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 生命生理は、自律して機能していて、生存の基礎であり、人生の根拠に相当する。
 生きていること自体が絶妙にできていることを直に経験し続ける知能も備わっていて、相応の学習もでき、上達し、基本動作や日常会話などは熟練する。
 約束やルールや信頼や尊重や愛や幸福などの目には見えないことでも理解し合えるようになり、よって協力し合い信頼し合い尊重し合えるようにもなる。
 しかも、理解は、無料で、誰でも可能だ。むしろ、売買すると崩壊する。
 以上の、普遍的なことや誰にでも共通することが、当ブログのテーマです。
 でも、進化・自身が形成された経緯・自身の生命生理などは、通常は知らない。
 直に経験し続ける知能や学習力や理解力をさえ、具体的に理解するとは限らない。
 知らないことだからこそ、想像もする。自分のことでも、勘違いし思い込みもする。
 自分以外のことに目を奪われると、自分を見失う。心まで奪われると、自分の人生も見失う。つまり、そういう状態に陥っていることに気づけなくさえなる。
 普遍的ではなく、共通でもなく、異なることほど、理解し合うことは困難になる。
 私利私欲を貪り、相殺して蝕み合い、競争で優劣を決め、転嫁し暴力で片づける。
 非理解、非協力、非信頼、非尊重、そういう非知的なことは、むしろ避けたい。
 いずれも、マスメディアが発達した現代では歴然としていることなんですから。
はじめに 更新2013/01/21
目次:無知の悟「俺は、異常ではなかったんだ、病気でもない」
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カテゴリ : ◆無知の悟 「俺は、異常ではなかったんだ、病気でもない」

目次:無知の悟「俺は、異常ではなかったんだ、病気でもない」


 当記事は、次のカテゴリ内の記事を目次です。
 カテゴリ:無知の悟「俺は、異常ではなかったんだ、病気でもない」

 きわめて個人的な世界なのだが、理解し尽せない世界だけに、むしろ超個人的な深みに臨みつつある昨今……。
 今夏(2018)は、当カテゴリ記事の再編集を行い、心の再整理(浄化)に臨もう。
 当時、一進一退を繰り返したことによって、主要なことが解明されていったわけだから。
 思いや考えの無理や矛盾の解明も解消もできたことによって、こんなことの解明や解決も可能なんだということを体験的に納得でき、自己理解が始まったわけだから。
 
初投稿:2017/06/08
その後の微調整&再編集 更新:2018/04/30
※ 再編集につき投稿日を更新日に変更






無知の悟
「俺は、異常ではなかったんだ、病気でもない」

   目 次(投稿済み別記事リンク 別窓(別タブ)表示
   見出し毎の書き込みは、個人的な再編集用の概要や要点です。
   これらの調整を行いつつ再編集(心の浄化)を行います。


今は……


 もう一度、自分の心の整理に臨もう。
 学習の基本や法則を理解するほどに、精神上の道に似たものもできている。
 要は、未知の世界に、どんなものを想定して目指すかだ。
 今度の心の再整理は、最期のための心の準備に通じているような気もするが、その理由も分かるのかもしれない……。

かつて、自分を勘違いし思い込んでいた。


 かつては、生きていることがどういうことなのかは、考えたことすら無かった。自分はどういう存在なのかも、考えたことすら無かった。
 冬場に出稼ぎに行き、春に帰省せず、都会で見習いで就職し、格好の学習経験をした。なのに、学習に関することを理解せず、理解力は磨かず発揮すらしなかった。
 学習し、相応のことが記憶に残ったことだから、相応のことができるようになった。だから、今でも理解できることなのに。
 そんなことをすら未理解だったのに、すっかり一人前になったような気がしていた。
 それは、勘違いや思いみに過ぎないんだということも、知らず、気づくこともできなかった。
 むしろ、違和感を感じることさえ無く暮らしていた。
 それは、あまりにも自分のことを知らないからなのだとは、思いもしなかった。
 つまり、生後に知らないことを憶える性質上、直に経験し続けていることをすら理解するとは限らない。生きていることはどういうことなのかとか、自分はどういう存在なのかとか、そういうことを考慮しない生き方をすることもあり、そういうこととは無関係な生き方をすることもあり得ることになる。

あの日、気づいた。自分を未理解だったことに。


 知らなかったことを憶えたんだということを、今更のように知った。
 練習相応に上達したんだということも、今更のように知った。
 それは、人生を左右する重要なことだったことも、今更のように知った。
 しかも、子供でも知っているのに、自分は知らなかった。
 すっかり一人前になったような気がしていたのは、勘違いや思い込みや独り善がりの類でしかなかったのだ。肝心な自分のことを、ほとんど知らなかったのだ。
 それまでの自分というイメージが心の中で崩壊し、自分のことを知らないという深い孤独に陥った。

