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 生命生理は、自律して機能していて、生存の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 生きていること自体が絶妙にできていることを直に経験し続ける知能も備わっていて、相応の学習もでき、上達し、基本動作や日常会話などは熟練する。
 約束やルールや信頼や尊重や愛や幸福などの目には見えないことでも理解し合えるようになり、よって協力し合い信頼し合い尊重し合えるようにもなる。
 しかも、理解は、無料で、誰でも可能だ。むしろ、売買すると崩壊する。
 以上の、普遍的なことや誰にでも共通することが、当ブログのテーマです。
 でも、進化・自身が形成された経緯・自身の生命生理などは、通常は知らない。
 直に経験し続ける知能や学習力や理解力をさえ、具体的に理解するとは限らない。
 知らないことだからこそ、想像もする。自分のことでも、勘違いし思い込みもする。
 自分以外のことに目を奪われると、自分を見失う。心まで奪われると、自分の人生も見失う。つまり、そういう状態に陥っていることに気づけなくさえなる。
 普遍的ではなく、共通でもなく、異なることほど、理解し合うことは困難になる。
 私利私欲を貪り、相殺して蝕み合い、競争で優劣を決め、転嫁し暴力で片づける。
 非理解、非協力、非信頼、非尊重、そういう非知的なことは、むしろ避けたい。
 いずれも、マスメディアが発達した現代では歴然としていることなんですから。
はじめに 更新2013/01/21
目次:無知の悟「俺は、異常ではなかったんだ、病気でもない」
主観的とは 客観的とは  客観的な考え方の特徴は  主観的な考え方の特徴は
「心を開く」とは 「心眼を開く」とは   「悟り」とは 2016/12/27
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カテゴリ : 創作下書き 仮題「凉香と理於の本当の気持ち」

書き手用の「総概要」

 

 たくさんの応援アクセス、ありがとうございます。

 当地、台風10号が温帯低気圧になって通過時は真夏の再来でしたが、その後は徐々に秋の気配を感じられるようになりました。
 雨が降ると、創作上でも助かります。
 りんご「つがる」が色づき始めました。稲も、豊作間違いなしのようです。
 8月27日朝、気温11.5℃。高温が続き過ぎたせいか、数日で急転。要暖房です。

 
 
 
 備わっている知能の本質は変えようが無く、変えようが無い法則もある。
 考えたが、躊躇して実行できないことだったりもする。強行したものの、後ろめたかったり、つい隠し偽ったり、悪しき結果になったり、相応の心理や感情も生じる。
 つまり、目には見えないが、考えよりも優先的に機能している法則などがある。

 これらは、自分が理解する以前から備わっている精神機構(知能)の能力や機能や本質などに基づいて生じる。
 この精神機構(知能)の能力や機能や本質などに基づいた法則的なことが、さまざまなシーンで生じる。

 知られれば不都合だと思うことは知られまいと上辺を繕ったり隠し偽ることは可能だが、理解する以前から存在している知能(精神機構)の能力や機能や本質など自体を変えることはできない。

 でも、自分が考えて、自分が行い、それゆえに結果に一喜一憂し、自分の記憶に溜まってゆくことであり、これは本人だけが直に知り得ることでもある。その事実関係や因果関係や理由などを思考上で整理することも、日常会話ができる程度の思考力や理解力があれば可能だ。
 整理すればこそ、事実関係や因果関係や理由などを具体的に理解することもでき、理解したことは記憶にも残る。
 記憶に残ったことは、何時でも何処でも想起可能になるので、知識相応の識別や自覚も可能で、改善なども可能になる。
 そういう経験青基に、未理解だったことを理解する工程をも理解することができ、未理解な場合と理解した場合の相違も解り、理解力を活用できるようにもなる。
 これも、精神機構(知能)の能力や機能や本質などに基づいた法則的なことであり、未理解でも機能している。

