族 動物好き
 二人の理性を刺激する天の声は、当然ながら俺の役目だ。が、俺の出幕ってあるのか……

 時代想定は、昭和。テレビや電話はあるが、パソコンやケータイはまだ無い。
 むしろ、もともと誰でもできることである会話を重視しよう。会って表情や仕草なども見ながら話し合うことを重視しよう。
 
 
 実は、この構想を思いついたのは、自分の考えの無理や矛盾を解明し解決しはじめた後で三十歳を過ぎていた。
 解明できたことが間違いではないことを確かめ整理して理解を深め、数年後に普及しはじめたワープロ専用機で文章を書く練習をしながらこの構想も育て続け、三年後にパソコンに移行した。
 実際には、自分の意識改革や人生の軌道修正の完成度を上げることだった。内面的なことであり、極めて個人的なことだったが、必須なことだった。目には見えないことだが、行動上の中枢を修正することであり、実践の極みだった。必須だったからからこそ進展した。
 それとは逆のことである、尤もらしく見せかけ本当らしく工作して、誰かの目を奪い心まで奪い、つまり誰かに勘違いさせたり思い込ませたりすることで、私利私欲を貪ることも、自ずと明らかになり敬遠せざるをえなくなった。
 この構想を創作作品にすることも常に意識内にはあった。が、創作作品は、まさに尤もらしく見せかけ本当らしく工作することそのものだったりもする。このことも、常に意識内にあった。
 結局、個人的には進展したが、いつのまにか七十歳代になった。
 この構想に関しては、あの頃に戻るどころか、あの頃からは遠退くばかりだった。

 年齢上、「他界に臨む心の準備」優先するようになった。
 警戒心を捨てて俺を信用し信頼するようにまでなってくれたモッちゃんは死に、死んだモッちゃんに考えさせられて気づき、死んで逝く際に確かな信頼関係が築かれている環境であることが重要であることを知った。が、その条件は満たせそうにない。
 結局、「他界に臨む心の準備」として知り得た、いずれの条件も自分は満たせそうにない。

 ならば、せめて冥途への土産でも用意しなければ。という思いと共に浮上したのがこの構想だった。
 この構想にトライしたい理由は他にもあるからだったが……

 トライするとなると、尤もらしく見せかけ本当らしく工作するというイメージと、対峙することは必須になる。
 四十年間、生き続け育ち続けたことは事実だが、育ち続けているわけだから、未熟だということも無視できない……
 いわば四十年間も温め続けた卵を孵化させるようなことをすることになり、飛び回るようなことに期待したいが、そんなことができるものか否かも不明だ……
 下書きを書上げられるか否かも怪しいわけだから……
 冥途への土産になり得るものか否かも定かではない……

 が、構想のテーマは、目には見えない内面に関することであり、行動上の中枢である学習力や思考力や理解力などの情報処理だ。
 この情報処理上、いまの自分が最も期待できるもので頼れるものが、これなのだ。
 やってみないと、結果は出ない。
 目的地に到達するまで進み続けた場合にだけ目的地に到達するわけだから。
 とりあえず下書きを書上げるという結果を出してみるか。
 その上で判断した方が、可否にしても是非にしても具体的に的確に判断できるわけだから。

 


人の文明文化……




2019 夏の早朝の文明


 


応援アクセス、ありがとうございます。
応援アクセスに、とても励まされております。
好みや価値観は百人百様ですが、
それゆえの好刺激も戴いております。
夏場は、相互応援アクセスは中断します。
拍手ボタン等は非表示中です。
プロフィール

kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

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