 日常的に思考力や理解力が磨かれて自分を客観視できるようにもなったからこそ気づくことができたんだということには、気づくことさえできなかった。
 やっと本来の自分に戻れたんだとは、思いもしなかった。
 知らないのなら、知ろう。とも思わなかった。

未理解とは、どういうことかを思い知らされた。


 自分のことなのに、雲を使うような状態に陥った。
 平常心も取り戻せなくなった。
 孤独の世界を彷徨うばかりだった。

 知能自体は平常どおりに機能していることに、気づくことすらできなかった。
 日常的に思考力や理解力や判断力などを発揮できていることにすら、気づけなかった。

 異常かもしれないと想像し、異常かもしれないと新たな勘違いをしはじめた。
 それこそが想像や勘違いに過ぎなかったのだが、そうであることにも気づけなかった。

 自分が行っている識別や思考に関することを未理解であることが、どんなことなのかを、思い知らされていた。
 そうだったにもかかわらず、そうなんだということも、当時は捉えることができなかった。

 独りになりがちになり、人間関係を断ち、自室にこもるようになり、夜型の生活になり、異常者扱いされることを恐れはじめた。
 自分で相応のことをしているからなのだとは、思いもしなかった。

 単に知らないだけなのに、それゆえに困窮してしまうことが存在することを、思い知らされていた。
 そうだったにもかかわらず、そうなんだということも、当時は捉えることができなかった。
 想像、勘違い、思い込み、妄想、そんなことに関しても考えたことすら無かったからでもあった。

困窮し、やっと自分のことを理解しはじめた。


 自室にこもり、困窮したことによって、やっと自分のことを理解しはじめた。

 喉が渇き、空腹を感じた。随意に呼吸を止めることはできない。心臓も随意には止められない。むしろ、不適切な飲食をすると吐いたり下痢をしたりする。そんな経験上の事実を確認したことで、自身の生命生理は自律して機能しているんだということを初めて基具体的に知った。
 つまり、実行できないことでも思い考えることができ、言い訳も嘘も考えることができる思いや考えにこそ、無理も矛盾もありえるのだ。

 次いで、各感覚器官や意識や記憶力や識別や思考などは自覚するだけで確認できることにも気づき、知能自体は平常どおりに機能していることを、初めて経験上の事実や自覚を基に具体的に知った。
 普段でも、精神面の性質上、精神面に不具合がある場合は直ちに気づく。だから、不具合が無いだけで、普段は異常だとは思いもしない。そんなことも初めて知った。
 気づいたことは確かめもし、確かめるほど具体的なことを知ることもでき、具体的に知るほどに識別や自覚などが容易になった。
「俺は、異常ではなかったんだ、病気でもない」
 平常心を取り戻せなくなり苦悩し困窮した理由は、思いや考えなどの無理や矛盾にある。
 しかも、こんな自分のことを、あまりにも知らないからだ。


要だった矛盾を解明し、英知の扉が開いた。


 目には見えない思いや考えなどの無理や矛盾を解明をすべく、冷静になり、内向しはじめた。
 他人を気にし過ぎ、自分のことを疎かにしていた。
 つまり、問題の解明や解決は、しようとすらしていなかったことになる。
 自分のことを知るべきなのに、自分のことを知ろうともしていなかった。

 自分が考えて行っていたことなのに、こんな矛盾があることに気づくこともできなかったなんて……。

 むしろ、異常者扱いされると思い込み、不都合なことは隠し偽ろうとし、上辺だけ尤もらしく見せかけようとしていたていた。
 これは、解明や解決が困難にすることにほかならない。この思いや考えは、解明や解決とは、まったく矛盾する。あの日、やっと気づくことができ重要なことなのに、それが台無しになることだからこその葛藤だったのだ。

 英知の扉が開いた。

想像・勘違い・思い込み、その類だった。


 自分の思いや考えに関することだけに、自分だけが直に知り得ることであり、考えるだけで分かることだった。
 分かればこそ、自制も可能になり、方向転換もでき、解明も解決も可能になる。

 異常かもしれないとか異常者扱いされると思ったり考えたりしたが、それが事実か否かは確認していない。つまり、異常かもしれないとか、異常者扱いされると、想像していたに過ぎない。
 事実確認もせず根拠も理由も必要としない想像は、し放題だ。当然に、外れの確率の方が高い。
 自分が考えて行っていることなのに、こんなことに三年も気づけなかったなんて……。