 これらの、理解する以前から存在している知能(精神機構)の能力や機能や本質や法則などを、理解することが、当創作のテーマだ。
 
 
 テーマは決まったので、ストーリーの概要である「あらすじ」の整理を予定通りに始めた。

 ストーリー上では、当初は、登場人物の二人(中学三年生)はテーマに該当することには気づいていない。
 つまり、自分が考えて行っていることであり、後ろめたさなども経験済みで、記憶にも溜まっている。が、それらの事実関係や因果関係や理由などを整理したことも無く考えたことすら無いので、それらの事実関係や因果関係や理由などを分かっていない。

 でも、知能が備わっていれば誰でも経験はしている。相応のことが記憶にも残っている。しかも、目には見えが、考えよりも優先して心理に作用する。
 内容しだいでは、悔やんだり、パニックに陥ったり、絶望したり、望まない結果も生じる。
 つまり、目には見えないが考えよりも優先的に機能している。
 それらの存在に、中学三年生の二人は気づき、未把握であるがゆえに把握しようと、その事実関係を整理しはじめ、具体的に解明し理解してゆく。

 その根拠である知能の基本的な能力や機能も理解する。
 それらの基本的なことは日常会話で発揮するようになるだけに誰でも共通であり、言葉は話せない猫や犬なども基本的なことは共通であることをも理解する。

 そんな知能が形成された進化にまで思いを馳せる。

 これが、当創作のストーリーになる。
 
 
 ところが、創作初体験の自分は、創作に臨む精神姿勢を整える必要があったり、余計なことは解消する必要があったりで、スムーズには先に進めない。
 実際にやり始めたことによって、集中するための自分の精神環境の整備が重要だということが日に日に解ってきた。

 当テーマは、目には見えないことだ。が、創作上では、目に見えるかのように文章を構成する。これは、初心者の自分の場合は、あくまでも最終的な理想論だ。長年、進展させっれなかったことであり、今回も下書きを終えられるかも不明なんだから。
 当創作では、書き手である自分が、目には見えないテーマをいかに具体的に捉えることができているかに左右されることは間違いない。なので、こっちを重視する必要がある。これでさえ、雑念を解消しないと進展できないわけだから。
 雨不足の今夏は、雨が降ってくれても、助かる……

 ストーリーは、登場人物の二人が模索し解明してゆくわけであり、自分が行った精神整理が基になるだけに、この点は楽だ。
 ところが、一進一退を繰り返すばかりで、予定していた「あらすじ」が一向に進まない。
 というわけで、更に大まかな全体の把握が必要になった。
 そこで、「あらすじ」と並行して当「総概要」を整理しはじめた。

 つまり、創作作品内の因果律や展開は、不本意だったことに気づいて未把握だったことを把握し、その理由や因果関係や法則などを理解し、理解する以前から存在する知能や能力の基本的なことを理解して、進化上形成されたことを理解するに至る。
 その書き手としては、展開を把握している方がやりやすい。むしろ、展開の要になる法則や因果関係を具体的に把握できているほど、創作は容易になる。そういうことだと考えられた。
 というわけで、予定していた「あらすじ」を整理する前に、まず「総概要」の整理を優先した。

 初めてのことを実際に始めてみると、自分の未熟さが明らかになってゆく。でも、未熟さゆえに、こうした方が好い、ということにも思いつく。思いついたことを、懲りずに解決してゆくしかない。
 目には見えない創作意欲も、育てなければならない。油断して創作意欲を萎えさせるわけにはいかない。

 行ったことが無い目的地を目指して初めて出かけ、早々に迷っているようなものだ、と思ったことが幾度か思った。
 迷いなどは、逐次解消必須だ。懲りずに迷いから脱して徐々に目的地に向かって進み続けないと、目的地には到達できない。
 道順も、繰り返し行った道ほど詳しく記憶に残り、やがては実際に行かなくても記憶にあることだけを基に道順を教えることが可能になるわけだから。
 長年できなかったことを、いよいよ行うからでもあるが、様々なことを行わないと進展できない。なので、自分の場合は、必要に応じて様々なことを行うことが重要なのだと考えた方がいいようだ。

 まだまだ、迷いもし、修正や再調整は要することは明らかだ。
 予定外のことでも、面倒くさがらずに、やる。
 その結果、創作上のイメージが整理され、各章ごとの内容が因果律に基づいて要約されて、道が開けてゆくような感じさえした。
 なので、「総概要」はほぼ決定とした。