 想像に過ぎなくても、内容しだいでは不安にもなり心配になり苦にもなる。
 こんなことも経験済みなのに、気づけなかった……。
 だから、事実とは違うのに、事実だと勘違いした。
 勘違いしていることには、もちろん気づけなかった。

 勘違いだとは知らず覆せなかったから、むしろ事実だと思い込んだ。
 思い込みに過ぎないことには、もちろん気づけなかった。

 むしろ、思い込んだからこそ、それを前提にしたことまで考え、行おうとまでした。
 そうであることにすら、気づけなかった。

 知らないとか間違いとか勘違いや思い込みの類は、意図的なことではないし日常的にあることでもあり、異常とは言えない。責め咎めるべきことでもない。

 むしろ、思い込みに基づいては、実行できなかった。
 だから、気づいた。
 気づいたから、確認した。
 確認したから、具体的な事実を知ることもできた。
 知ったことは、何時でも何処にいても想い出して確認できるようになった。
 よって、詳しくもなれた。
 これらも、異常ではない証のようなものだ。


 思えば、もともと学習力や思考力や理解力なども発揮できていた。
 でも、気づかないことは、確かめもしない。確かめないことは、具体的なことは知らない。
 直に経験し続けている自分のことであっても例外ではないのだ。
 学習力や思考力や理解力など、日常的に発揮していることでさえ、確かめたことは無かったからこそ、具体的には知らなかったんだから。
 無知で愚かだたことにばかり気を取られていたが、日常的に思考力や理解力は磨かれ、自分を客観視もできるようになったこともあって、あの日、気づくことができたことになる。知能自体の成長や進歩の証でもあったのだ。
 まして、せっかく気づいたのに、新たな勘違いをし、それに気を取られれば、他のことは重要なことでも確かめもしない。隠し偽ったりすることに気を取られれば、解明や理解を困難にすることになる。
 そうだったからこそ、考えただけで分かったことも分からないままだったことになり、考えるだけで分かることなのに自分の思いや考えに関することでさえ知らなかったことになり、知らないことは自覚も識別もできなかったのだ。
 むしろ、初めて気づいたのも、思考力も理解力も発揮できていたからこそだった。が、そうであることを未理解だったから自覚も識別もできなかった。だから、むしろ新たな勘違いをしたのだ。
 本当は、あの日に初めて気づいたこと自体が、自分にとっては飛躍的な進歩や成長だった。
 むしろ、気づけず平気だったことこそが異常に類し、それに気づいたのだから動揺してこそ当然であり、動揺こそが正常さを取り戻した証だったのだ。
 なのに、確認せず、想像し、とんでもない勘違いをしたばっかりに、三年も遠回りしてしまったのだ。

先入観や固定概念があったからだった。


 理由も根拠も無い想像をすることは難しい。何らかの理由や根拠があってこそ、相応の想像をする。
 差別的なイメージがあった。
 解決できず、知られまいとし、思い込んでしまった。
 想像の基になる、先入観や固定概念や差別的なイメージが記憶にあったからだったのだ。
 これも、気づけば確かめることもでき、確かめれば相応の事実を知ることもでき、事実関係が分かれば覆すこともできる。

知能を誤用し悪用し悪循環に陥っていた。


 記憶に有って、心理にも作用していることになる。
 記憶に残っていることだからこそ、考えるだけで分かる。
 つまり、思い出すまいとしたり、考えないだけで、一向に分からないのだ。
 考えたくないことや思い出したくないこととか……。
 知られたくないことや、隠し偽りたいことといえば……。

 大人振っただけの騙し合いだった。失格だ。
 あの時も、大人振った。認め難くて、いつのまにか肯定したからだったのだ。

 突然、思い出した。水恐怖症だったことを。
 知られまいとして、自分でも考えなくなり、思い出さなくなった。
 これも、気づいたから確かめ、確かめたから理由や事実関係も分かり、分かった事実関係や理由を思い出せるから対処できるようになり、解決できた。
 つまり、子供の頃には、すでに思考力や理解力もあり、いろんなことが分かっていた。だからこそ、大人に騙されまいとし、言いなりにはならず、むしろ信頼を回復したいから抗議までしたのだ。
 でも、反抗扱いされた。大人は強いるだけで、子供の気持ちを理解しようとすらしなかった。
 しかも、大人に受け入れられなかったこともあって、自分の気持ちや考えを自分でも整理すること無く理解もしそびれたのだ。