 当創作の書き手用の「総概要」は以下のようになる。

 

第一章(起) 精神的悪循環からの解脱



 登場人物の二人は
 自分が考えて行っていることであり、相応のことは記憶に溜まっていることなのに、それらに関する具体的な事実関係や因果関係や理由などは未把握だった。
 そうだったがゆえに、日常会話で理解力を発揮していることも未把握で、考えて行っている内容が理解力に背いていることにも気づけず、精神的な悪循環に陥っていたことにも気づけずにいた。

 でも、やっと会話できた。
 そんなこともあって、本当の気持ちを言えなくなっていることが二人の話題になる。
 本当の気持ちを言えなくなったことことにもやっと気づいただけに、そうなった具体的な理由も未把握だったことから、そうなった経緯や理由などを捉えようと、記憶内の相応のことを整理しはじめる。
 後ろめたかったり、強がってでも隠し偽らざるを得なかったり、積極的にもなれなかったことなどが、記憶に残っていた。
 なのに、後ろめたかった具体的な理由や、強がってでも隠し偽ってしまう具体的な事実関係や因果関係や理由なども、分かっていない。などといったことをイメージ上で捉え始め、話す。
 整理しながら話すことによって、しだいに具体的に捉えてゆく。

 つまり、自分が考えて行っていることであり、不本意だったりもし、記憶に残っていることなのに、その事実関係や因果関係や理由などは分かっていない。
 自分が考えて行っていることの事実関係や因果関係や理由などは分からないまま、そういうことをしていた。
 むしろ、自分が考えて行っていることの事実関係や因果関係や理由などを分かっていないからこそ、後ろめたいことや不本意なことでもやってしまう。
 そうであることをすら、分かっていなかった。
 などといったこともイメージ上で捉え、その事実関係や因果関係や理由などを具体的に捉えようと、思考上で記憶に残っている事実関係を整理しはじめ、もともと発揮すべきだったことに思考力や理解力も発揮しはじめる。

 そして、考えて行っていることの事実関係や因果関係や理由などを捉えたことによって、気づき難くもある悪循環に陥っていたことを具体的に解明する。
 つまり、後ろめたかったり、強がってでも隠し偽らざるを得なかったり、積極的になれなかったりした。
 しかも、自分が考えて行っていたことだった。記憶にも残っていた。それどころか、後ろめたかったり、二の足を踏んだり、自分の考えよりも優先して機能していた。それに逆らうようなことを、考えて行っていた。
 なのに、その事実関係や因果関係や理由などを未把握だった。自分が考えて行っていることや、抵抗が生じることや、それらの理由などを、未把握だった。精神的な悪循環に陥っていたが、そうであることにも気づけなかった。
 その、事実関係を未把握だったがゆえに陥っていることにも気づけなかった悪循環を、記憶に残っていることを整理して、事実関係や因果関係や理由などを解明する。

 解明できただけに、悪循環から抜け出する。
 
 
 この段階では、「未理解だったことを理解する」ということは、こういうことなんだということまでは、まだ理解できていない。
 が、この章で経験した、思考力や理解力を発揮したからこそ精神的悪循環を解明できた事実関係や日常会話などを、次章では客観的に捉えて整理して、「未理解だったことを理解する」ということはこういうことなんだということを具体的に理解する。
 
 

第二章(承) 理解力蘇生・理性復活



 第一章では、精神的悪循環を解明し解決している。
 その第一章で理解力を発揮して解決できた経験などを基に、「未理解だったことを理解する」とはどういうことかとか、未理解な場合と理解した場合の違いや、理解する以前から存在する「理解自体に関する法則的なこと」を、第二章では理解する。

 日常会話上でも、理解し、理解し合いもする。つまり、「未理解だったことを理解する理解とはどういうことか」に関しても、誰でも日常会話上で経験済みで、相応のことが記憶にも残っている。
 それらも参考にして、思考上で整理して、その事実関係や因果関係や法則を具体的に解明して、関連したことで構成されている知識として理解してゆく。
 理解自体に関することを理解したことによって、理解相応の関連したことで構成された知識が記憶に残る。
 記憶に残ったことは何時でも何処でも想起でき、想起した知識を基に識別や自覚や思考や再検証や理解を深めることなども可能になる。つまり、理解して記憶に残っている理解の法則(理解力)を、何時でも何処でも活用できるようにもなる。
 そうなったことを基に「未理解な場合と、理解した場合の、違い」をも理解する。

 五感では捉えることができず、思考上で整理しないと捉えることができないが、思考上で整理すると事実関係や因果関係や理由などの関連したことで構成されていることを理解できる。
 そんな、理解自体に関することも未把握だった。が、未理解だったことを、思考上で整理できた場合は、事実関係や因果関係や理由などの関連したことで構成されていることとして理解できる。そんな、未理解だったことを理解する工程を具体的に理解した場合も、理解したことは記憶に残るだけに、記憶は随意に想起できるだけに何時でも何処にいても理解に関することを自覚できるようになり、よって理解力を随意に発揮することも可能になり、理解力が蘇生されてゆく。

 本人は未理解でも、人工的なものではない法則は存在していて、誰に対しても適用されている。
 そんなことを知らなかった当初は、理解力に背くようなことを考えて行っていた。が、考えよりも優先的に心理に作用する法則的な存在に気づき、それを捉えて順応し、具体的に理解して活用するようになる。

 そんな、五感では捉えることができず、思考上で整理することによって捉えることができることを重視するようになった二人は、それ以外の五感で捉えることができる人工的なことを、異質もののとして大別するようになる。
 特に、尤もらしく見せかけ本当らしく工作し優れたことであるかのように祭り上げて、目を奪い惑わして心まで奪い勘違いさせたり思い込ませたりしていることは、知能を誤用したり悪用していると考えられるだけに、二人は敬遠する。
 いわば、以前は人為的なことに目を奪われ心まで奪われそうだった二人は、理解自体に関することを理解したことによって理解力が蘇生されたこともあって、非人工的で普遍的な法則などを重視するようになり、意識改革なり軌道修正が決定的となる。
 
 
 つまり、自分が考えていることや行っていることに関することを理解するだけに、理解したことは自覚も容易になり、自制も可能になり、実際には精神面の自己管理が可能になる。この第二章で可能になったことを、その理由でもある学習の法則や知能自体に関することを第三章では具体的に捉えることで決定的にすることで、精神面の自己管理が可能になる。
 
 

第三章(転) 知能の基本能力の蘇生



 この章では、知る以前から存在していて、しかも人工的には創れないものであり、理解し尽すことも容易ではない、そういうものこそ優れていることを重視し、優れていることを具体的に理解して、その知識を基に人知よりも優れている存在を尊ぶ。
 人工的には創れない物事に基づいて生じる法則は、いわば「神様が用意してくれた約束」のようなものである。それを理解した人の精神世界に開かれて明らかになってゆくのは未来や未知への道ようなものでもある。
 二人は、躾や教育そっちのけで、誰でも直に経験していることを重視し理解する道へと歩んでゆく。

 すでに備わっている知能自体の、構成や各構成要素の性質や特徴などを、経験上の事実や因果関係を基に整理して理解する。

 知らなかったことを憶えたり上達した理由でもある、学習や上達の法則などの知能の機能や能力に関することを、経験済みで記憶に残っていることを基に事実関係や因果関係や理由などを整理して理解する。
 よって、誰でも日常会話で発揮するようになる知能の基本的な機能や能力を理解する。
 そして、普遍的な根拠と理由に基づいた確信や自信が確立することを体験する。

 誰でも(猫なども)共通な、知能の構成と知能の基本的な能力を理解する。

 本人が未理解でも、筋肉や骨は、運動して負荷をかけると強化する性質がある。日常的な運動をすることによって、相応の筋力などが維持されている。だから、最低限の負荷をかけないと、衰弱する。
 誕生当初は、筋肉や骨も未熟だ。が、寝返りができるようになり、這うことができるようになり、座り、掴まって立ち、ヨチヨチと二足歩行をし、走るようになり、運動相応に骨や筋肉も強化されてゆく。
 同時に、相応の学習もしている。