 だからこそ、子供の頃に批判視したのに、上辺だけ大人振る大人になった。
 肉体的には、自律して成長し成熟もする。が、精神面は、学習し理解した内容に左右される。今頃、こんなことを知るなんて、精神的には未熟過ぎる……。

 自分の精神面を未理解だと、深みに陥りもする心理の悪循環が存在する。
 でも、自分の思いや考えに関することだけに、理解できる。理解すれば、陥らずに済む。むしろ、理解を深めることもでき、自己管理が可能になる。

あれは、天使のささやきだったのだ。


 自意識制御。これこそ自分自身だ。原点に戻れた。本来は、こんなこともできるのだ。備わっている知能の高度な面をやっと発揮しはじめたのだ。
 あの日に気づくことができたことは、本来は小躍りして喜ぶべきことだったのだ。
 なのに、精神的には未熟だったばっかりに、とんでもない勘違いをしたばっかりに三年余りも……。
 あの日の子供たちの言葉は、自分にとっては天使のささやきだったのだ。
 精神的には未熟なままの自分を、今の自分なら理解してあげられる。
 自分で育て直せてこそ、大人になれる……。


 結局、自分が望んだわけでもないのに、意識改革や人生の軌道修正が完了していた。

 確かめるようになった。
 物体としては存在しないし、目にも見えないが、思考上では捉えることができ一連のことを理解することもできる、確かに存在する性質や条件や理由や法則などを重視するようになった。
 生後に知ることは限られ偏りもし的外れだったりもするし、錯覚や勘違いや思い込みもある。が、自分が知る以前から存在していることは、絶妙な秩序に基づいて自律していて、動物だけではなく植物にも共通で、誰でも直に経験し続けていることでもある普遍的(非人工的)なことこそが尊い。
 本来は、その普遍的な性質上、その尊さまでも歴然としている。
 そういうものを尊び、理解しようとするようになった。

 それは、人間関係を断ち、自室にこもったからこそ、自分の思いの無理や矛盾を解明でき、よって可能になったことでもあり、学歴も要らず資格も要らず資金も無くても理解できることだった。
 本来の自分で理解することによって自分を救うことでもあり、苦行とは逆で、修行ですらない。
 冷静になることは必須で、リラックスする必要があることだけに、寝転んででもできることであり、礼儀も作法も要らない。
 すでに存在していて、考えるだけで理解できることを理解するだけなので、何時でも何処にいても可能なことであり、誰でも可能な状態にあることだった。

 それに対して、そうではないことだからこそ、尤もらしく見せかけていることや、後ろめたいことだからこそ本当らしく工作することや、競い争ってまで優劣を決めて優れたことであるかのように捏造しているに過ぎないことなどは、意図的かつ人為的なことである。
 しかも、他の目を奪い心まで奪うことであり、自分を見失わせ人生まで見失わせることでもある。
 そういうことをしてまで私利私欲を貪ることでもあり、騙し欺いてまで他人の不幸を喜ぶようなことだとも考えられる。
 そうだと思われることは宗教であっても、疑問を感じるようになった。

 ただ、いずれも、目には見えないことである。
 でも、日常会話でも、目には見えないことを理解し合える。その思考力や理解力も、目には見えないが、発揮できている。
 根拠や理由が不十分だったり無理や矛盾があると、理解できないし納得もできない。根拠や理由が十分で理に適っているからこそ、理解でき納得もできる。
 だからこそ、約束やルールや計画や目的などに基づいた行動もでき、信頼し合い尊重し合うこともできる。
 それらのことも、目には見えない。
 だが、思考力や理解力を発揮すれば、目に見えるが如くに捉えることができるようになるからだった。




2017-大樹の新緑

 

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応援アクセス、ありがとうございます。
応援アクセスに、とても励まされております。
好みや価値観は百人百様ですが、
それゆえの好刺激も戴いております。
老化と眼精疲労により、
相互応援アクセスは断念します。
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プロフィール

kisuke(喜助)

Author:kisuke(喜助)
 生きていることを尊重し、思考力や理解力を信頼し、それらを理解し合えればいいのだが……
 むしろ、懐疑や不信感に囚われ、不都合なことは避け、言い訳もし、隠し偽りもし、強情を張り、相殺し開き直り、自分でも認め難いことをする。
 尤もらしく見せかけもし、本当らしく工作し、優れたことであるかのように競い争い、私利私欲を貪り砦に籠り、理解し合うことを困難にしている。
 
 投稿は毎月2回(ノルマ)です。

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