 それ以前に、本人は未理解でも、つまり生命生理は自律して機能していることを具体的に理解する。

 自分が考えていることや行っていることに関することであり、思考力や理解力は日常で発揮するようになり、それが結果を左右するからこそ結果に一喜一憂し、それらが自分の記憶に溜まってゆく。
 そういう性質上、これらに関しては、本来は精通していても不思議ではない条件が整っていることになる。

 誰でも共通な知能自体や基本的な能力を、二人は具体的に理解し合い信頼し合い尊重し合う。
 子育ての際には、精神面の保護すべきことが明確になる。
 子供は親を選ぶことはできないが、精神的には自分の親よりは増しな親になれるようにできている。
 生存上の基礎や、日常会話で理解力を発揮するようになる精神面の基本に関しては、普遍的で共通なことでもあり、理解し合うことも可能であり、世代を超えて精通できても不思議ではない条件は整っている。
 そんな、知る以前から存在している法則的なことを、二人は理解し合う。
 
 

第四章(結) 知能が備わっている理由



 自分が知る以前に誕生していて、自身の内臓は見たことすら無いのに生命生理は絶妙な秩序に基づいて自律して機能していることになり、自分の理解力を超越している高度な精神機構(知能)もすでに備わっている。
 そんな、自身が誕生するに至った(現在の成体の)背景である進化に思いを馳せる。

 世代交代を重ねて種族としては生き続け、よって進化の可能性も継続される。
 動物に限らず植物でも進化上共通する。そんなことを理解する。

 進化上の未来に思いを馳せる。
 進化上形成された知能を、誤用し悪用さえしていることに気づくことさえできず、むしろ慢心したり有頂天になったりする人類は、あまりにも不完全で、進化の途上にあることは間違いない。

 

悪天候と高温続きで、撮影に出向かなくなった……
そして、撮影とは逆とも言える創作に初めて臨み……
いつのまにか、趣味の写真は二の次に……




2019 夏の早朝の文明


 

カテゴリ : 創作下書き 仮題「凉香と理於の本当の気持ち」

テーマ

 

 たくさんの応援アクセス、ありがとうございます。

 当地、高温続きとはいえ、日照不足も心配になるくらい曇りが多く、気温も35℃に達したことは無かったのだが……
 8月4日 朝から好天で最高気温36.5℃。アッヂィ。
 8月5日 朝の気温20℃。日中は35℃。
 8月6日 朝の気温24℃。日中、幾度見ても35℃。グラグラしていた臼歯(虫歯)が抜け、スッキリ。
 8月7日 朝の気温20℃。朝のうちに、ジャガイモ掘り。土は乾いていたので、ゴム手袋をして手掘り。最高気温34℃弱。
 8月8日 朝5時頃一時雨。最高気温38℃。深夜でも28℃。台風8号崩れの影響か。
 8月9日 最高気温32℃。雨が欲しい。
 8月10日 午前中30℃以下。秋の気配も……

 
 
 
 創作では、テーマを直に書くことは無いのかもしれない。
 書き手が想定した物事やイメージやテーマが、読み手のイメージ上に浮かび上がるように、書き手は文章を構成する。それが創作作品の魅力なのだ、とも考えられる。

 とはいうものの、実際にどうやるのか具体的なことは知らない。
 自分は、創作は未経験だ。

 個人的な精神整理上では、模索し、文章化することを以て事実関係を整理して、無理や矛盾を解明して解決してきた。
 こんな経緯上、体験談的な下書きは幾つかある。
 でも、読み手のイメージ上に、書き手が想定したイメージが浮かび上がるように、書き手が文章を構成する文章とは、いわば逆だ。

 創作としては、温めてきたものも当品のみだ。
 が、当品も構想だけで、具体的な進展はなかった。
 個人的な精神整理が必須で優先だっただけに、模索や確かめることが重要で、事実や根拠や理由を重視したからだった。
 口先だけの言い訳や、事実とは異なることを事実だと勘違いさせたり思い込ませたりする嘘や、生存上は重要ではないことを尤もらしく見せかけたことや、本当らしく工作することに終始し投資し競い争いさえすることなどは、敬遠せざるをえなかったからでもあった。

 精神整理は進んだが、創作は二の次になっていた。
 でも、精神整理は進んだ本来の自分の中枢は、学習力や思考力や理解力だ。
 この証とも言えるもの、成果とも言えるようなもの、これがまだ無い。
 
 
 こんな自分が、テーマが浮かび上がるように構成した文章を書くとなると、まず自分のイメージ上でテーマを見失うわけにはいかない。
 当創作のテーマは、理由や法則や因果関係や基本的なことであり、物体としては存在しないので、五感では捉えることはできない。が、思考上で整理することによって、理解できる。
 こんなテーマの性質上、書き手である自分のイメージ上では、可能な限り具体的に明確にしておくことも必要だ。

 自信は無い。道に例えるなら、早々に迷っているということだ。
 創作は、今回が初体験になる。下書きを書上げたことすら無く、あらすじを整えたことも無いんだから。
 むしろ、不安なのだ。
 だから、避けてきたような感じさえする。
 ただ、こんなことを書きながらでも、気持ちや考えは整理され、やる気にもなる。

 創作だけに、拡声器で「お願いします」と言いながら頭を下げて回れば、できることとは違う。
 有権者を買収して、先生と言われる立場に立つことでもない。
 自分の不正を、投票した有権者の所為にするような、常軌を逸したことを目指すのでもない。
 そんなこととは、縁を切るくらいでないと、自分の場合は達成できない。
 こんなことも、明確に捉えて、迷いを解消しないと、自分の場合は達成できない。

 他に対しては許されないことだが、自分に対しては、煽てるようなことや脅すようなことも活用した方が進展するのかもしれないとさえ思える。
 否、そんなことをするから、肝心なことを見失う。そんなことは慎むべきなのだろう。
 自分が謙虚に丁寧に準備を積み重ねたぶんだけは進展する。
 思い上がりの類は、一切禁止だ。

 創作なんだから、非現実の仮想の世界であり、作品中や内容上では規制は無いに等しいのかもしれない。
 文明や文化だって、変化している。
 自分が子供だった頃、自動車は珍しく、国道は舗装ではなく砂利道だった。
 子供の頃に、農業用の水冷の低速回転の発動機が普及し始め、高速回転型に移行し、空冷エンジンや2サイクルエンジンが普及するようになった。
 そもそも、一世代でできることは、高が知れているわけだから。
 計り知れないほどの世代交代を重ねて進化したからこそ、現代のような身体や生態になったのだろう。
 むしろ、生後に知り得たことを以ては、健康管理もままならず、死を余儀なくされる。
 進化や生命生理などの自律していることに比べると、非現実的な仮想の世界を創作するだけなら、小さいことは気にする必要が無いのかもしれない。

 勘違いや思い込みもあり、生存上は的外れなことに夢中になったりもする。尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作もするし、騙し欺きもする。
 男女関係でも、親しいとは限らないし、殺しもし、死体損壊や死体遺棄さえしたりする。
 家庭内の親子でさえ、尊重し合えず、信頼し合えず、理解し合えず、競い争い、殺し合いまでする。
 刑罰や死刑や法律が必要だと分かっているはずなのに、自分でも認め難いことをしている。だから反省できない。すべて相手の所為にする。そして暴力的に片づけてしまう。
 国の指導者なら世界平和に貢献できる立場にあるのに、国民に殺し合いをさせる戦争を始めたりする。
 歴史上に、わざわざ汚名を刻むようなことをする。
 暴力的なことは後ろめたいからなのか、経済的なことで制裁したり、経済的なことで競い争おうとする。
 核兵器廃絶どころか、一気に大量殺人を行うための核兵器の開発が止まらない。
 平和に向かえば、核兵器は要らなくなるのに。
 太古から進化を重ねた結果であろう生命生理は、絶妙な秩序に基づいて自律して機能していて、誰でも直に経験し続けていて、この尊さや優れていることは歴然としている。それを守るべく進化したはずの知能で、社会秩序を維持できない。
 そんなことに比べると、創作はそもそも非現実だ。気楽に臨んだ方がいいのかもしれない。

 警戒心丸出しだった猫でも、俺を信用するようになり、痛いのを我慢してでも自分ではできないことを俺にやってもらうほど人を信頼するようになった。こういうことは尊重したい。
 皆、好い子なんだ。
 それを、狂わす。そんなことは慎みたい。
 
 
 嫌なのに、嫌だと言わなくなるどころか、言いなりになる。一転する。要は、ここだ。
 中卒後、上辺だけ大人振り、工事現場で日雇いで働いた。
 でも、工事があってこそ、ビルも完成する。
 創作とはいえ、完成までは、工事現場と同じなのだ。
 自分が創作を行う場合は、工事の段取りに当たることも自分で習得しないと、完成はできない。やり始めたことによって、こんなことに気づいているんだから。
 創作作品上には直接現れることはない、背景にあるものも、創作上は重要になってくる。

 あ! 余計なことに気を取られず、いかに自分のペースでやるかだ。これだ。大事なことは。
 ということは、いかに自分のペースでやることに集中できるようになるかであり、この段取りを自分でどれだけできるかも重要だ。
 創作の外側でしかないこんなことを書き出しても、やろうとしていることが具体的になり、やる気にもなるわけだから。

 応援と受け止めることができ、励みになっているのは、当ブログのアクセスだけだ。
 ブログの更新は欠かせない。
 ほかの記事を書く余裕は無くなるから、ブログ上では創作のネタ丸出しでもかまわない。
 ブログ上では、下書きを書き上げるまではネタ丸出しでも、創作作品として仕上げる段階で、読み手のイメージ上にテーマが浮かび上がるように文章を構成する調整ができれば間にあうはずだ。

 テーマの性質上、資料収集などは行わない。
 え……、テーマ!
 あ! テーマを見失っていた!
 今回のタイトルは、テーマだった……
 暑さの所為か!
 否。何かに気を取られると、他のことはすっかり忘れる。こんな歳になったことこと自体を忘れていた。
 ここに来たのは、何をするためだったっけ、などと肝心な目的を忘れることが珍しくなくなった。こんな齢になったこと自体をすら、忘れるようになったなんて。
 かなりしっかりしないと、自分の場合は下書きを書上げるだけでも容易ではないということか……

 他界に臨む頃は、冥途への土産などは忘れてしまうのかな……

 否、否、テーマだ、テーマ。
 
 
 ゲームやスポーツなどのルールも、物体としては存在しない。なので、五感では捉えることはできない。
 観戦しているだけで、そのルールを理解できる、そんなゲームやスポーツだとも限らない。
 ルールを知らないゲームやスポーツと、ルールを知っているそれとでは、観戦でも大差がある。
 ルールを知らないまま、参加しようものなら、揉め事になるだけだ。ルールを知っているはずのプロのスポーツ選手でさえ、乱闘になったり退場させられたりする。監督やコーチに問題があっても、その選手やチーム出場や参加に影響したりするわけだから。
 物事が成り立っているのは、相応の秩序があるからだ。秩序が崩壊すると、成立も崩壊する。

 当創作でも、主人公が、知らず自覚できないがゆえに、無理や矛盾がある方に向かう。
 が、積極的にはなれず、むしろ違和感を感じている。
 そうだったことに気づき、確かめ、事実関係を整理して無理や矛盾を解明してゆき、方向転換をして、根拠も理由もある因果関係や法則や基本を理解して自信も確立してゆく。

 尋ねたり調べたり確かめたりしながら、初めて行く目的地に到達するのに似ている。
 繰り返すほど詳しくなり、やがては実際に行かなくても記憶に残っている道順を教えることもできるようになる。

 ゲームやスポーツのルールも、五感で捉えることができない。知りたい場合は、尋ねたりルールブックを調べたりする。
 基本的な構成や各ポジション別に許されていることなどを、思考上で整理するほどルールを理解できる。
 それでも不明な部分あった場合は、誰かに尋ねたり確かめたりして、詳しくもなる。
 思考上で整理して理解し詳しくもなるだけに、それらは記憶に残る。
 だからこそ、記憶に残っているルールに基づいて、ゲームやスポーツに興じることもできるようになる。

 つまり、思考上で整理して理解し・理解したことに基づいたことが可能になり・相応の結果になる

 この、五感では捉えることができない内面的なことである、情報処理を中心に因果関係で連なっている基本的なこと自体も、整理すると理解することができ、理解した場合は相応のことも可能になる。
 よって、ここまでを、情報処理を中心に因果関係で連なっている基本的なことと考えられる。
 この基本的なことが、当創作のテーマだ。
 
 
 内面的な情報処理を中心に因果関係で連なっている基本的なことの要は、思考上で整理して理解することだ。

 日常会話で思考力や理解力を発揮していても、考えないことは、事実関係や因果関係に基づいた整理はされないので、未理解なままだ。
 思考上で事実関係や因果関係などに基づいた整理ができたことは、理解でき納得したりする。

 何かを理解した際、その理解したことを基に、未理解だったことを理解する因果関係や理由を理解することもできる。未理解な場合と、理解できた場合の、違いや理由も具体的に明らかになる。
 理解自体に関しても、具体的に理解するほど具体的なことが記憶に残るだけに、記憶に残っていることを基に自覚できるようになり、活用なども可能になるので、相応の結果にもなる。

 この、内面的な情報処理の要である未理解だったことを思考上で整理して理解する行程が、テーマ中のテーマになる。
 
 
 当テーマは、人工的なルールや規則などではなく、人が理解する以前から存在している理由や因果関係や法則の類でもある。

 無理や矛盾があると内容しだいでは葛藤が生じたりするように、本人が望まないことも生じる。
 その具体的な因果関係や理由などを本人が未理解でも、違和感を感じたり、不本意だったりもする。
 つまり、知識や考えよりも優先して因果関係や法則は心理上では機能している。

 情報処理を中枢とする因果関係は基本的なことだけに、会話ができるようになれば誰でも繰り返し経験していることでもある。

 だからこそ、そうであることに気づくこともでき、確かめて因果関係などを整理すると解明や理解もできる。

 でも、そういう性質であるがゆえに、そういうことに本人は気づかなかったり未理解だったりする。
 この未理解な面が、逆説的なテーマの裏付けになる。
 
 
 日常会話ができるだけの思考力や理解力があっても、考えもしないことは、事実関係や因果関係に基づいた整理はされないので、未理解なままだ。
 思考上で事実関係や因果関係などに基づいた整理ができたことは、理解でき納得したりする。

 そうであること自体も、思考上で整理した場合は理解できる。
 つまり、そうであることも、考えもしない場合は未理解なままだ。

 こういう性質上、誰でも繰り返し経験している情報処理を中枢にして因果関係で連なっている基本的なことであっても、考えたことが無い場合は未理解だったりする。

 理解する以前から存在していて機能していて、人工的なものではない法則的なことや基本的なことは、人工的には変えようが無い。
 それでも、未理解だったりする。

 つまり、すでに存在しているどころか、繰り返し経験していて、学習力も思考力も理解力もある。
 が、単に、考えず、思考上で整理したことが無いだけに、未理解なだけだ。ということもある。
 こんなことの理由や、この法則的なことも、整理することによって明らかになる。が、明らかになる以前から存在し機能しているわけであり、未理解なだけだったりする。

 未理解だと、不具合や問題が生じる。よって、気づき、確かめ、解明し理解して解決してゆく。
 
 
 次回は、「あらすじ」を整理しようか。
 あらすじは、因果律が重要なので、たぶん時間を要する。が、そうであるだけに、あらすじの整理ができれば、下書きの準備が整う。
 迷走的な下準備だが、整うほど、やる気にもなる。

 

悪天候と高温続きで、撮影に出向かなくなった……
初めての創作に臨み、すっかり写真は二の次に……




2019 夏の早朝の文明


 


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kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

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